「できるようになる」と「やりたくなる」

先日、鈴木さよさんの『グラフィックファシリテーション入門』一日講座に参加した。

私は以前より、「人の想いやビジョンを可視化するための手段としてグラフィックファシリテーションを活用できないだろうか?」との思いを持っており、その可能性を確認するために講座に参加した。

グラフィックファシリテーションとは、絵と文字を使いながら対話のプロセスを見える化することで、場の活性化や相互理解を促す技術である。

私は、絵を描くことが好きでも嫌いでもなく、得意でも苦手でもない。なので、講座に参加した結果として、自分で絵を描くことは想定していなかった。もし仕事で活用するとしても、グラフィックファシリテーションができる人に手伝ってもらうことを想定していた。

だが、講座で絵の描き方を学び、自分の手を動かし、いくつも絵を描いているうちに楽しくなってきた。

単純な丸と点と線を複数組み合わせるだけで、なんと100種類以上もの表情を描き分けることができるようになった。

建物や書類や吹き出しなどのアイコンも簡単に描けるようになった。

他の参加者の方が描いた絵を見ると、みんな個性的だ。うまい下手もない。それぞれの人がそれぞれの絵を描いている。

私は、初めは自分の絵を人に見られることに恥ずかしさを感じていたが、周りの人たちも自分独自の絵を描いていることから、だんだん見られることにも慣れてきた。

そうすると不思議なもので、自分の絵に愛着を感じるようになってきた。「うまくはないけど、これも良し」と思えるようになってきた。

私から見ると周りの人たちが描く絵は、どれもとてもうまく見える。でも、それはそれ、これはこれ。用が足りればそれでいいのだ。絵と文字を使いながら対話のプロセスを見える化することで、「場の活性化や相互理解を促す」ことができればいいのだ。

誰もが他の人の話を聞きながら、それを絵と文字で記録することができるようになっていた。

私も、他の人の話を聞きながら、それを絵と文字で記録することができるようになっていった。

紙に描かれていく絵と文字をリアルタイムで見ることで、さらにお互いの話が弾んでいった。話の広がりや深まりが生まれていった。

その過程の中で、自分が描いた絵と文字が、他の人の役に立つことをリアルタイムで実感することができた。

とても楽しかった。

私はいつの間にか、絵を描くことが好きになっていた。

「もっと描きたい」「これを仕事の中にも取り入れたい」と思うようになった。

もともと私は、絵を描くことが好きでも嫌いでもなく、得意でも苦手でもなかった。

いま私は、絵を描くことが好きになった。

なぜならば、私は絵を描くことができる、と知ったからだ。しかもそれで人の役に立てることを実感したからだ。

「できるようになる」と「やりたくなる」

やりたいことがない。好きなことがない。

それはもしかしたら、「できることがない」と思っているだけかもしれない。

やってみたら意外と「できるようになる」かもしれない。

「できるようになる」と「やりたくなる」かもしれない。

はじめの一歩は小さくてもいい。

気になることはやってみることだ。

やってみたいことをやってみることだ。

どっひー &sing

一日として同じ日はない

夕暮れは観るたびに異なる

空、雲、風、音、色

関係性はつねに変化している

そして教えてくれる

一日として同じ日はないのだ、と

二度と同じ景色を観ることはないのだ、と

明日はどんな夕暮れを観るのだろうか

いまだかつて観たことの夕暮れは

どんな姿をしているのだろうか

どっひー &sing

自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう人へ

ある大学生がこんなことを言っていた。

自分がやっていることは正しいのか?これからやりたいことは何か?と自問自答を繰り返す学生は多いですが、現代では自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう人の方が多いように思います。

この言葉を聞いた時、私はこう思った。

「これって、学生だけじゃなく、大人もそうなんじゃないの?」と。

自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう

もちろん、「他人にどう思われるか」は大切だ。「他人にどう思われるか」を考慮せずに、「自分の考え」だけを押し通す人は、ただのわがままな人に過ぎない。単なる好き勝手な人に過ぎない。「他人にどう思われるか」を考慮することは必要不可欠だ。

