いま「生きてる!」って感じていますか?
死んでいないからと言って、
「オレは生きてるぞーーーーっ!」
って叫べるとは限らない。
僕は時々、叫びたくなる。
水平線の見える海に向かって。
山の上から地平線に向かって。
身体全身で、腹の底から、すべてを振り絞って。
「うおーーーーーーーっ!」
と叫びたくなる。
魂の叫び。
「うおーーーーーーーっ!」
と叫びたくなる。
だから、僕は歌を歌う。
だけど、いまだにその歌は魂からの叫びにはなっていない。
中途半端なのだ。
仕事でも同じだ。
仕事を完遂して、
「うおーーーーーーーっ!」
「オレはやったったぞーーーーっ!」
と叫べたことはない。
どうなんだろう?
見渡す限り一面の畑を耕し終わったら、真っ赤な夕日に向かって、
「うおーーーーーーーっ!」
と叫べるのだろうか?
それとも、見渡す限り一面の田んぼに、黄金の稲を実らせたら、真っ赤な夕日に向かって、
「うおーーーーーーーっ!」
と叫べるのだろうか?
僕が子どもの頃。幼稚園の頃。小学生の頃。高校生の頃。(なぜか中学生の頃の記憶はない)
地平線に沈んでいこうとする、でっかいでっかい、真っ赤な真っ赤な夕日を見ながら、
「うおーーーーーーーっ!」
と叫んでいたような気がする。
実際に叫んだかどうかはわからないけど、そんな気分だったことは間違いない。
「うおーっ、今日一日生きたぞーっ!」
というような満足感。充実感。
その日一日を思う存分に生きたという感覚を手にしていたのだろう。
私は、これまでに仕事でそんな感覚を手にしたことがあったのだろうか?
仕事を完遂した満足感。充実感。
「オレはやったったぞーーーっ!」
と叫びたくなるような高揚感。
仕事の醍醐味をほんとうに感じたことがあるのだろうか?
おそらく、どんな仕事にもその仕事なりの醍醐味があるのだろう。
むかーしむかし。小学生の頃。ばあちゃん家の酒屋の手伝いをして、妙な充実感を味わっていた。そのタイミングは、店のシャッターの開け閉めと関わっていた。
店の開店前。まだ店内は薄暗い。シャッターを手で少し引っ張りあげる。地面とシャッターとの隙間から、強い光が差し込んでくる。日の光を浴びているシャッターは熱い。そこから一気にシャッターを押し上げる。その時、店の世界と外の世界が繋がる。「開店したよ!」と道行く人たちに宣伝したくなるような気分になった。
閉店する時は、それとはまた逆の感覚。シャッターを閉める時、「今日一日、ありがとうございました!」という気分になる。店内では、その日の売上の精算をしている。先端がカギ状になっている長い棒を持ってシャッターをグッと引き下げ、ガラガラガラっとシャッターを閉めていく。シャッターが完全に閉まると、また店の世界は外の世界と区切られる。「今日も一日お疲れ様でした」「いやー、今日もがんばったなぁー」という気分になる。
実際には、小学生にやれることは少なかったはずだから、大した仕事はしていなかったはず。だけど、店の一員として、自分にできることは一緒懸命やっていたのだろうし、何よりお客さんに喜んでもらいたい、と真剣に思っていたような気がする。
なんせ、半人前どころか、0.1人前にも満たないのだ。やれることはほとんどない。だからこそ、一生懸命に働いていた。いや、たぶん一生懸命に働くくらいしかやれることはなかったのだろう。だからこそ、シャッターを開けるとともに気合が入り、シャッターを閉めるとともに充実感を味わったのだろう。無我夢中で仕事をしていたのだろう。
仕事の醍醐味
どんな時に感じますか?
生きてる!
ってどんな時に感じますか?
どんな時に、
「うおーーーーーーーっ!」
「オレはやったったぞーーーっ!」
「私はやったったぞーーーっ!」
って感じますか?
44歳にもなっていまさらなんですけど。
子どもみたいなことを聞いてもいいですか?
仕事の醍醐味、生きる醍醐味って、何ですか?
会社名。&singでなく、&shoutでも良かったかも。なんて。
TAKU &sing