You can see some Japanese people there.
この文章。なぜか44歳になったいまでも覚えている。おそらく中学校の英語の教科書に載っていた文章だったと思う。
なぜ、私はこの文章を覚えているのか?
ずはり、リズムがカッコ良かったから。
英語の先生が発音していたリズム感がカッコ良かった。それを真似して発音していたら、ノリノリになってきた。
You can see some Japanese people there!
ユーキャン シーサム ジャパニーズ ピーポー ゼア!
タンタン タンタン タタタン タンタタ タタ!
妙にリズムが身体に馴染んだ。
何度もこのフレーズを繰り返した。
ますますリズムが身体に馴染んだ。
この時に私は悟った。
「そうか!会話はリズムだ!」と。
結果、先の文章が妙に私の記憶に残っている。
もう一つ。先の文章を覚えている理由がある。
それは、記述が妙に客観的だったことだ。
You can see some Japanese people there.
“あなたは、あそこにいる日本人たちを見ることができます”
こんな言い方、日本語(の口語)では絶対にしない。
日本語だったらこんな感じだろうか。
“あそこに日本人がいるでしょ”
You can seeという言い方が、すごく相手目線で、客観的な印象を受けた。
I can seeでもなく、We can seeでもなく、You can see。
でも語り手は、I(わたし)。
“ほらご覧。あそこに、日本人がいるのが見えるでしょ?ね?見える?”
と語りかけるような優しさがある。
自分目線から相手目線への転換。
実際に英語を話す外国人がそういう気持ちを持っているのかどうかはわからないが、少なくとも私は「英語っていいなぁ」とその時に思った。
英語と言えば、もう一つ気に入った言い回しがある。
それは、
It makes me happy.
これも、おそらく中学校の英語の教科書に載っていた文章だったと思う。
この文章は、私にとって革命的な文章だった。
I am happy.
ではなく、
It makes me happy.
“私は幸せ!”
ではなく、
“それが私を幸せにしてくれている!”
という言い方。
おーっ!そうか!
私が幸せを感じているのは何かのおかげなのか!
と衝撃を受けた。
いわば、天動説が地動説になるくらいの革命!
自分目線から世界目線への転換。
それ以来、私は、
「何が私をそうさせているのだろうか?」
「何が彼(女)をそうさせているのだろうか?」
「何が人を動かしているのだろうか?」
「何が会社を動かしているのだろうか?」
という思考をするようになった。
I am angry!
と感じた時には、
What makes me angry?
と考える。
I am sad…
と感じ時には、
What makes me sad?
と考える。
もちろん、
I am happy!
と感じた時には、
What makes me happy?
と考える。
すると、ちょっとずつわかってくる。
自分は、何に向き合った時、誰と向き合った時に、怒るのか?悲しむのか?嬉しくなるのか?
ちょっとしたことだけど、それは自分の生活や仕事や趣味を豊かにするための大きな鍵になると思います。
以上、私が英語を学んで役に立ったことのご紹介でした。
英語自体を学ぶ上での参考には全く役に立たないとは思いますが、何かの参考になれば幸いです^ ^
いやー、英語ってホントいいもんですねー(淀川長治さん風)
What makes you happy?
TAKU &sing