気持ちが猛烈に落ち込んだ時の回復法!5つのトリビア

今日は、気持ちが猛烈に落ち込んだ時の回復法について、書いておきたい。

大切な人を亡くした、という心のショックから立ち直るためのちょっとしたトリビア。

先日、父を亡くした私の経験談から、5つほどまとめておきたい。

万が一、同じような出来事に遭遇してしまった人にとっての参考になれば幸いである。

1. 外で思いっきり泣く

泣きたい時には、泣くのが一番。

心につっかかっているものは、思いっきり吐き出す。げーげー吐き出す。

周りに人がいると気が張って泣けないので、あえて一人になる。

私の場合、人通りの少ない道を歩きながら、というのが一番スッキリした。あとは、神社も良かった。

閉鎖された空間よりは、外に開いた空間で泣く方がより心を開放できるような気がする。

2. 馴染みの店に散髪に行く

父の葬儀式の翌日。ふと馴染みの美容室に髪を切りに行った。思いのほか、スッキリした。

髪が軽くなってスッキリした。と同時に、馴染みの美容師さんと話をすることで、心がすごくスッキリした。

その美容師さんとのお付き合いは、もう10年以上になる。曰く、「美容師は下手な親戚より身近な存在」とのこと。

そう言われてみればそうだ。私の場合、2ヶ月に1回ほど髪を切りに行く。2ヶ月に1回、年に6回。約束もせず、なのに必ず定期的に会う人なんて、そうそういない。

辛いことがあったら、髪を切りに行く。それも馴染みの美容師さんがいたらベストである。

3. 母と他愛のないことを話す

髪を切った帰り道、ふと母に会いに行こうと思った。

きっと母も落ち込んでいるだろう、と思い、励ましに行くことにした。

でも実際に実家に行って話をしていると、むしろ母から励まされた。

と言いつつ、私が行くことで母も喜んでいる様子だった。

同じ悲しみを共有できる人と、他愛のない話をする。

それだけで、心がスッキリした。

4. 大声で好きな歌をうたう

父の葬儀式の翌日は、たまたま歌のレッスンの日だった。だが、当日は、すっかりそのことを忘れていた。母と話をしていて、ふと思い出した。あ、今日、歌のレッスンやった!と。

なんか気分じゃないなぁーと思いつつも、このままペースを崩して行きたくもない。ということで、急ぎレッスンに向かった。

ここでもやはり、先生と他愛のない話をした。で、なんか歌いましょうか、ということで、歌を2曲うたった。

曲は、いずれもMr.Children。

『花』と『名もなき詩』

『花』はピアノ弾き語りで。『名もなき詩』は先生のピアノ伴奏で。

まぁ、感情が入る入る。

「負けないように 枯れないように」

「あるがままの心で 生きようと願うから」

半分、泣きながら歌っていた。カッコ悪くてもいいやと思った。その分、思い切って歌えた。声を出せた。感情をぶつけられた。

大声で歌をうたうことには、セラピー的な効果があるのかもしれない。

5. 人にチラシを配る

父の葬儀式から自宅に帰った夜。たまたま印刷を依頼していたチラシが届いていた。『シンガーソングライター教室(超入門)』のチラシだ。翌日、ふとそれをカバンに入れた。

美容室で配り、歌のレッスン先で配り、チラシを店に貼ってもらった。

会う人、会う人にチラシを配った。

紙のチラシってのは、なかなかいい。

渡すのに気を遣わずに済む。「これ、良かったら」と言って渡すだけ。

そのチラシを見てどうするかは、相手に委ねることができる。

別に無理くりリンク先へと誘導する訳でもない。

チラシを見るも自由。読むも自由。持つも自由。捨てるも自由。

それでいて、自分発信で何かを相手に届けることができる。

チラシを配るとなぜか気が楽になる。

チラシを配ると、誰かのために何かを届けている気分になる。そして、相手から何かしらの反応が返ってくる。その時その瞬間でのライブ感がある。そこにいる人と同じ時間を共有しているという居心地感がある。安心感がある。


気持ちが落ち込んでどうしようもない時。

もしかしたら、チラシを配ってみるのもいいかもしれません。

ちなみにこれが、歌のレッスン先で店内に貼ってもらったチラシの写真です。

こういうの。すごーく嬉しい。

音楽教室としては、ある意味で競合先(まあ、こちらは吹けば飛ぶような規模ですけど…)。

でも、音楽の楽しみを伝えるという意味では、協業先(まぁ、こちらが貢献できることはほとんどないのですけど…)。

いずれにせよ、人の優しさに触れた出来事でした。

感謝!!!