問題はその順序にある。

まず「自分の考え」があって、「他人の考え」がある。あるいは、「自分がどうしたいか」があり、それに対して「他人にどう思われるか」がある。

「自分の考え」や「自分がどうしたいか」がないままで、「他人の考え」や「他人にどう思われるか」ばかりを気にしていたら、自分がどんどんしぼんでいく。

自分がどんどん空虚になっていく。

自分がどんどんわからなくなっていく。

「他人の考え」を受け入れる力や「他人にどう思われるか」を考慮できる力は、とても素晴らしい力だ。他人から学ぶ力。他人に配慮する力。それはそれで大切な力である。

だが一方で、「自分の考え」を形成する力や「自分がどうしたいか」を自覚する力は、それ以前に重要な力だ。

これは、自分が自分の人生を生きるために、もっとも根幹になる力だからだ。

この根幹になる力がなければ、いつのまにか自分の人生が他人の言いなりの人生になりかねない。

自分の頭も体も心の中も、いつのまにか(無分別に)「他人の考え」や「他人の目」に侵され、支配されかねない。

自分が自分の人生を生きるためには、自分の根幹になる力をしっかりと打ち立てていく必要がある。

自分がやっていることは正しいのか?

これからやりたいことは何か?

この自問に対して「自分なりの答え」を得るために必要なことは、

「自分の考え」をしっかりと形成してくこと。

「自分がどうしたいか」をしっかりと自覚していくこと。

難しく考え込む必要はない。自己分析をする必要もない。

まして、どこかに何かを探しに行く必要もない。

すでに自分の中にあるものに光を当てればいい。

すでに自分がやっていることに光を当てればいい。

囚われているものを解放することだ。

大きく自分を解放することだ。

自分の根を張り、自分の幹を育てていくことだ。

どっひー &sing

いま、やってみたいことは何ですか?

アンドシング スクールの説明文を微修正しました。

昨日まで、

やってみたかったことをやってみる!

アンドシングスクールは、「いつかやってみたかったこと」を「いまからやってみる」ための学び場です。

と書いていました。

今日からは、

やってみたいことをやってみる!

アンドシングスクールは、「いま、やってみたいこと」を「いまからやってみる」ための学び場です。

に変えます。

理由は、「過去どうだったか?」に囚われず、「いま、どうしたいか?」だけに焦点を当てるためです。

「過去、何をしたかったのか?」「何ができなくて嫌だったのか?」はもはや関係ない。大切なのは「いま」から。

もちろん、「過去、やりたかったこと」=「いま、やってみたいこと」である可能性もある。だが、それは結果としてイコールになっただけ。必ずイコールになるわけではない。

過去のことは過去のこと。

大切なのは「いま」から。

人生、つねに現在進行形。

自分が変わるとすれば、それは必ず今日から。

あなたが、「いま、やってみたいこと」は何ですか?

アンドシングスクール

昨日までと今日は違う。

今日、自分のオリジナルソングが出来上がるかもしれない!

昨日まで一曲もなかったけど。

今日、自分のオリジナル名刺が出来上がるかもしれない!

昨日まで一枚もなかったけど。

別に自分オリジナルじゃなくてもいい。

今日、はじめてカレーをつくれるかもしれない!

昨日まで一回もつくったことがなかったけど。

今日、はじめてボタンつけができるかもしれない!

昨日まで一個もつけたことがなかったけど。

今日、はじめてアイロンがけができるかもしれない!

今日、はじめて笑顔で挨拶できるかもしれない!

今日、はじめて心から笑えるかもしれない!

いつだって、はじまりがある。

昨日までと今日は違う。

今日が一番若い。

今日、何かをはじめてみよう!

