教えることは学ぶこと

学校には、教師と生徒がいる。
教師は教える人で、生徒は学ぶ人。

しかし実際には違う。

実は教える人が一番学んでいる。

「どうすれば、相手にわかってもらえるだろうか?」
「どうすれば、相手にできるようになってもらえるだろうか?」

教える人は、ずっとこの質問を掲げ続けている。
そしてその答えを探し続けている。

その過程で答え(らしきもの)を見つける。
そしてその答え(らしきもの)で教えてみる。

その結果、相手にわかってもらえることもある。
相手にできるようになってもらえることもある。

だが、必ずしもそうではない。
いや、むしろそうではないことの方が多いだろう。

相手にわかってもらえなかった…
相手にできるようになってもらえなかった…

「どうすれば、相手にわかってもらえるだろうか?」
「どうすれば、相手にできるようになってもらえるだろうか?」

教える人は、ずっとこの質問を掲げ続けている。
そしてその答えを探し続けている。

教えることは学ぶことである。
そして、誰もが誰かに何かを教えている。

親は子どもに対して。
上司は部下に対して。
教師は生徒に対して。

わかってもらおうとしている。
できるようになってもらおうとしている。

逆もまたしかり。

子どもは親に対して。
部下は上司に対して。
生徒は教師に対して。

わかってもらおうとしている。
できるようになってもらおうとしている。

人はみな、教える人であり、学ぶ人である。

相手にわかってもらおうとすること。
相手にできるようになってもらおうとすること。

その過程の中に、学びはある。

あなたが、誰かに教えたいことは何ですか?

わかってもらいたいこと、できるようになってもらいたいことは何ですか?

そこからどんなことを学んでいますか?

どっひー &sing

「好きなこと=仕事」にする必要はない

『何があっても、食っていける力を身につける』ために、「好きなこと=仕事」にする必要はない。

「何があっても食っていく」ために必要なことは、唯一、働くこと。仕事をすること。誰かのために働くこと。

したがって、「何があっても食っていける力」とは、「何があっても働ける力」と言える。

「何があっても働ける力」である以上、「何かあった時に就く仕事=自分の好きなこと」に限定することはできない。

「何かあった時に就く仕事=自分の好きなこと」に限定してしまうと、明らかに就ける仕事が狭くなってしまう。自ら可能性を狭めてしまう。

何かあった時に選り好みすることはできない。自分の好きなことと全く関係のない仕事であったとしても、やらざるを得ない時もある。

また、そもそも「好きなこと=仕事」にしなければならない理由もない。

自分の好きなことと全く関係のない仕事に就きながら、自分の好きなことを趣味として楽しむ。それはそれで充実した毎日を送ることができるだろう。

いや、もしかしたら、自分の好きなことを決して仕事にせず趣味として貫いた方が、仕事の選択肢が多くなっていいかもしれない。何かあった時に就ける仕事が沢山あった方が、「何があっても働ける」し、「何があっても食っていく」ことができる。それにより、「何があっても好きなことを続けられる」だろう。

