“世界70億人の人たちが、手を繋いでいる”
これが私の究極的なビジョンだ。
いや、究極的な願いと呼んだ方がいいかもしれない。
このビジョンを具体的にイメージするようになったのは、マイケル・ジャクソンの『CRY』という曲のプロモーションビデオ(PV)を観た時からだ。
(このPV、ほんとうに素晴らしいPVなので、ぜひ一度観てみてください。僕は何度観てもなぜか涙が出てきます)
アンドシング(&sing)の究極的なビジョンも、映像化すれば、このPVのイメージになるかもしれない。「ともに歌い」「安心している」状態。いや、このPVを観たからこそ、アンドシングという会社名が生まれたのかもしれない。
だが、「それにしても」だ。
この”私の”ビジョン。イメージは立派だが、日常では全く実現できていない。
特に、家族。我が家は4人家族なのだが、たった4人ですら、手を繋げていない。
いやー、家族の問題って、なかなか複雑ですね。
あくまでプライベートなことなので、ここに詳しくは書かないが、自分が親になってみると、子を思う親の気持ちの大変さをつくづく感じる。一方で、親を疎がる子の気持ちもわからなくもない。毎日毎日、問題が起こり、喧嘩が起こる。けれど、時々、妙に仲が良かったりする。そしてまた問題が起こる。
世界70億人のことを考える前に、まずは家族4人のことを考えないとな、と思う。
世界70億人の人それぞれに家族がいるわけだし(もし家族全員を亡くされている方がいらっしゃったらゴメンなさい)、僕には僕の家族がいて、僕を含めた4人は、世界70億人の中の4人だ。70億分の4ではなく、70億人の内数としての4人だ。
一方、仕事ではどうだろうか?
会社に勤めていた時。会社に関わる人たち全員が手を繋ぐことはできていただろうか?
そして、いま。僕は仕事で関わる人たちと、手を繋げているだろうか?
これまでずーっと、「自分さえよければ」という気持ちがあったことは否めない。
これからも、どれほど「自分さえよければ」という気持ちを捨てられるかはわからない。
だが、みんなが手を繋いでいる状態を実現するためには、まず僕自身が目の前の人と手を繋ぎにいかなければならない。
「誰か、手を繋ぎに来てくれ〜」と待っているわけにはいかない。
自分のビジョンを実現するためには、自分から手を繋ぎに行くことだ。
もちろん、無理やりでもなく、パワハラでもなく、セクハラでもない形で。
我を捨てて、1人、2人と手を繋いでいくことだ。
そして、ここではたと気付く。
おっと、僕には2本しか手がないじゃないか!と。
僕が同時に手を繋ぐことができるのは、2人までなのだ。
たった4人の家族ですら、僕が全員と手を繋ぐことはできない。
必ず誰か一人は、僕と手が繋がっていない人が出てくる。
だが、輪になればどうだろう?
みんなが手を繋ぎあっている状態になれるだろう。
なーんてことを、日々、つらつらと考えていたりします。
家族のことと仕事のこと。
切っても切れない関係にあるな、とつくづく思います。
家族が安定していないと、仕事が安定しない。
一方で、仕事が安定していないと、家族が安定しない。
家族と仕事の双方が安定してこそ、みんなが安心するんだよな、と思う。
そして、その安定を創り出していくためには、まず自分から手を繋ぎにいかないとダメなんだろうな、と思う。
何にせよ、家族のことであれ、仕事のことであれ、世界のことであれ、ほんとうに自分のビジョンを実現したい!と願うのであれば、まず我を捨てないとダメですね。
毎日毎日、ほんの少しずつだけでもいいから、我を捨てて行きたいと思います。
でも、僕がなりたいのはシンガーソングライターなんですけどね…
TAKU &sing