「こちら、どうぞ〜」と笑顔で手を上げながら、レジを開けるコンビニの店員さん。
いつも「いいな〜」と思う。
一方で、レジにどんなに人が並んでいたとしても、何か別のことを黙々とやっている店員さんがいる(知ってか知らずかはわからないが)。
こういうことって、日常のそこかしこである。
オフィスのトイレに入った時、「おはようございます!」と明るく声をかけてくれる清掃員さんもいれば、ただただ無言で作業をしているだけの人もいる。
家に荷物を届けてくれる配達員さんもそう。扉を開けた時、「こんにちは!」と元気に声をかけてくる人もいれば、さっさと荷物を渡して帰ろうとする人もいる。
自ら率先して声をかけ、行動する人は、なぜか仕事もテキパキしている。声は明るく、目も明るい。
逆に、無口で下を向きがちな人は、心なしか仕事も緩慢に見える。背中は暗く、目も合わない。
この違いは何だろうか?
当然ながら、仕事の内容に違いはない。おそらく勤務条件も給与水準も大きくは違わないだろう。
場所も関係ない。たとえ、同じコンビニ、同じトイレ、同じトラックであったとしても、人が違うだけで対応が異なることがある。
だとすれば、違いを生むのは、その人自身。
その人自身が持っている何か。
それもスキルやノウハウというような小難しいものではなく、頭の賢さでもなく、いわば心構えのようなもの。
「自ら率先して声をかけ、行動する人」は、その前提として、「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えているのだろう。
だからこそ、つねにアンテナが立っている。自分の周りの環境やそこにいる人たちの状況や変化を察知することができる。
困っている人がいれば、気づいてヘルプに動く。あるいは、これから人が困りそうな状況があれば、早めに気づいて対処する。
仮に困っている人がいなかったとしても、「こうした方が嬉しいかな」「安心するかな」「居心地いいかな」と相手のことを気遣う。
だからこそ、いまやっていることをいったん止めてでも、自ら率先して声をかけ、そして行動するのだろう。
「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えている人は、アンテナもつねに外向きに開いている。
もちろん、アンテナの届く範囲やアンテナで察知する早さは人それぞれ。
アンテナの届く範囲が、半径数メートルの人もいれば、半径数百キロメートルに及ぶ人もいるだろう。
アンテナで察知する早さも、いまを察知する人もいれば、数十年先までを察知する人もいるだろう。
だが、どちらにせよ重要なのは、「つねにアンテナが外向きに開いているかどうか」ということ。
どんなに範囲が小くても、察知が遅くてもいいから、せめて外向きのアンテナだけは立てておきたいものである。
そのためにも、「自ら率先して声をかけ、行動しようという心」をつねに構えておきたいものである。
どっひー &sing
“「ごく身近にいるリーダー」と「そうでない人」の微妙だけど大きな違いについて” への1件の返信