ある大学生がこんなことを言っていた。
自分がやっていることは正しいのか?これからやりたいことは何か?と自問自答を繰り返す学生は多いですが、現代では自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう人の方が多いように思います。
この言葉を聞いた時、私はこう思った。
「これって、学生だけじゃなく、大人もそうなんじゃないの?」と。
自分の考えよりも他人にどう思われるかの方を優先してしまう
もちろん、「他人にどう思われるか」は大切だ。「他人にどう思われるか」を考慮せずに、「自分の考え」だけを押し通す人は、ただのわがままな人に過ぎない。単なる好き勝手な人に過ぎない。「他人にどう思われるか」を考慮することは必要不可欠だ。
問題はその順序にある。
まず「自分の考え」があって、「他人の考え」がある。あるいは、「自分がどうしたいか」があり、それに対して「他人にどう思われるか」がある。
「自分の考え」や「自分がどうしたいか」がないままで、「他人の考え」や「他人にどう思われるか」ばかりを気にしていたら、自分がどんどんしぼんでいく。
自分がどんどん空虚になっていく。
自分がどんどんわからなくなっていく。
「他人の考え」を受け入れる力や「他人にどう思われるか」を考慮できる力は、とても素晴らしい力だ。他人から学ぶ力。他人に配慮する力。それはそれで大切な力である。
だが一方で、「自分の考え」を形成する力や「自分がどうしたいか」を自覚する力は、それ以前に重要な力だ。
これは、自分が自分の人生を生きるために、もっとも根幹になる力だからだ。
この根幹になる力がなければ、いつのまにか自分の人生が他人の言いなりの人生になりかねない。
自分の頭も体も心の中も、いつのまにか(無分別に)「他人の考え」や「他人の目」に侵され、支配されかねない。
自分が自分の人生を生きるためには、自分の根幹になる力をしっかりと打ち立てていく必要がある。
自分がやっていることは正しいのか?
これからやりたいことは何か?
この自問に対して「自分なりの答え」を得るために必要なことは、
「自分の考え」をしっかりと形成してくこと。
「自分がどうしたいか」をしっかりと自覚していくこと。
難しく考え込む必要はない。自己分析をする必要もない。
まして、どこかに何かを探しに行く必要もない。
すでに自分の中にあるものに光を当てればいい。
すでに自分がやっていることに光を当てればいい。
囚われているものを解放することだ。
大きく自分を解放することだ。
自分の根を張り、自分の幹を育てていくことだ。
どっひー &sing