応援ソングライターyu-kaさんの直近での活動のご紹介

本日は、応援ソングライターyu-kaさんの直近での活動をご紹介させていただきます。

yu-kaさんは、アンドシング スクールの『シンガーソングライター教室(超入門)』で講師を務めていただいているだけでなく、様々な場所で音楽活動を行っておられます。

応援ソングライターyu-kaさんの応援、よろしくお願いいたします!


(以下は、yu-kaさんのfacebookより内容を転載させていただいております)

■8/17(金) 13〜15時
【こどもシンガーソングライター講座 はじめの一歩(超入門) @起業プラザひょうご】
こどもさとり塾さん主催の今企画。お子さんに向けて、は初です!🎹緊張と楽しみと◎ 対象は大学生以下の方です!もしご興味ある方はぜひぜひ!
https://www.facebook.com/events/257452314867926/?ti=icl

■8/19(日) 19〜25時半
【Bye My Barrier 2018@kyoto metro】
🎤19:00〜 ミニトーク&弾き語りライブ
で出演させていただきます!
京都の方、ぜひ来てもらえたら嬉しいです〜(*^_^*) なんとフェス自体は、翌日1:30まで🍺w
↓他の出演者さんのプロフィールも載っています!♪
https://www.facebook.com/events/980159878801788/?ti=icl

■8/25(土) 16〜17時半
【自己紹介📛ミニソングを作ろう!〜第4回シンガーソングライター教室〜 @大阪北浜】
第4回目となったシンガーソングライター教室。主催はいつもお世話になっているアンドシングさん♪
今回は、\ご自身のプロフィールソングを作ろう/という企画です!名刺代わりとなる歌を作ってみませんか?*
ヒアリングを元にして作っていくので、ご自分では気づかなかった価値が、歌詞として表現されていきます。
前回は、3名の生徒さんが自作曲の発表をしてくださりました♬✨
https://www.facebook.com/events/635365693529508/?ti=icl

■9/8(土)17〜19時
【生き様ソングプロジェクト/オープン座談会 @尼崎 NPO法人 月と風】
『ミーツ・ザ・福祉』の一企画。脳性まひをお持ちの村上さんの生き様を、曲にしていくプロジェクト!前回のオープン対談に引き続き、今回は村上さんを良く知る3名の方をゲストでお呼びし、お話を伺います。オープン座談会◎
https://www.facebook.com/events/1968723889814440/?ti=icl

■9/16(日) 10〜12時
【応援&オリジナルソングライブ@神戸room4】
今回は、応援ソングを作らせていただいた3名の方をご招待し、応援ソングを歌わせていただきます。3名の方による、プレゼンタイム有り!
また、自分自身のオリジナルソングも歌う、2本立て企画です。今後何回か開催して行きたいと思います!
https://www.facebook.com/events/1012491142246863/?ti=icl

■9/23(日)13時〜,16時〜
【あべのハルカス8階 イベント】
主催 あったかファミリーさん・育プロさん
演劇・身体表現など盛りだくさんな中で、ミニライブ出演者させていただきます🎹
また、下記にイベント情報を載せているので、ご興味持ってくださった方は、ページフォローしていただけると嬉しいです♬
*yu-kaと凸凹フレンズ (ライブを支えてくださっている、大切なフレンズとのページ。インタビューや、前回8/4ライブの様子も載せてます^_^)
https://www.facebook.com/yuukadecobocofriends/
*応援ソングライターyu-ka
https://www.facebook.com/ouensongyuka/
(計画が遅れていますが、応援ソングHPも今月中には完成予定…!)


なんと今日は、yu-kaさん初の子ども向けシンガーソングライター講座です。

子どもたちからどんな歌が生まれてくるのか、とても楽しみですね。

【改訂版】これまでの学校では学べなかったことを学べる新たな学校とは?