やっぱり気持ちが猛烈に落ち込んだ時には、人に優しくしてもらえるのが一番ですね。

私も、気持ちが猛烈に落ち込んだ人に出会った時には、そっと優しく接することのできる人でありたいな、と思いました。

気持ちが猛烈に落ち込む時。

そりゃ、誰にでもありますよねー♪

そういう時にはしっかりと泣きましょう!

どっひー &sing

自分事と他人事

父を亡くして5日目。

いまだに、外の世界との関わり方がしっくりこない。

気持ちを切り替えて、しっかりしなきゃ!とは思うものの、なんか腰が上がらない。

腰を上げるための床がない、というのか、底がない、というのか。

手をつく場所がない感じがしている。

家族や親族のことは、ものすごく自分事として我が身に迫ってくる。

父が暗に担っていた役割というか存在の大きさを感じさせられる。

一方、家族や親族以外の人たちのことは、やけに他人事に感じられる。

もちろん、仕事で関わっている人たちのことは、ものすごく気になっている。

次回のシンガーソングライター教室のことも、ものすごく気になっている。

だけど、内の世界(自分と家族と親族)と外の世界との間に、妙な膜がかかっているような感じがする。

元気がない訳ではない。

やる気がない訳ではない。

腰を上げる気もある。

だけど、手をつく場所がない。

よっこらせ、と手をついて腰を上げるための底がない。床がない。

今日は、これから仕事の打ち合わせ。

しっかりと集中する。

一つ一つ目の前のことにしっかりと関わっていく。

外の世界との関わり方を取り戻していくのには、それが一番いいのだろう、という気がしている。

もともと「そこ」にいた人がいなくなった。そして、自分が「そこ」に入る役割を担うことになった。

まだ、僕がいる場所はズレている。

僕が「そこ」に入り切るまでには、まだもう少し時間がかかる気がする。

ゆっくり焦らず。

でも怠けず。

内の世界のことであれ。

外の世界のことであれ。

一つ一つ目の前のことにしっかりと関わっていきたいと思う。

父は孫息子を見て、こう言い残した。

「なんでもいいから、一人で食べていける力を身につけさせてやらないとな」

これは、息子たちの父親として、私自身が取り組むべき課題である。

と同時に、日本の社会と経済の未来を見据えた時に、事業家として取り組むべき課題でもある。

"何があっても食っていける力を身につける"

そのためにやるべきことをやっていく。

と書き終えたところで、ほんの少しだけ、内の世界と外の世界が重なり始めたような気がする。

追伸:

葬儀式の翌日、散髪をして、母と話しをし、歌をうたうと、気持ちが楽になる、ということを発見しました。

どっひー &sing

親孝行したい時には父はなし

今日の話題は、死にまつわる話題である。

本来であれば忌避すべき話題である。

ブログに書くべき話題でもないかもしれない。

だが、親の死に目に遭わない人はいないだろう。

私の人生における貴重な学びの一つとして、いま感じていることを書き綴っておこうと思う。

親孝行

したい時には

父はなし

石にソングを

聴かすのみ

2018年5月12日(土)午後7時31分。父が他界した。

享年74(満73歳)。昨日、無事に葬儀式を終えた。ガンだった。

3月29日。しばらく病院に入院していた父が退院してきた。実家での在宅医療に切り替えるためだ。

3月31日。主治医から余命宣告された。長くて6ヶ月。3ヶ月くらいかもしれない。もしかしたら明日かもしれない。そう言われた。

余命のことは、本人には伝えていなかった。だが、本人は自覚していたようだ。

今年のお正月には、「今年いっぱい生きられるかどうか…」と言っていた。延命措置はしないように、との要望書も書き綴っていた。

4月いっぱいは、自宅療養。介護ベッドと酸素ボンベを設置した状態。ガンが肺に転移し、自分一人の力では呼吸ができない。足がむくんで棒のようになり、トイレに歩くこともままならない。だが、意識はしっかりとしており、会話にも苦労せず、食べる物にも制約はなかった。また、祖父が書き残していた自分史の続き、すなわち父の自分史を短いながらもiPadで書いて(打って)もらえたことも幸いであった。