自分の好きを仕事にするための「お金」の話

自分の好きを仕事にする。

そのために、絶対に避けられないのが「お金」の話である。

①好きなこと、やりたいことをやって
②それが仕事になって(=お金をもらえて)
③その収入で自分の生活が回る(=家計収支がプラスになる)

この条件を「自分が頑張れば、なんとか実現できそうだ!」と思えていることが、「自分の好きを仕事にするための一歩を踏み出す」ために非常に重要になる。

好きなこと、やりたいことをやって、仮にそれが仕事になったとしても、「その収入では自分の生活は回らなそうだ」と思っている限り、新たな一歩を踏み出すことはない。

一方で、好きなこと、やりたいことで「自分の生活が回るだけの収入を得られる仕事はないか?」と辺りをキョロキョロと見回したところで、そんな「おいしい」仕事は見つからない。

すでに誰かがやっている「おいしそうな」仕事はあるかもしれないが、自分にとって「おいしい」仕事はない。なぜならば、自分はまだその仕事をしていないからだ。

このジレンマを解消するためには、自分でその仕事をやり始めてみるしかない。実際にその仕事をやってみて、「自分ならどれくらいの収入を得られそうなのか?」を確認してみるしかない。

一方で、それをやり続けた先で「どういう状態になれば、自分の生活が回るだけの収入を得られるようになるのか?」をイメージしておく必要もある。闇雲に仕事をやり続けるだけでは、ゴールに到達しない可能性があるからだ。

そして、このイメージの基礎になるのは「自分の生活が回るために必要な収入はいくらなのか?」ということ。

さらにその前提になるのは「自分の生活が成り立つために“最低限”必要な支出はいくらなのか?」ということ。

「自分の好きを仕事にしたい!」と本気で思う方は、ぜひ次の質問に答えてみてください。

自分の生活が成り立つために“最低限”必要な支出はいくらですか?

この金額が少ない人ほど「自分の好きを仕事にするためのハードル」も低くなることはお分かりいただけると思います。

逆に言えば、この金額が高い人ほど「自分の好きを仕事にするためのハードル」も高くなるため、より早い時期から準備を始めることが大切になるのではないでしょうか?


ジブンノシゴトのつくり方教室「第3回:自分の名刺をつくろう♪」のご案内

どうなる台風12号?

今週末、「台風12号が28日から29日にかけて本州に接近、上陸する恐れがある」という。

隅田川花火大会、フジロックフェスティバル、はたまたポケモンGOのスペシャル・ウィークエンドなどの大型イベントの開催はどうなるのか?

また、大型イベントに限らず、夏休みということで外出予定の方も多数いらっしゃることと思います。

台風12号の今後の動き。とても気になりますね。

いったい、どうなることやら…

アンドシング スクールでも、28日に2つの講座を開催予定なので心配しております。

願わくば、進路が外れてくれると良いのですが。

皆さま、どうぞくれぐれもお気をつけくださいませ。

そこはかとない不安は、想像力の欠如から生まれるのではないだろうか?

もしも言葉がなくなったら、会話はどのように行われるだろうか?

もしも肩書がなくなったら、自己紹介はどのように行われるだろうか?

もしも会社がなくなったら、仕事はどのように行われるだろうか?

もしも学校がなくなったら、教育はどのように行われるだろうか?

もしも家族がなくなったら、生活はどのように行われるだろうか?

言葉を失う可能性

肩書を失う可能性

会社を失う可能性

学校を失う可能性

家族を失う可能性

「ない」とは決して言えない。

当たり前にあるものを失う可能性を想像しておくこと。準備をしておくこと。

「何があっても食っていく。生きていく」ために、とても大切なことではないでしょうか?

逆に、当たり前にあるものを失う可能性を想像もしないこと。思考の枠外においてしまうこと。

その想像力の欠如が、

「もしも何かを失ったら食っていけないのではないか。生きていけないのではないか」

という、そこはかとない不安を生む要因になっているのでないでしょうか?