昨日の学ぶログでは、『これまでの学校では学べなかったことを学べる新たな学校とは?』について書いた。

が、かなり不完全な内容であったため、今日の学ぶログでは、その内容を大きく改訂する。

基本的な改訂点は、以下2点である。

①「自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す」という視点を「三方よし」の視点から統合した。

②これに伴い、全体の話の流れを大きく改訂した。

正直、この改訂版でも、まだ不完全さが拭いきれない。また、依然として大きな方向性を指し示すだけに留まっている。

が、それでも、これから開講していく講座の目的とその意義、アンドシング スクールに学びに来てもらいたい人、講師を務めてもらいたい人のイメージが(昨日の学ぶログに比して)少しでもより良く伝わるものになっていれば幸いである。

1. 新たに学ぶべきことは何か?

アンドシング では、「次世代リーダー輩出のための新たな学校(学びの場)づくり」を目指している。

新たな学校である以上、アンドシング スクールは「これまでの学校では学べなかったことを学べる学校」である必要がある。

では、「これまでの学校では学べなかったこと」とは何か?

それは、「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動だ。

①自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す(自分よし)

②自分の手でつくり出したものを、ある人にとって役立つものにする(相手よし)

③それをさらに、より多くの人にとって役立つものにする(世間よし)

それゆえ新たな学校は、「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動を学べる場である必要がある。

そのためには、そこに集う人同士が、目的を共有し、異なる立場から視点を補い合い、ともに学び、実践し、協働していける場である必要がある。

それゆえ、必然的に、そこに学びに来る人は、「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動を身に付けたいと願う人である。

また、そこで講師を務めてくれる人は、「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動を身に付けている人である。

2. 新たな学びはなぜ必要か?

これまでは、「三方よし」を強く意識する必要はなかった。世間(=自分や他人を含む社会全体の人々)にとって必要なものがわりと明確であったからだ。

かつては、世間として必要なものは、おおよそ(最大公約数的なものとして)共通化されていた。

食べもの、着るもの、住むところ。移動手段や通信手段。それを支える水道、電気、通信、ガス、道路、鉄道、金融などの社会インフラなどなど。

あえて極言すれば、「必要なものは何か?」「つくり出すべきものは何か?」を突き詰めて問う必要はなかった。

すでにどこか(の国)にあるもので、世間として必要なもの(足りないもの)を埋めていけば良かった。

それゆえ、世間として必要なものをつくり出すために必要とされる知識や技術もおおよそ明確であった。

先行するどこか(の国)から、すでにある知識や技術を学べば、世間にとって必要なものはつくり出せた。

それゆえ、これまでの学校では、すでにどこかにある知識や技術を学ぶことを中心とする教育が施されてきた。

そしてそこで学んだ知識や技術をもとに、世間にとって必要なものがつくり出されてきた。

その結果として、「三方よし」も何となく満たされてきた。

そしていまや、世間として必要なもの(足りないもの)は、だいたい埋められ終わった。

だが、ここで言う世間とは、あくまでも一般的な(と想定される)人々でしかなかった。

一人一人の個人やその集まり、地域などに目を向けると、いまだに必要なもの(足りないもの)は存在している。

とは言え、一人一人の個人やその集まり、地域などの中には、必ずしも人数規模が大きいとは言えないところ(マーケティング用語で言えば「セグメント」)がある。

そういうところ(小さなセグメント)では、企業にとっては、十分な市場があるとは言い難いため、そこに参入しない、あるいはこれまでは参入していたが撤退するということが起こっている。人口の少ない地域から大手のスーパーが撤退するなどはその典型である。

また、国や地方自治体も、そういうところ(小さなセグメント)に、限られた財源を振り向けるだけの余力もなくなって来ている。

一方で、幸運なことに、インターネットをはじめとする情報通信技術は大きく発達している。

(過去に蓄積された)大量の知識を容易に入手することができ、ある程度の技術も動画などを活用しながら習得することができる。

また、時間や空間の壁を超えて、人と人とが文字・音声・動画などでコミュニケーションすることもできる。

さらに、食べもの、着るもの、住むところ、移動手段や通信手段、それを支える水道、電気、通信、ガス、道路、鉄道、金融などの社会インフラなどなど。それら物理的なモノも一部で余っている状態にあり、その余剰部分を低コストで借りて使うことも可能な状態にある。