「好きなこと=仕事」にするかどうかは、人それぞれ。

「好きなこと=仕事」にする人もいれば、「好きなこと=趣味」にする人もいる。

「何があっても食っていける力」を身につける。「何があっても働ける力」を身につける。

そのために大切なことは、「好きなことを持ち続ける」こと。

「こんな状態を実現したい」と願い、あくなき好奇心を持ち、新たなことに挑戦し、今日をワクワクと楽しむ心を持ち続けることである。

どっひー &sing

リーダーは立場ではない

リーダーは立場ではない。

リーダーは立ち居振る舞いである。

持ち場ごとでの立ち居振る舞いである。

その前提としての心の構え方である。

すべての持ち場にリーダーはいる。

会社でも、学校でも、家庭でも。高校野球でも、演劇でも、オーケストラでも。

すべての持ち場にリーダーがいる。

表に立つか裏方かは関係ない。

持ち場、持ち場にリーダーがいる。

あるチームの中で、ある役割を担う人。

その人がその役割のもとでリーダーとして立ち居振る舞うか否か。

ただ、それだけである。

ゆえに、リーダーになることは、いまから始められることである。

私たちは、すべての人がリーダーたりえる、と信じています。

【私たちの想い】

https://and-sing.com/concept/

どっひー &sing

リーダーが落ち込む時

昨日、『「ごく身近にいるリーダー」と「そうでない人」との微妙だけど大きな違いについて』書いた。

基本的に、リーダーは「自ら率先して声をかけ、行動する人」であると言える。

だが、時にそれができなくなっていく時がある。

例えば、

  • 自分がとった行動に共感してくれる人が誰もいない時
  • 仕事や生活に追われて望ましい行動を取る余裕がない時
  • 行動は取ったがその成果を手応えとして感じられない時

こういう時、リーダーは落ち込んでいく。

共感、余裕、手応えがないままだと、徐々に望ましい行動を取れなくなっていく。

リーダーとして取るべき行動がわかっているだけに、その行動を取れない自分を責めていく。

自分はリーダーではないんだと自信を失っていく。

そして、もともとは自然にやっていたはずのリーダー的な行動の数々を失っていく。

じゃあ、どうしたらいいのか?

かつて、毎朝、職場で挨拶をしていた人がいた。

しかし、その職場の人たちは彼に挨拶を返さなかった。

彼は悩んだ。

「どうしてこの職場の人たちは挨拶をしないんだろうか?」と。

彼は徐々に挨拶をしなくなった。

そして会社を辞めた。

それから数年を経て、私は彼と再開した。

その時、彼はこう言った。

「転職後に海外で働いてみて価値観が大きく変わりました。彼らは日本人みたいに残業なんてしません。会社のことよりも自分や家族のことを優先します。挨拶をするかしないかなんてその人の自由。仕事中に大切なことは必要な仕事をしているかどうか」

「当時は、こだわりすぎていました。自分の価値観を一方的に押し付ける必要はないんだ、と今では思います」

押し付ける必要はない。

無理する必要はない。

共感、余裕、手応えを無理に求める必要はない。

自分がいいと思うことをやればいい。

それも自分のできる範囲でやればいい。

できる限り、アンテナが外向きに開いていればいい。

できる限りでいいから、「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」を構えておけばいい。

どっひー &sing

「ごく身近にいるリーダー」と「そうでない人」の微妙だけど大きな違いについて

「こちら、どうぞ〜」と笑顔で手を上げながら、レジを開けるコンビニの店員さん。

いつも「いいな〜」と思う。

一方で、レジにどんなに人が並んでいたとしても、何か別のことを黙々とやっている店員さんがいる(知ってか知らずかはわからないが)。

こういうことって、日常のそこかしこである。

オフィスのトイレに入った時、「おはようございます!」と明るく声をかけてくれる清掃員さんもいれば、ただただ無言で作業をしているだけの人もいる。

家に荷物を届けてくれる配達員さんもそう。扉を開けた時、「こんにちは!」と元気に声をかけてくる人もいれば、さっさと荷物を渡して帰ろうとする人もいる。

自ら率先して声をかけ、行動する人は、なぜか仕事もテキパキしている。声は明るく、目も明るい。

逆に、無口で下を向きがちな人は、心なしか仕事も緩慢に見える。背中は暗く、目も合わない。

この違いは何だろうか?

当然ながら、仕事の内容に違いはない。おそらく勤務条件も給与水準も大きくは違わないだろう。

場所も関係ない。たとえ、同じコンビニ、同じトイレ、同じトラックであったとしても、人が違うだけで対応が異なることがある。

だとすれば、違いを生むのは、その人自身。

その人自身が持っている何か。

それもスキルやノウハウというような小難しいものではなく、頭の賢さでもなく、いわば心構えのようなもの。

「自ら率先して声をかけ、行動する人」は、その前提として、「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えているのだろう。

