平和ボケを戒め、お金の使い道を再考する

「今日は風が強くて寒いけど、日差しが暖かくて平和だなぁ〜」と感じた。

平和を感じられることは、すごく幸せだ。

一方で、平和ボケになっていないか?とも思う。

昨日、私が出版したことについてのブログを書いた。

数十万円を払って一冊の本を書き上げた。満足している、と書いた。

それはそれでいいのだが、数十万円の使い道を考えた時、ほんとうにそれがベストな使い道だったのか?とふと思った。

私が本を書いた動機は、キャリア選択や進路選択で悩みや不安を持つ人を助けたい。励ましたい。勇気づけたい、ということだった。

進学して就職。

暗黙的に引かれている単線のレールを外れてみたい。でも外れるのが怖い。どうしたらいいんだろう?と悩み、不安を持つ人。それは、かつての私であり、いまの私自身でもある。

悩むということはやってみたい、ということだ。したがって、その後のアクションは、やってみるか、諦めるかの2つに1つしかない。どちらも選ばず、うじうじと悩み続ける時間が一番無駄だ。

思い切ってやってみるか?

やらずにすっぱりと諦めるか?

必ずどちらかを選ばなければならない。

だが、やってみたいことをやらずに、すっぱりと諦めることは容易ではない。なぜならば、実際にやってみて失敗しない限り、心の底から諦めることはできないからだ。やってみない限り、どこまでも「やってみたい」という気持ちと、「できるかも」という希望は消えない。消せない。そして無理に消す必要もない。

ならば、「一度やってみようぜ!」と私は言いたい。

取り返しのつかない失敗は避けるべきだ。だが、取り返しのつく失敗で済むことなら、やってみることだ。あるいは、取り返しのつく失敗で済む範囲で、やってみることだ。

“やりたいことは、やってみることだ”

私は、ただそれだけを言いたいがために、数十万円を支払って本を書いた。

私は、他の人たちに、自分を投影しているのだろう。

他の人たちを助ける、励ます、勇気づけることで、私は私自身を助け、励まし、勇気づけようとしているのかもしれない。

私は会社を辞めて独立した。今回は会社もつくった。

だから、何だと言うのか?

ちょこっとだけ、レールから外れてみただけではないのか?

進学して就職。

その暗黙的な単線のレールは、いまだに、

ドンッ!

と社会のど真ん中にでっかく引かれたままなのではないのか?

教育改革、働き方改革。

理念はいい。

だが、制度は本当に機能するのか?

私を含め、この社会に生きる一人一人の心の中に引かれている暗黙的なレールは単線から複線に切り替わっていくのだろうか?

依然として、極太の単線レールが鎮座し続けていくだけではないのだろうか?

一方で、これからは進学して就職じゃない。起業だ!NPOだ!みたいに、新たな単線レールを引きたくもない。

私は、「一人一人が、それぞれに与えられた天分と才能を最大限に発揮できる仕事(ジブンノシゴト)を自ら創り出していける」状態を理想としている。

つまり、レールを引いていくのは、社会ではなく、一人一人の人であるべし、と考えている。

あるいは、過去の先人たち(いろんな地域のいろんな職業の人たち)が引いてくれた様々なレールの中から、自分の意志と力で自分が進むべきレールを選ぶべし、と考えている。

私は、一人一人が自らの意志と力で自分の進むべき道を選択できる場をつくりたいと考えている。

そしてそれは、アンドシング株式会社による、次世代リーダー輩出のための新たな学校(学びの場)づくりそのものである。

私が数十万円を支払って書いた一冊の本は、そのためのほんの第一歩に過ぎない。

私はまだ、一本も自分でレールを引いていない。

やらなければならないことは山ほどある。

それをやるためには、相応のお金が必要になるだろう。

お金の使い道には気を配らなければならない。

たとえ数十万円、数万円。いや数千円でも数百円でも数十円でも一円でも。

何に、何のために、いくら使うのか?それでどれだけの効果を得るのか?

それらのお金を使った活動や成果は、「ジブンノシゴトづくり」のための「新たな学校づくり」にしっかりと繋がっているのか?

それは「次世代リーダー輩出」に繋がっているのか?

こういうことを、もっとシビアに考えていかないといけない。

平和を感じられることは幸せだ。

だが、平和ボケしてはいけない。

ちょこっとお金があるからといって、余裕をぶっこいていてはいけない。奢ってはいけない。

お金は持ち物ではない。使う物である。使い方次第で、毒にも薬にもなるものである。

たった一円でも使い道を誤れば、そのお金は善でないものの流れを創り出していく。

たった一円でも使い道を正しくすれば、そのお金は善なるものの流れを創り出していく。

死に金を使ってはいけない。

同じお金を使うなら、しっかりと生き金にしなければならない。

お金の使い道は、よくよく考えるべし。

二宮尊徳氏が教えてくれた、「分度」と「推譲」にこだわるべし。

何より、「至誠」「勤労」を忘れるべからず。

そして、「積小為大」。

日々の努力を惜しむべからず。

TAKU &sing

“平和ボケを戒め、お金の使い道を再考する” への2件の返信

  1. 「学ぶログ」、いつも楽しく拝見しています。

    さて、今日の平和ボケ・お金の使い方、キャリア選択や進路選択等に関してですが、あたかも、心身が健康で、恵まれた生活環境にいらっしゃる方たちだけに目を向けている、と感じました。

    全体からみれば、言及するに値しない少数なのかもしれませんが、親の介護等で将来を見通せない若者たち。

    今日食べていくことすらままならない貧窮の若者たち。

    そんな若者たちの悩みや不安からみれば、クスッと笑ってしまうような、まさに「平和だなぁ~」と感じる悩みや不安にだけ着目しているのかな?と感じます。

    “すべて”の若者たちに、次代を担うリーダーになれるチャンスを与えられるような世の中になればいいなぁ、と私は思っています。

    以下、介護で将来を見通せない若者たちの例です。
    ご参考まで。

    http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3515/1.html

    1. E-G3さま

      大変貴重な(かつ、グサッとくる)コメントをいただき、ありがとうございます。

      本来見るべきところ、見るべき人を見ていない。あるいは、本当は見えているはずのこと、見えているはずの人に対して、私が目をつぶっている、ということですよね。

      ご参考に上げていただいたURL。改めてゆっくりじっくりと拝見、拝読させていただきます。

      平和ボケしてしまっている私ですが、これからしっかりと目を見開いて世の中の現実を直視していきたい、と思います。

      そして、”すべて”の若者たちに、次代を担うリーダーになれるチャンスを与えられる世の中になるよう、私なりに日々努力していきたい、と思います。

      まずは、”すべて”の範囲を飛躍的に広げないといけないですね。いまは視野狭窄過ぎる、と思いますので。

      このたびは、貴重なコメントをいただき、ありがとうございます。

      今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

      TAKU &sing

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