したがって、これからの時代において重要なことは、すでにある知識や技術を学ぶことではない。すでにある物理的なモノをつくり続けることでもない。

これからの時代において重要なことは、一人一人の個人やその集まり、地域などにおいて「必要なものは何か?」「つくり出すべきものは何か?」を問うことである。

その上で、「すでにある知識、技術、あるいは余剰となっているモノなどを活かしながら、いかにして新たに必要となるものをつくり出すか?」を問うことである。

そしてその問いに対する答えを見つけ出し、それを現実のものとしてつくり出していくことである。

そのためには、「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動を一人一人が学び、お互いに実践し合いながら協働していく必要がある。

3. 新たな学びで何が良くなるのか?

一人一人の個人やその集まり、地域などにおいて「必要なものは何か?」「つくり出すべきものは何か?」を問うのは誰なのか?

そこに答えを見つけ出し、それを現実のものとしてつくり出していくのは誰なのか?

その行動主体は、一人一人の人でしかありえない。

その人が、企業にいるのか、国や地方自治体にいるのか、NPOにいるのか、一個人なのかは関係ない。人種・性別・年齢・職業・肩書きなども関係ない。

「自分にとって必要なものは、自分でつくり出す」

「自分たちにとって必要なものは、自分たちでつくり出す」

ここからはじめるしかない。

誰か(企業や国)が何とかしてくれるだろう、と待っていてもはじまらない。

とは言え、個人が孤軍奮闘し続けるのは、大変だ。

たった一人で、自分にとって、あるいは自分たちにとって必要なものをつくり出すのは大変だ。

また、それをつくり続けていくことは、もっと大変だ。

時間も労力もお金もかかる。

何よりかなりの熱意が必要になる。

もしかしたら途中でお金が尽きるかもしれない。

いや、それ以前に、心が折れるかもしれない。

ならば、自分にとって、あるいは自分たちにとって必要なものを、別のある人にとっても役立つものにはできないのだろうか?

相手の視点に立ってみれば、ちょっとした工夫を加えることで、自分にとって必要なものが、別のある人にとっても役立つものになるかもしれない。そうなれば、その人は喜んでくれるだろう。

さらに工夫を加えれば、その人は、商品としてお金を払ってくれるかもしれない。

そうなれば、自分(たち)にとって必要なものをつくり出すためにかかった時間と労力に対する見返りが得られるだけでなく、お金の面でも助かる。

それでいて相手も喜び、助かる。

これがさらに、より多くの人にとって役立つものになるならば…

より多くの人が喜んでくれ、より多くの人がお金を払ってくれるようになるだろう。

自分よし、相手よし、世間よしの「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動の結果として。

必要なものがつくり出され、それが一人でも多くの人の手に渡り、役立ち、喜ばれるようになる。そしてお金が流れるようになる。

また必要なものがつくり出され、それがさらに一人でも多くの人の手に渡り、役立ち、喜ばれるようになる。そしてより多くのお金が流れるようになる。

この循環は、はじめは小さなものかもしれないが、徐々に大きく、速くなっていく。

これからの時代において重要なことは、一人一人の個人やその集まり、地域などにおいて「必要なものは何か?」「つくり出すべきものは何か?」を問うことである。

その上で、「すでにある知識、技術、あるいは余剰となっているモノなどを活かしながら、いかにして新たに必要となるものをつくり出すか?」を問うことである。

そしてその問いに対する答えを見つけ出し、それを現実のものとしてつくり出していくことである。

そして必要なものがつくり出され、一人でも多くの人の手に渡り、役立ち、喜ばれ、お金が流れるようにしていくことである。

この循環をより大きく速くしていくことである。

それゆえ、新たな学校は、

①自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す(自分よし)

②自分の手でつくり出したものを、ある人にとって役立つものにする(相手よし)