だからこそ、つねにアンテナが立っている。自分の周りの環境やそこにいる人たちの状況や変化を察知することができる。

困っている人がいれば、気づいてヘルプに動く。あるいは、これから人が困りそうな状況があれば、早めに気づいて対処する。

仮に困っている人がいなかったとしても、「こうした方が嬉しいかな」「安心するかな」「居心地いいかな」と相手のことを気遣う。

だからこそ、いまやっていることをいったん止めてでも、自ら率先して声をかけ、そして行動するのだろう。

「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えている人は、アンテナもつねに外向きに開いている。

もちろん、アンテナの届く範囲やアンテナで察知する早さは人それぞれ。

アンテナの届く範囲が、半径数メートルの人もいれば、半径数百キロメートルに及ぶ人もいるだろう。

アンテナで察知する早さも、いまを察知する人もいれば、数十年先までを察知する人もいるだろう。

だが、どちらにせよ重要なのは、「つねにアンテナが外向きに開いているかどうか」ということ。

どんなに範囲が小くても、察知が遅くてもいいから、せめて外向きのアンテナだけは立てておきたいものである。

そのためにも、「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えておきたいものである。

どっひー &sing

自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう人へ

ある大学生がこんなことを言っていた。

自分がやっていることは正しいのか?これからやりたいことは何か?と自問自答を繰り返す学生は多いですが、現代では自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう人の方が多いように思います。

この言葉を聞いた時、私はこう思った。

「これって、学生だけじゃなく、大人もそうなんじゃないの?」と。

自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう

もちろん、「他人にどう思われるか」は大切だ。「他人にどう思われるか」を考慮せずに、「自分の考え」だけを押し通す人は、ただのわがままな人に過ぎない。単なる好き勝手な人に過ぎない。「他人にどう思われるか」を考慮することは必要不可欠だ。

問題はその順序にある。

まず「自分の考え」があって、「他人の考え」がある。あるいは、「自分がどうしたいか」があり、それに対して「他人にどう思われるか」がある。

「自分の考え」や「自分がどうしたいか」がないままで、「他人の考え」や「他人にどう思われるか」ばかりを気にしていたら、自分がどんどんしぼんでいく。

自分がどんどん空虚になっていく。

自分がどんどんわからなくなっていく。

「他人の考え」を受け入れる力や「他人にどう思われるか」を考慮できる力は、とても素晴らしい力だ。他人から学ぶ力。他人に配慮する力。それはそれで大切な力である。

だが一方で、「自分の考え」を形成する力や「自分がどうしたいか」を自覚する力は、それ以前に重要な力だ。

これは、自分が自分の人生を生きるために、もっとも根幹になる力だからだ。

この根幹になる力がなければ、いつのまにか自分の人生が他人の言いなりの人生になりかねない。

自分の頭も体も心の中も、いつのまにか(無分別に)「他人の考え」や「他人の目」に侵され、支配されかねない。

自分が自分の人生を生きるためには、自分の根幹になる力をしっかりと打ち立てていく必要がある。

自分がやっていることは正しいのか?

これからやりたいことは何か?

この自問に対して「自分なりの答え」を得るために必要なことは、

「自分の考え」をしっかりと形成してくこと。

「自分がどうしたいか」をしっかりと自覚していくこと。

難しく考え込む必要はない。自己分析をする必要もない。

まして、どこかに何かを探しに行く必要もない。

すでに自分の中にあるものに光を当てればいい。

すでに自分がやっていることに光を当てればいい。

囚われているものを解放することだ。

大きく自分を解放することだ。

自分の根を張り、自分の幹を育てていくことだ。

どっひー &sing

「yu-kaと凸凹フレンズ」初ライブのご案内

今週8月4日土曜日に神戸で、応援ソングライターのyu-kaさんが「yu-kaと凸凹フレンズ」としての初ライブを開催します。

ライブはなんと、“Pay What You Want(PWYW)”方式。
「この場での五感を含む感じたことやyu-kaへのこれからの期待に対して、きてくださる方自身がお金として払いたい分だけお支払いくださればと思います」とのこと。

神戸にお住まいの方、あるいはその日、神戸方面に行く用事のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ足を伸ばしてyu-kaさんの素敵な歌声を聴きに行っていただければと思います。


