会社を辞めざるを得なくなった人
学校を辞めざるを得なくなった人
それでいて前向きな人
どうやら、僕はそういう人にやたら共感するようだ。
それはきっと、僕自身が組織に馴染めなかったからなのだろう。
僕は、集団が苦手だ。
我々はかくあらねばならぬ、という掟のようなものに縛られた集団。
僕は、そういうものに馴染めない。
どうしても、自分がそこからはみ出してしまうからだ。
そのため、組織がマジョリティで、自分自身はマイノリティだと感じてしまう。
あらっ、組織に馴染めない自分は変なのかな?と思ってしまう。
僕を知る人の中には、「僕が組織に馴染めなかった」と聞いてビックリする人もいるかもしれない。
たぶん、おそらく、僕は、そこそこ組織の中でうまくやってきた。
学校でも成績は悪くなかったし、会社でもまぁ普通に昇格していたった。
でも、どこまでいっても、学校にも、会社にも馴染めなかった。
結局、僕は学校や会社の掟に”完全に”自分を合わせることができなかったのだ。
だが、それはゼロか100かではない。
おそらく僕は、組織の掟に自分の70%をくらいを合わせることができる。
だが、残り30%はどうしても組織の掟に合わせることができない。
それは具体的に言えば、
- たとえやることがなかったとしても就業時間は出社していなければならない、とか
- 逆に、たとえやることがあったとしてもノー残業デーだから退社しなければならない、とか
- リモートワークで済むのに、あえて満員電車に乗って出勤しないといけない、とか
こう書き出すとつまらないことだらけ。
でも、僕は、この一見つまらなそうな掟やルールに自分を合わせることができなかった。
毎日毎日続く、無駄な時間の過ごし方に耐えられなかった。
ってことで、僕は40歳になって、会社を辞めた。
で、その後1年間の独立を経て、再度2年間、会社に勤めた。
そして、僕は44歳になって、また会社を辞めた。
きっと僕は、会社を辞めたかった訳ではないのだろう。
僕は、会社を辞めざるを得なかったのだと思う。
だから、会社を辞めたり戻ったりしている。
自分の会社をつくったりもしている。
自分の会社をつくったとしても、会社は会社だ。
会社を辞めざるを得なかったがゆえに、どういう会社であれば、どういう働き方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。
またどうように、どういう学校であれば、どういう学び方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。
会社を辞めざるを得なくなった人
学校を辞めざるを得なくなった人
それでいて前向きな人
僕は、そういう人にやたら共感する。
それは、僕自身が組織に馴染めなかったからだ。
だからこそ
僕は既存の組織の枠外で、
新しい会社の在り方
新しい働き方
新しい学校の在り方
新しい学び方
を自分なりにつくっていきたいと考えている。
そして、そこでつくられていく場が、組織に馴染めず、組織を辞めざるを得なくなった人(あるいは組織を辞めざるを得なくなりそうな人)にとっての宿り木になればいいな、と思っています。
どっひー &sing