③それをさらに、より多くの人にとって役立つものにする(世間よし)

という「三方よし」の視点にもとづく思考・感情・行動を学べる場である必要がある。

そのためには、そこに集う人同士が、目的を共有し、異なる立場から視点を補い合い、ともに学び、実践し、協働していける場である必要がある。

すべてのはじまりは、一人一人の個人である。自分である。その集まりが自分たちである。

個人が自立してはじめて、地域が自立する。

地域が自立してはじめて、国家が自立する。

学校とは、「個人が自立する必要性」を自覚する場である。

その上で、「個人が自立するための手段」を学ぶ場である。

私たちは、すべての人がリーダーたりえる、と信じています。

どっひー &sing

これまでの学校では学べなかったことを学べる新たな学校とは?

今日の学ぶログでは、「アンドシング がどんな学校づくりを目指しているのか?」「その学校では、どんなことを学べるのか?」について書く。

正直、とても不完全な状態である。読みづらい点、わかりづらい点が多々あると思う。だが、文章で書いてみないとわからないこと、伝わらないこともある。

現段階では、大きな方向性を指し示すだけに留まるが、これから開講していく講座の目的とその意義、アンドシング スクールに学びに来てもらいたい人、講師を務めてもらいたい人のイメージが少しでも伝われば幸いである。

1. 新たに学ぶべきことは何か?

アンドシング では、「次世代リーダー輩出のための新たな学校(学びの場)づくり」を目指している。

新たな学校である以上、アンドシング スクールは「これまでの学校では学べなかったことを学べる学校」である必要がある。

では、「これまでの学校では学べなかったこと」とは何か?

それは、

自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す

そして、

自分たちにとって必要なものは、自分たちの手でつくり出す

という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力だ。

逆に、これまでの学校で学べたことは、他人起点・過去依存での知識と解法とそれを効率的に活用する力だ。

だがいまや、他人起点・過去依存での知識と解法とそれを効率的に活用する力は、スマホ一台あれば十分である。インターネットで検索したり質問すれば、大概のことはわかる。知識はすでに十二分に与えられている。

重要なことは、「その知識を使って何をするのか?」ということ。

「どんな問題を解決するのか?」「どんな世界をつくっていくのか?」ということ。

そしてその行動主体は、一人一人の人でしかありえない。

それゆえ、新たな学校は、

自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す

そして、

自分たちにとって必要なものは、自分たちの手でつくり出す

という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を学べる場である必要がある。

それゆえ必然的に、そこに学びに来る人は、「自分(たち)にとって必要なものは、自分(たち)の手でつくり出したい!」と願う人である。

また、そこで講師を務めてくれる人は、「自分(たち)にとって必要なものは、自分(たち)の手でつくり出す!」という意志と想像力とそれを具現化するための力を持つ人である。

2. 新たな学びはなぜ必要か?

「自分にとって必要なもの」の典型は、食べもの、着るもの、住むところである。

だが、学校にいくら通っても、食べもの、着るもの、住むところを自分の手でつくり出せるようにはならなかった。

一方で、市場経済が発達している現代では、「自分にとって必要なもの」の大部分はお金を払って手に入れることが(暗黙の)前提になっている。

このため、「自分にとって必要なもの」を手に入れるためには、つねに「お金」が必要になる。そして、「お金」を手に入れるための「仕事」が必要になる。

では、学校に長年通った結果、「お金」を手に入れる方法や「仕事」を手に入れる方法が身についたかというと、そうでもない。

学校に通った結果、身についたものは、「自分にとって必要なもの」を手に入れるためにどう役立てればいいかわからない知識ばかり。

そもそも学校で、「あなたにとって必要なものは何ですか?」と聞かれたことはなかった。

学校では、つねに答えるべき問い(=問題)が先に与えられ、それに対する答え(=知識)が与えられていた。

それゆえ、それらの問いと答えの大部分は、「自分にとって必要なものをつくり出す」ために役立つものではなかった。

その結果、いまだに「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出すことができない」という不安を(私自身が)抱えている。