私が会う時は、父はいつもにこやかで穏やかであった。

4月21日。父の誕生日だった。翌日、家族全員が集まり、父の誕生日を祝った。みんなで一緒にお昼ご飯を食べた。お酒を飲んだ。ケーキを食べた。写真を撮った。結果として、この時の写真が、最後の写真となった。

5月1日。父は、ふたたび入院した。足のむくみがひどくなり、呼吸の不安で夜も寝づらくなったためである。治療のための病院ではなく、痛みを緩和するための病院である。

5月5日。病院へ父の見舞いに行った。びっくりした。急激に痩せていた。少し不安になった。だが、父はせんべいを食べていた。1ヶ月程度の入院だと聞いていた。まだ大丈夫だろう、と思っていた。軽く手を握って、「じゃあまた」と言って別れた。結果として、この日が、生きている父と会った最後の日となった。

5月12日。私は朝から京都に行っていた。読書会に参加していた。それが終わった後、大阪の難波で買い物をした。メッセージカードとケーキを買った。ケーキは、妻の誕生日祝いのため。メッセージカードは、母の日祝いのため。15時頃、自宅に戻った。まず、母の日に贈る歌(の動画)をDVDに書き込んだ。そして、メッセージカードに母へのメッセージを書いた。それから、妻の誕生日祝いの晩御飯の買い物に出かけた。

18時頃。買い物から帰る道すがら、母から電話があった。病院から「すぐ来て欲しい」との連絡があったとのこと。

母曰く、「さっき17時頃まで、私(母)と娘と孫娘で父を見舞っていた。少ししんどそうだったけど、せんべいを食べていた。なんだろうね?」とのこと。

私も「なんだろうね?」と思いつつ、「わかった。すぐ行くわ」と応える。妻に、「ちょっと行って来るから待ってて。ごめんね」と伝える。

病院に着いたのは、18時40分。妙な胸騒ぎを感じつつ、病院内にかかっていた時計を確認した。

病室に着いた。

母が「もう息してないよ」と言った。「もう亡くなってるよ」だったかもしれない。

「えっ!」と叫ぶ私。

父の顔に近づいてみると、ほんとうに息をしていなかった。

母は言う。「手、まだ温かいよ」と。

父の手を握る。

温かかった。

父の顔は穏やかだった。

父が息を引き取る瞬間。病室には誰もいなかった。

その直前、父は、母と妹と孫娘に会っていた。

まだ1歳にもならない孫娘の名前を何度も何度も呼んでいたらしい。

父は、自分の命を孫娘に託したのではないかと感じる。

私も、父から何かを託されたように感じる。

何より、良き死に様を見せてもらった。

どんなにつらくても、苦しくても。

最後まで希望を失わず、つねに笑顔で前向きであること。

他人を気遣うこと。

父は、死へと向かっていく自分の姿をもって、大切な生き様を私に見せつけてくれた。

悲しくもあり、嬉しくもある。

父の息子で、ほんとうに良かったと思う。

私にとって、父は、ごく普通の人であると同時に、唯一無二の特別な人であった。

唯一の心残りは、父の日にオリジナルミニソングを聴かせてあげられなかったことである。

まぁ、父が聴きたかったのかどうかはわからないけど、私には父に伝えたいことがあった。

一方で、伝えたい言葉は、一つしかない。

ありがとう

父の日には、この一言を込めたオリジナルミニソングを贈りたいと思います。

私は、心のどこかで、まだ大丈夫だろう、と思っていた。

父の日までは持つだろう、と思っていた。

だが、明日のことは誰にもわからない。

今回、そのことを身を持って実感した。

そしてそれを実感した時には、事は終わっていた。

親孝行したい時には父はなし

会いたい

手を握りたい

想いを伝えたい

そう思った時にそうするのが一番だなぁー、と思います。

素直が一番!

5月26日のシンガーソングライター教室もよろしくね♪

どっひー &sing

今日はいつから今日なのか?