もしも言葉がなくなった時のために、自分の詩(うた)で会話してみませんか?

『シンガーソングライター教室(超入門)』
第3回:応援ミニソングをつくろう♪

日時:7月28日(土)16:00〜17:30
場所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、こちら(こくちーずプロ)から。
https://www.kokuchpro.com/event/391629ac3667472ed7d63a67d025765f/290229/


もしも肩書がなくなった時のために、自分の名刺で自己紹介してみませんか?

『ジブンノシゴトのつくり方教室』
第3回:自分の名刺をつくろう♪

日時:7月28日(土)13:30〜15:00
場所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、こちら(こくちーずプロ)から。
https://www.kokuchpro.com/event/62b56b4dd0302ba10ac84685ab5fd8ed/290367/


なお、本ブログ本文の記述にあたっては、『構想力の方法論』紺野登・野中郁次郎(日経BP社)から、多いに刺激を受けました。ありがとうございました。

役立たず不安

先日、一職体験会にいらっしゃった方が、こんなことをおっしゃっていました。

いま学校では、「役立たず不安」が問題になっている。

どんなに好きなことがあったとしても、自分が「人の役に立っていない」と思うと不安になっていく。それが不登校に繋がることもある。

自分が「人の役に立っている」と思える子は、自己肯定感が高く、自分の好きなことを追求することができる。

逆に、自分が「人の役に立っていない」と思っている子は、自己肯定感が低く、自分の好きなことを追求しづらくなる。

例えば、「福祉の仕事をしたい」という子がいたとする。これに対して一般的には「であれば、福祉の仕事に就けるよう、福祉関係の専門学校に行きなさい」という話になる。だけど、専門学校に通っているうちに、福祉の仕事は給料が低いことがわかってくる。一方で、福祉とは関係ないが、給料の高い仕事も見えてくるようになる。

この時、「福祉の仕事をしたい」と思ったけれど、それで自分が「人の役に立てる」と実感できていない子は、他の(給料の高い)仕事を求めるようになり、だんだん福祉の仕事から離れていくことになる。

一方で、「おじいちゃん、おばあちゃんの笑っている顔を見たい!」「私は福祉の仕事を通じて、その実現に貢献することができる(人の役に立てる)」「だから、福祉の仕事をしたい」と実感できている子は、自分のやりたいこと(福祉の仕事)から外れずに済む。

なので、好きなことを追求してそれを仕事にするためには、自分の好きなことが何かをわかっているだけでは十分ではなく、自分の好きなことで「人の役に立てる」と実感できていることが重要になるのではないか?

そのためにも、自分の好きなことで「人の役に立てる」と実感できる体験をどこかでする必要があるのではないか?

そんなことをおっしゃっていました。

「自分の好きなことを仕事にするための条件」と「役立たず不安」の関係。

みなさんはどうお考えになられますか?

感動を分かち合う

美味しいカレーを食べられるのは、美味しいカレーを作ってくれる人がいるから。

素晴らしい歌を聴けるのは、素晴らしい歌を歌ってくれる人がいるから。

逆に、

美味しいカレーを作れるのは、そのカレーを「美味しい!」と言って食べてくれる人がいるから。

素晴らしい歌を歌えるのは、その歌を「素晴らしい!」と言って聴いてくれる人がいるから。

食べる人と作る人。

聴く人と歌う人。

お互いがお互いに対して前向きに関わり合うからこそ、そこに感動が生まれる。

時と場合により自分の立場は異なれど、つねに相手に対して自分の感動を分かち合える人であれたら、とても幸せな毎日を過ごせるのではないでしょうか?

今日はこれから初の一職体験会。

テーマは、『好きを仕事にする50代からの脱サラ起業』

絶品キーマカレーとスパイスの効いた「ここだけの話」を、皆様とともに味わいたいと思います。