ちなみに、こちらのyu-kaさんに関する記事。2018年1月時点のものですが、この記事の最後にはこう書かれています。

私は趣味で、発達障害について表現した曲を作り、ピアノで弾き語りをしています。仕事に限らず、そんな小さな「自分だからできること」を見つけて、誰かの役に立つことが出来たらと思っています。それがゆくゆくは、自分らしく生きる道を広げてくれると信じています。

誰かの役に立ちたくて、「自分だからできること」を考えた。発達障害のある私が見つけた自分を活かす働き方

あれから約半年経った今。yu-kaさんは、以前務めていた会社を退職して独立し、応援ソングライターを仕事としながら、その活動の幅を大きく広げようとされています。

*以前、yu-kaさんの活動をご紹介させていただいた「学ぶログ」の記事はこちら。
「一人一人違うからこそいい」「がんばるあなたを曲で後押ししたい」

yu-kaさんと凸凹フレンズがいま目指しているのは、500人規模の凸凹ライブ!
(この記事で使わせていただいている画像は『Yu-Kaと凸凹フレンズ」のロゴで、凸凹フレンズのお一人、あかりんさんの作品です)

そして今回の初ライブは、その500人規模の凸凹ライブ実現に向けた活動の第一歩となります。

そんなyu-kaさんと凸凹フレンズの想いがたくさん詰まった歌の数々。

ぜひ一度、生で聴いてみていただければと思います。


『Yu-kaと凸凹フレンズ ~みんなで創ろう!初ライブ~』
日時:2018年8月4日(土)18時〜21時
場所:はっぴーの家ろっけん(兵庫県神戸市長田区二葉町1-1)

詳細は、facebookページ、またはこくちーずプロのイベント案内をご確認ください。
*facebookページのイベント案内
https://www.facebook.com/events/250977145678660/

*こくちーずプロのイベント案内
https://www.kokuchpro.com/event/yu_kafriends/

働き方を変えたければ、値札を変えよ

以前、ある個人事業主の方からこんな相談を受けた。

「働いても働いても生活が楽にならないんです」

「忙しいのにお金が足りないからまた働く。そしたらまた忙しくなる。なのにお金は残らない。まさに働けど働けど暮らし楽にならず…」

「どうしたらいいんでしょうか?」

私は、その方に尋ねた。

「〇〇さんの希望する月収はいくらですか?」

その方はこう答えた。

「50万円です」

その方の収入源となる仕事の種類は3種類。

仕事の種類ごとにおおよその月収を聞いてみると、どう考えても希望月収には到達しない。

一方で、それぞれの仕事にかかる時間を聞いてみると、どう考えても暇がない。

私の見たところ、その方は「計画通り」忙しく、かつ、希望月収を実現していない、という状態にあった。

言い換えれば、いまのやり方を続けている限り、いつまでも希望月収には到達しないし、いつまでも仕事で忙しいままである、ということだ。

働けど働けど暮らし楽にならず。貧乏暇なし。

特に、問題だったのが値札。

自分の仕事に関する値付けが安すぎる。

私は聞いた。

「なぜこの仕事の単価は、この値段なんですか?」

「この単価を倍にすることはできませんか?」

その方はこう言った。

「考えたこともなかったです…」

「単価を倍にするなんてこと。私にできるのでしょうか?」

問題は、「できる」か「できない」かではない。

「やる」か「やらない」かである。

その方の場合、限られた時間の中で、「どうしても希望月収を実現したい」のであれば、単価を上げるしかなかった。その上で、上げた単価に見合うだけの価値を提供するしかなかった。

もし単価を上げることに取り組まないのであれば、希望月収を下げるか、寝る間を惜しんで働くかしかない。

問題は、「できる」か「できない」かではない。

「やる」か「やらない」かである。

働き方を変えたい時。

時には、思い切って値札を変えることも必要である。

どっひー &sing


「好きを諦めない働き方を見つける」
キャリア選択前のはじめの一歩
『ジブンノシゴトのつくり方教室』
第4回:自分の仕事に値札をつけよう♪

日時:8月25日(土)13:30〜15:00
場所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、こちら(こくちーずプロ)から。
https://www.kokuchpro.com/event/62b56b4dd0302ba10ac84685ab5fd8ed/290368/