ふと思う。

今日はいつから今日になるのか?と。

いまはいつからいまになるのか?

さっきでもなく。

これからでもなく。

「いま」に変わる区切り。

その区切りを意識できたなら。

新しい「いま」に至れるのかもしれない。

後悔は癒え。不安は癒え。

安心と希望を感じとることができるのかもしれない。

『日をめくる』

寝る 起きる

目が覚める

暗くなる

日が昇る

前と後

昨日と今日

区切りはいったい

どこにある?

前と後

昨日と今日

変化はいったい

どこにある?

前と後

昨日と今日

景色は何も変わらない

意識が自分を変えるだけ

寝る 起きる

目が覚める

暗くなる

日が昇る

季節はめぐる

日をめくる

今日も良い一日を♪

どっひー &sing

他を想う ゆえに我あり

昨日は大変な一日だった。

そして他を想うことの大切さを実感した一日であった。

"他を想う ゆえに我あり"

人は、想い想われ生きている。

他を想うこと。

とても大切なことである。

今日は母の日。

今日からしっかりと母のことを想いたいと思います。

『てのぬくみ』

ぬくぬくぬくぬく

てのぬくみ

おててのぬくもり

ててててて

ぎゅともいいけど

そっともいいよ

ぬくぬくぬくぬく

てのぬくみ

手を握るということ。

手を添えるということ。

照れくさいけど

大切なことだと思います。

今日も愛に溢れる一日を♪

どっひー &sing

母の日のプレゼントに歌を歌ってみたものの…

昨日、母の日のプレゼントを録音しに行きました!

曲は、いきものがかりの『ありがとう』。

楽器はアップライトピアノ。

歌は弾き語り。

録音機材はiPhoneのボイスメモ。

途中で消したものも含め、20テイク以上は、録ったかな。

思いのほか、時間がかかりました。

そして思いのほか、気持ち良かったです。

「誰かのことを想って歌う」ということは、なかなかに良いです。

いい歌を歌えているかどうかはわかりませんが、僕が母のことを想って歌ったことは確かです。

歌っている途中で、何度も何度も、涙ぐんじゃいました。(最近、やけに涙もろいんですよね。年のせいなのかな…)

で、肝心な話はここから。

家に帰って、iMovieで編集。

録音した音源に、パワポのスライドと数枚の写真をつけて動画にする(動画と言ってもスライドと写真だから動かないですけど…)。

まぁ、なんだかんだで、動画が完成。

それをyoutubeにアップする。

もちろん、公開ではなく、「限定公開」。自分の歌、見知らぬ人に聴かれたら、こっぱずかしいですからね。

画質もSD(標準画質)ならそれほどアップロードに時間はかからない。

で、問題はここから。

この動画(のリンク)を、どうやって母に渡すのか?

実は母は、スマホを持っていない。持っているのはガラケー。

ん?ガラケーで、youtubeは観られるのか?

まぁ、リンクはメールで母のガラケーに送るとしても、そこからどうやってyoutubeに辿り付いてもらうか?

いま、父に僕のiPadを貸し出し中だから、それで聴いてもらうか…

一方、ラインで送るのも、いいかな、と思いつつ、そもそもガラケーでラインはできるのか?

母はラインやってたっけな?

仮にラインがOKでも、やっぱりガラケーではyoutubeは観られないよな。

ってことは、ラインで送れる動画にしないといけないな…

などなど。

そうなんです!

いまさらながらなのですが…

シンガーソングライター教室を開いておきながら。

父の日ミニソングをつくろう♪という講座を企画しておきながら。

"つくった曲をどうやって父に(今回は母に)送るのか?"

について、考え切れていなかったのです!

いやー、あぶない、あぶない。

ってか、大丈夫か、オレ?