「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことができない以上、自分にとって必要なものは、他人の手でつくってもらうしかない。それゆえ、万が一、「自分にとって必要なもの」を他人が自分に分け与えてくれなければ、それを自分が手に入れることはできない。

これでは、「自分にとって必要なものが手に入るかどうかは、すべて他人の手に委ねられている」ことになる。

これは怖い。不安である。なぜならば、他人に嫌われたら終わりだからである。

だから、そういうことが起こらないようにするために、他人の意見に従ったり、お金をできるだけ貯め込んだり、お金を稼ぐために必死で働き続けるという行動を取ってしまう。

あるいは、「いざとなれば誰かが(国や会社が)何とかしてくれるだろう」と開き直り、自分で努力することを放棄してしまう。

だが、他人の意見に従い、お金を貯め込み、必死で働き続けたとしても、まして開き直ったとしても、決して問題が解決することはない。

なぜならば、問題の原因は、「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことができないことにあるからだ。

他人に嫌われる恐怖に慄き、その恐怖を回避するために、他人の意見に従い、お金を貯め込み、必死で働き続けることを止めたければ、「自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す」という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を身につける必要がある。

3. 新たな学びで何が良くなるのか?

「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことさえできれば、「自分にとって必要なものが手に入るかどうかは、すべて他人の手に委ねられている」という状態から脱することができる。

もちろん、「自分にとって必要なもの」のすべてを自分の手でつくり出すことはできないだろう。だがそれでも、「自分にとって必要なもの」の一部を自分の手でつくり出すことさえできれば、「自分にとって必要なもの」を手に入れるための主導権を自分で握ることができる。

また、「自分にとって必要なもの」を自分の手でつくり出し、それを自分で消費したとしても、すべてを使い果たさずに余りが出ることもあろう。そしてそれが「ある人にとって必要なもの」でもあるとすれば、その人に買ってもらえる可能性もある。そうなれば、お金も手に入る(場合によっては物々交換かもしれない)。

そんな風に、「自分にとって必要なもの」が「ある人にとって必要なもの」となり、さらに「より多くの人にとって必要なもの」になれば、自分よし・相手よし・世間よしの三方よしの状態になる。

「自分にとって必要なものを自分でつくり出す」ことを通じて、自分が喜び・相手が喜び・世間が喜ぶ。その上で、お金も手に入る可能性がある。

そうなれば、パラダイムシフトが起こる。

「お金で必要なものを買う」

という思考と行動から、

「必要なものをつくって使う」

「余りを売ってお金を得る」

「そのお金でまた必要なものをつくる」

という思考と行動へ。

これまでの思考と行動を180度ひっくり返すことができる。

その結果、「自分にとって必要なもの」を手に入れるために、「お金」や「仕事」を手に入れなければならない、失ってはいけない、という恐怖から解放される。

一方で、「自分にとって必要なものは、自分でつくり出す」ことができる、という希望が生まれる。

そうなれば、自分で夢を描いてそれを実現する過程を楽しむことができるようになる。またその過程で、仲間が集まり、知恵が集まり、物資が集まり、お金も集まる、という可能性も高まる。その結果として、夢が実現する可能性も高まる。

「自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す」という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を身につけることができれば、恐怖を解き放ち、希望が生まれる。夢の実現に向けて諦めずに未来へと突き進むことができるようになる。

すべてのはじまりは、一人一人の個人である。自分である。その集まりが自分たちである。

個人が自立してはじめて、地域が自立する。

地域が自立してはじめて、国家が自立する。

学校とは、「個人が自立する必要性」を自覚する場である。

その上で、「個人が自立するための手段」を学ぶ場である。

私たちは、すべての人がリーダーたりえる、と信じています。

どっひー &sing

投資なくして収入なし

収入は投資から生まれる。

投資と言うと、株式投資や不動産投資のように、すでにある何らかの資産にお金を投じることのように聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。

