今日の学ぶログでは、「アンドシング がどんな学校づくりを目指しているのか?」「その学校では、どんなことを学べるのか?」について書く。
正直、とても不完全な状態である。読みづらい点、わかりづらい点が多々あると思う。だが、文章で書いてみないとわからないこと、伝わらないこともある。
現段階では、大きな方向性を指し示すだけに留まるが、これから開講していく講座の目的とその意義、アンドシング スクールに学びに来てもらいたい人、講師を務めてもらいたい人のイメージが少しでも伝われば幸いである。
1. 新たに学ぶべきことは何か?
アンドシング では、「次世代リーダー輩出のための新たな学校(学びの場)づくり」を目指している。
新たな学校である以上、アンドシング スクールは「これまでの学校では学べなかったことを学べる学校」である必要がある。
では、「これまでの学校では学べなかったこと」とは何か?
それは、
自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す
そして、
自分たちにとって必要なものは、自分たちの手でつくり出す
という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力だ。
逆に、これまでの学校で学べたことは、他人起点・過去依存での知識と解法とそれを効率的に活用する力だ。
だがいまや、他人起点・過去依存での知識と解法とそれを効率的に活用する力は、スマホ一台あれば十分である。インターネットで検索したり質問すれば、大概のことはわかる。知識はすでに十二分に与えられている。
重要なことは、「その知識を使って何をするのか?」ということ。
「どんな問題を解決するのか?」「どんな世界をつくっていくのか?」ということ。
そしてその行動主体は、一人一人の人でしかありえない。
それゆえ、新たな学校は、
自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す
そして、
自分たちにとって必要なものは、自分たちの手でつくり出す
という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を学べる場である必要がある。
それゆえ必然的に、そこに学びに来る人は、「自分(たち)にとって必要なものは、自分(たち)の手でつくり出したい!」と願う人である。
また、そこで講師を務めてくれる人は、「自分(たち)にとって必要なものは、自分(たち)の手でつくり出す!」という意志と想像力とそれを具現化するための力を持つ人である。
2. 新たな学びはなぜ必要か?
「自分にとって必要なもの」の典型は、食べもの、着るもの、住むところである。
だが、学校にいくら通っても、食べもの、着るもの、住むところを自分の手でつくり出せるようにはならなかった。
一方で、市場経済が発達している現代では、「自分にとって必要なもの」の大部分はお金を払って手に入れることが(暗黙の)前提になっている。
このため、「自分にとって必要なもの」を手に入れるためには、つねに「お金」が必要になる。そして、「お金」を手に入れるための「仕事」が必要になる。
では、学校に長年通った結果、「お金」を手に入れる方法や「仕事」を手に入れる方法が身についたかというと、そうでもない。
学校に通った結果、身についたものは、「自分にとって必要なもの」を手に入れるためにどう役立てればいいかわからない知識ばかり。
そもそも学校で、「あなたにとって必要なものは何ですか?」と聞かれたことはなかった。
学校では、つねに答えるべき問い(=問題)が先に与えられ、それに対する答え(=知識)が与えられていた。
それゆえ、それらの問いと答えの大部分は、「自分にとって必要なものをつくり出す」ために役立つものではなかった。
その結果、いまだに「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出すことができない」という不安を(私自身が)抱えている。
「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことができない以上、自分にとって必要なものは、他人の手でつくってもらうしかない。それゆえ、万が一、「自分にとって必要なもの」を他人が自分に分け与えてくれなければ、それを自分が手に入れることはできない。
これでは、「自分にとって必要なものが手に入るかどうかは、すべて他人の手に委ねられている」ことになる。
これは怖い。不安である。なぜならば、他人に嫌われたら終わりだからである。
だから、そういうことが起こらないようにするために、他人の意見に従ったり、お金をできるだけ貯め込んだり、お金を稼ぐために必死で働き続けるという行動を取ってしまう。
あるいは、「いざとなれば誰かが(国や会社が)何とかしてくれるだろう」と開き直り、自分で努力することを放棄してしまう。
だが、他人の意見に従い、お金を貯め込み、必死で働き続けたとしても、まして開き直ったとしても、決して問題が解決することはない。
なぜならば、問題の原因は、「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことができないことにあるからだ。
他人に嫌われる恐怖に慄き、その恐怖を回避するために、他人の意見に従い、お金を貯め込み、必死で働き続けることを止めたければ、「自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す」という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を身につける必要がある。
3. 新たな学びで何が良くなるのか?
「自分にとって必要なものを自分の手でつくり出す」ことさえできれば、「自分にとって必要なものが手に入るかどうかは、すべて他人の手に委ねられている」という状態から脱することができる。
もちろん、「自分にとって必要なもの」のすべてを自分の手でつくり出すことはできないだろう。だがそれでも、「自分にとって必要なもの」の一部を自分の手でつくり出すことさえできれば、「自分にとって必要なもの」を手に入れるための主導権を自分で握ることができる。
また、「自分にとって必要なもの」を自分の手でつくり出し、それを自分で消費したとしても、すべてを使い果たさずに余りが出ることもあろう。そしてそれが「ある人にとって必要なもの」でもあるとすれば、その人に買ってもらえる可能性もある。そうなれば、お金も手に入る(場合によっては物々交換かもしれない)。
そんな風に、「自分にとって必要なもの」が「ある人にとって必要なもの」となり、さらに「より多くの人にとって必要なもの」になれば、自分よし・相手よし・世間よしの三方よしの状態になる。
「自分にとって必要なものを自分でつくり出す」ことを通じて、自分が喜び・相手が喜び・世間が喜ぶ。その上で、お金も手に入る可能性がある。
そうなれば、パラダイムシフトが起こる。
「お金で必要なものを買う」
という思考と行動から、
「必要なものをつくって使う」
「余りを売ってお金を得る」
「そのお金でまた必要なものをつくる」
という思考と行動へ。
これまでの思考と行動を180度ひっくり返すことができる。
その結果、「自分にとって必要なもの」を手に入れるために、「お金」や「仕事」を手に入れなければならない、失ってはいけない、という恐怖から解放される。
一方で、「自分にとって必要なものは、自分でつくり出す」ことができる、という希望が生まれる。
そうなれば、自分で夢を描いてそれを実現する過程を楽しむことができるようになる。またその過程で、仲間が集まり、知恵が集まり、物資が集まり、お金も集まる、という可能性も高まる。その結果として、夢が実現する可能性も高まる。
「自分にとって必要なものは、自分の手でつくり出す」という自分起点・未来志向での意志と想像力とそれを具現化するための力を身につけることができれば、恐怖を解き放ち、希望が生まれる。夢の実現に向けて諦めずに未来へと突き進むことができるようになる。
すべてのはじまりは、一人一人の個人である。自分である。その集まりが自分たちである。
個人が自立してはじめて、地域が自立する。
地域が自立してはじめて、国家が自立する。
学校とは、「個人が自立する必要性」を自覚する場である。
その上で、「個人が自立するための手段」を学ぶ場である。
私たちは、すべての人がリーダーたりえる、と信じています。
どっひー &sing
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