あと、もう一つ。

実際に母に歌を贈ろうとして困ったこと。

それは、

"自分で歌った歌を贈るのは、かなり恥ずかしい”

ということ。

歌を録音し、動画をつくるところまで行ったのに。

そこまで行っておきながら。

やっぱり渡すの止めようかな、と思っちゃう自分がいる。

だって、はじめてだもん。

母に歌を聴かせるの。

反応がわからん。

別に、笑われるとは思わないし、まして怒られるとも思わない。

でも、なんか恥ずかしい。

特に、僕が目の前にいる状況で、母に僕の歌を聴かれるのは、やはり恥ずかしい。

だから、どうにかして、僕がいないところで、母に動画を観てもらえるようにしたい。

この「なんか恥ずかしい」という心理的なハードル。意外と大きいです。

まぁ、とは言え、一度やってみます。

自分で教室を開いた以上、他人事ではなく、自分事として、やってみます。

その結果は、またシェアしますね。

もちろん、講座の内容にも反映させていただきますね。

いま、講座にご参加いただいた方限定の秘密のfacebookグループを準備中です。

一人でも多くの方が、オリジナルミニソングを完成させ、それを大切な人に届け終わるまで。

しっかりと伴走(伴奏?)させていただきたいと思っています。

というか、何より僕自身が、多くの人から力を貸してもらわないと、自分の歌を歌えるようにならない、と思っています。

だって、母に他人の曲を歌って聴かせることすら、恥ずかしいんですよ。

これが自分の曲だったら、と思うと…

でも、今年は絶対、父にはオリジナルミニソングを贈る!!!

と決意しております。

『シンガーソングライター教室(超入門)』

第一回:父の日ミニソングをつくろう♪

もよろしくお願いいたします。

https://www.kokuchpro.com/event/391629ac3667472ed7d63a67d025765f/290197/

はてさて。

明日、どうやって母に歌を贈るか?

お母さん、喜んでくれるかなぁー♪

どっひー &sing

ネガティブな思いを詩で吐き出してみる

昨日ブログに詩を書いて公開した。そのせいなのか、今日、新たな詩が生まれて来た。

ふだんネガティブな感情を口にすることが苦手なので、あえてネガティブな思いを吐き出してみた。

「こんなこと、言っちゃいけない」

「隠さないといけない」

と感じたことから素直にスタートすると詩を書きやすいのかもしれません。

知らんけど・・・

===

『胸に刺さる痛み』

人と人がわかりあえず

反発しあい

いがみあう

エスカレートする言動

殺気立った感情

棘のある言葉

殺伐とした物音

ただ胸を締めつける

こらえると苦しくなる

明るく振る舞うとからっぽになる

無視することはできない

消し去ることはできない

ただそこにあるものを

受け止めてみるだけ

胸に刺さる痛み

誰もが胸に刺したまま

立ち上がり

歩いていく

===

おそまつサマでした^ ^

追伸:

今日は会社設立100日目。

ゆえに今日のブログが100本目。

100日続けると何かが変わるのかもしれない。

どっひー &sing

目が死んでいる…

この詩は、私が2年ほど前に、書いた詩である。

『人間こわい』

人間こわい

目がこわい

光のない目が

一番こわい

by どっひー

この詩を書いた(スマホにメモした)のは、ある日の朝。最寄駅のホームで。電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちを見た時だ。

その当時、たまたま『坂村真民一日一言』坂村真民(致知出版社)という詩集を読んでいた。ほぼ毎月、私が通っている一般社団法人人間塾主催の読書会の課題図書だったからだ。

この詩集には、とても短い詩がたくさん載っている。「あっ、詩ってこんな短くていいんだ!」と思った私は、「自分でも詩を書いてみよう!」と思っていた。

そんな気持ちの中で、私が切り取った光景は、電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちだった。

それも、目に意識がいった。

目が死んでいる…

顔は無表情。

電車を待つその姿に覇気は感じられない。

何かに取り憑かれているような…

何かに操られているような…この時間になったら電車に乗らないといけない。だから、駅のホームに立っている。そこに意味も希望もない。ただ、仕方がないんだ…そんな印象を受けた。

むかーし、タレントのベッキーさんが、テレビでこんなことを言っていた。

忙しいって、心を亡くすって書くんですよね。

だから、私は忙しいとは言わないように気をつけているんです。

と。まさに、その日の朝。最寄駅のホームで見た、電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちは、心を亡くしているようだった。