投資の対象は、すでにある何らかの資産だけではない。自分自身や自分が何かを生み出すために取り組んでいる活動も投資の対象になる。

また、投資の元手になるものは、お金だけではない。自分の時間や労力も投資の元手になる。

そして、投資がない限り、収入は得られない。

もし仮に自分が投資していないにも拘らず収入を得られたとすれば、それは自分以外の誰かが投資をしてくれていたおかげである。

収入を得るためには、必ず投資が必要なのである。

例えば、米を売って収入を得たいと思えば、まず米をつくる必要がある。

水田をつくり、苗を植え、それを育て、収穫する必要がある。

米をつくる過程は、投資そのものである。

先に自分の時間や労力を投じ、幾多の試行錯誤を繰り返したからこそ、立派な米が出来上がる。そしてそれがある人にとって必要な商品になるからこそ、収入を得ることができる。

これは、どんな仕事でも同じである。

投資なくして、アウトプットなし。

アウトプットなくして、商品なし。

商品なくして、収入なし。

ゆえに、投資なくして収入なし。

たとえお金がなくとも、自分の時間や労力を何かに投資し続けること。

それが自分のためであれ、他人のためであれ。

収入を生み出すためにせよ、そうでないにせよ。

ある人にとって必要なものを生み出すために投資し続けること。

より良いものを生み出そうと、幾多の試行錯誤を繰り返し続けること。

日々、努力し続けること。

日々、投資し続けること。

ジブンノシゴトをつくるために、とても大切なことである。

どっひー &sing

自立とはどのような状態か?

昨日は、『個人が自立する必要性』について書いた。

今日は、「自立とはどのような状態か?」について書いてみたい。

コトバンクのデジタル大辞泉の解説によると、自立とは、

1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」

とある。

自立とは、自ら立つことであるがゆえに、「他からの助力を受けずに」あるいは「支えるものがなく、そのものだけで」立っている状態を指すようだ。

だが、個人が「他からの助力を(まったく)受けずに」あるいは「支えるものが(まったく)なく、そのものだけで」存在することはできない。

人は、人と人が支え合って生きるものだからだ。

どんな人であれ、一人きりで生きることはできない。

したがって、自立とは、「他からの助力を受けずに」あるいは「支えるものがなく、そのものだけで」立っている状態とは言えない。

では、自立とはどのような状態なのか?

私は思う。

個人が自立している状態とは、「他からの助力を受け」つつも、あるいは「支えるものが」ありつつも、「これがなくなったらどうしよう…」「この人がいなくなったらどうしよう…」との不安を感じずに立っている状態である。