振り返ってみると、「満員電車に乗りたくない!」「目が死んでいる大人には絶対なりたくない!」と強く思ったのは、高校1年生の時だった。

はじめて電車で通学するようになり、はじめて満員電車に乗った。その時、はじめて満員電車に揺られる自分になった。そして、はじめて満員電車に揺られる大人たちを見た。

高校1年生の私は、「満員電車は、人の心を奪うのだ」ということを知った。

朝の通勤。満員電車。誰が悪いという訳でもない。

だが一方で、この仕組みは、人間がつくったものである。

「目をいきいきと輝かせて出勤しようぜ!」とは言わないが、せめて「目が死んでいる」状態くらいは回避したい。なんとかしたい。

できれば、こんな詩を心から書けるようになりたい、と思っている。

『人間すてき』

人間すてき

目がすてき

光のある目が

一番すてき

ある日の朝。最寄駅のホームで。電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちが、そんな目をしていたら嬉しいな、と思います。

もちろん、自分もそうなれるように、がんばりますっ!

今日は寝不足気味なので、ちょっと目が疲れているかもしれませんが…

今日もすてきな一日を♪

どっひー &sing

追伸:

もしよろしければ、父の日にすてきなミニソングを歌ってあげてください^ ^

『シンガーソングライター教室(超入門)』

第一回:父の日ミニソングをつくろう♪

の講座はコチラから。

https://www.kokuchpro.com/event/391629ac3667472ed7d63a67d025765f/290197/

辞めざるを得なくなった人

会社を辞めざるを得なくなった人

学校を辞めざるを得なくなった人

それでいて前向きな人

どうやら、僕はそういう人にやたら共感するようだ。

それはきっと、僕自身が組織に馴染めなかったからなのだろう。

僕は、集団が苦手だ。

我々はかくあらねばならぬ、という掟のようなものに縛られた集団。

僕は、そういうものに馴染めない。

どうしても、自分がそこからはみ出してしまうからだ。

そのため、組織がマジョリティで、自分自身はマイノリティだと感じてしまう。

あらっ、組織に馴染めない自分は変なのかな?と思ってしまう。

僕を知る人の中には、「僕が組織に馴染めなかった」と聞いてビックリする人もいるかもしれない。

たぶん、おそらく、僕は、そこそこ組織の中でうまくやってきた。

学校でも成績は悪くなかったし、会社でもまぁ普通に昇格していたった。

でも、どこまでいっても、学校にも、会社にも馴染めなかった。

結局、僕は学校や会社の掟に”完全に”自分を合わせることができなかったのだ。

だが、それはゼロか100かではない。

おそらく僕は、組織の掟に自分の70%をくらいを合わせることができる。

だが、残り30%はどうしても組織の掟に合わせることができない。

それは具体的に言えば、

  • たとえやることがなかったとしても就業時間は出社していなければならない、とか
  • 逆に、たとえやることがあったとしてもノー残業デーだから退社しなければならない、とか
  • リモートワークで済むのに、あえて満員電車に乗って出勤しないといけない、とか

こう書き出すとつまらないことだらけ。

でも、僕は、この一見つまらなそうな掟やルールに自分を合わせることができなかった。

毎日毎日続く、無駄な時間の過ごし方に耐えられなかった。

ってことで、僕は40歳になって、会社を辞めた。

で、その後1年間の独立を経て、再度2年間、会社に勤めた。

そして、僕は44歳になって、また会社を辞めた。

きっと僕は、会社を辞めたかった訳ではないのだろう。

僕は、会社を辞めざるを得なかったのだと思う。

だから、会社を辞めたり戻ったりしている。

自分の会社をつくったりもしている。

自分の会社をつくったとしても、会社は会社だ。

会社を辞めざるを得なかったがゆえに、どういう会社であれば、どういう働き方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。

またどうように、どういう学校であれば、どういう学び方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。

会社を辞めざるを得なくなった人

学校を辞めざるを得なくなった人

それでいて前向きな人

僕は、そういう人にやたら共感する。

それは、僕自身が組織に馴染めなかったからだ。

だからこそ

僕は既存の組織の枠外で、

新しい会社の在り方

新しい働き方

新しい学校の在り方

新しい学び方

を自分なりにつくっていきたいと考えている。

そして、そこでつくられていく場が、組織に馴染めず、組織を辞めざるを得なくなった人(あるいは組織を辞めざるを得なくなりそうな人)にとっての宿り木になればいいな、と思っています。

どっひー &sing