つまり、たとえ何かや誰かを失ったとしても、その時はその時、自分は自分として生きて行くぞ、と思えている状態である。

「この会社がなくなったらどうしようもない」「だからこの会社にしがみつくしかない」

「この顧客がいなくなったらどうしようもない」「だからこの顧客にしがみつくしかない」

「この人がいなくなったらどうしようもない」「だからこの人にしがみつくしかない」

そんな風に特定の何かや特定の誰かにしがみついてしまっている状態は、自立している状態とは言えない。

「他からの助力を受け」つつも、あるいは「支えるものが」ありつつも、特定の何かや特定の誰かにしがみつかずに、立っている状態。

自立とは、そのような状態を指すのではないだろうか。

何かや誰かを頼ってもいい。たった一人、孤立無援で立つ必要はない。

だが、くれぐれもしがみついてはいけない。

もたれかかってはいけない。

わたしはわたし。あなたはあなた。

お互いが二本の足で立っているからこそ。

お互いがいつでも自由に関わり支え合えるのである。

どっひー &sing

個人が自立する必要性

国家の自立の基盤は、地域の自立にある。

地域の自立の基盤は、個人の自立にある。

逆に言えば、

個人が自立してはじめて、地域が自立する。

地域が自立してはじめて、国家が自立する。

このことは、国家が自立すると忘れられがちになる。

いつの間にか、国家が地域を自立させ、地域が個人を自立させているかのように見えてくる。

だが実際はそうではない。

個人の自立なくして、地域の自立なし

地域の自立なくして、国家の自立なし

である。

また、個人の自立は、精神的な自立からはじまる。

「他に頼らず自立するぞ!」という意志からはじまる。

精神的な自立は、経済的な自立の前にある。

たとえ、いまはまだ経済的に自立していないとしても、「いつか必ず経済的に自立するぞ!」という意志を持つことはいまからできる。

逆に、精神的な自立なくして、経済的な自立が実現することはない。

経済的な自立が実現できていないから、精神的な自立が実現できていないと考えるのは間違いである。

経済的な自立が実現できれば、精神的な自立が実現できるだろうと考えるのも間違いである。

精神的な自立なくして、経済的な自立なし

である。

学校とは、「個人が自立する必要性」を自覚する場である。

その上で、「個人が自立するための手段」を学ぶ場である。

どっひー &sing

一日として同じ日はない

夕暮れは観るたびに異なる

空、雲、風、音、色

関係性はつねに変化している

そして教えてくれる

一日として同じ日はないのだ、と

二度と同じ景色を観ることはないのだ、と

明日はどんな夕暮れを観るのだろうか

いまだかつて観たことの夕暮れは

どんな姿をしているのだろうか

どっひー &sing

話す力は、聞く力から生まれる

歌う力は、聴く力から生まれる。

話す力は、聞く力から生まれる。

描く力は、観る力から生まれる。

書く力は、読む力から生まれる。

アウトプットの精度は、インプットの精度で決まる。

ゆえに、アウトプットの精度を高めたければ、インプットの精度を高めることだ。

歌う力を高めたければ、音をよく聴くことだ。

話す力を高めたければ、声をよく聞くことだ。

描く力を高めたければ、形をよく観ることだ。

書く力を高めたければ、文をよく読むことだ。

稼ぐ力を高めたければ、金をよく使うことだ。

どっひー &sing

成功の反対は失敗ではない

失敗は成功のもと。

ゆえに、成功の反対は失敗ではない。

成功の反対は、諦め。

何もしなくなること。

挑戦しなくなること。

挑戦しなければ失敗しない。

失敗しなければ学びはない。

学びがなければ成長しない。

成長しなければ成功しない。

たとえ成功しなかったとしても、

人としては成長し続けたいものである。

どっひー &sing

教えることは学ぶこと

学校には、教師と生徒がいる。
教師は教える人で、生徒は学ぶ人。

しかし実際には違う。

実は教える人が一番学んでいる。

「どうすれば、相手にわかってもらえるだろうか?」
「どうすれば、相手にできるようになってもらえるだろうか?」

教える人は、ずっとこの質問を掲げ続けている。
そしてその答えを探し続けている。

その過程で答え(らしきもの)を見つける。
そしてその答え(らしきもの)で教えてみる。

その結果、相手にわかってもらえることもある。
相手にできるようになってもらえることもある。

だが、必ずしもそうではない。
いや、むしろそうではないことの方が多いだろう。

相手にわかってもらえなかった…
相手にできるようになってもらえなかった…

「どうすれば、相手にわかってもらえるだろうか?」
「どうすれば、相手にできるようになってもらえるだろうか?」

教える人は、ずっとこの質問を掲げ続けている。
そしてその答えを探し続けている。

教えることは学ぶことである。
そして、誰もが誰かに何かを教えている。

親は子どもに対して。
上司は部下に対して。
教師は生徒に対して。

わかってもらおうとしている。
できるようになってもらおうとしている。

逆もまたしかり。

子どもは親に対して。
部下は上司に対して。
生徒は教師に対して。

わかってもらおうとしている。
できるようになってもらおうとしている。

人はみな、教える人であり、学ぶ人である。

相手にわかってもらおうとすること。
相手にできるようになってもらおうとすること。

その過程の中に、学びはある。

あなたが、誰かに教えたいことは何ですか?

わかってもらいたいこと、できるようになってもらいたいことは何ですか?

そこからどんなことを学んでいますか?

どっひー &sing