親孝行したい時には父はなし

今日の話題は、死にまつわる話題である。

本来であれば忌避すべき話題である。

ブログに書くべき話題でもないかもしれない。

だが、親の死に目に遭わない人はいないだろう。

私の人生における貴重な学びの一つとして、いま感じていることを書き綴っておこうと思う。

親孝行

したい時には

父はなし

石にソングを

聴かすのみ

2018年5月12日(土)午後7時31分。父が他界した。

享年74(満73歳)。昨日、無事に葬儀式を終えた。ガンだった。

3月29日。しばらく病院に入院していた父が退院してきた。実家での在宅医療に切り替えるためだ。

3月31日。主治医から余命宣告された。長くて6ヶ月。3ヶ月くらいかもしれない。もしかしたら明日かもしれない。そう言われた。

余命のことは、本人には伝えていなかった。だが、本人は自覚していたようだ。

今年のお正月には、「今年いっぱい生きられるかどうか…」と言っていた。延命措置はしないように、との要望書も書き綴っていた。

4月いっぱいは、自宅療養。介護ベッドと酸素ボンベを設置した状態。ガンが肺に転移し、自分一人の力では呼吸ができない。足がむくんで棒のようになり、トイレに歩くこともままならない。だが、意識はしっかりとしており、会話にも苦労せず、食べる物にも制約はなかった。また、祖父が書き残していた自分史の続き、すなわち父の自分史を短いながらもiPadで書いて(打って)もらえたことも幸いであった。

私が会う時は、父はいつもにこやかで穏やかであった。

4月21日。父の誕生日だった。翌日、家族全員が集まり、父の誕生日を祝った。みんなで一緒にお昼ご飯を食べた。お酒を飲んだ。ケーキを食べた。写真を撮った。結果として、この時の写真が、最後の写真となった。

5月1日。父は、ふたたび入院した。足のむくみがひどくなり、呼吸の不安で夜も寝づらくなったためである。治療のための病院ではなく、痛みを緩和するための病院である。

5月5日。病院へ父の見舞いに行った。びっくりした。急激に痩せていた。少し不安になった。だが、父はせんべいを食べていた。1ヶ月程度の入院だと聞いていた。まだ大丈夫だろう、と思っていた。軽く手を握って、「じゃあまた」と言って別れた。結果として、この日が、生きている父と会った最後の日となった。

5月12日。私は朝から京都に行っていた。読書会に参加していた。それが終わった後、大阪の難波で買い物をした。メッセージカードとケーキを買った。ケーキは、妻の誕生日祝いのため。メッセージカードは、母の日祝いのため。15時頃、自宅に戻った。まず、母の日に贈る歌(の動画)をDVDに書き込んだ。そして、メッセージカードに母へのメッセージを書いた。それから、妻の誕生日祝いの晩御飯の買い物に出かけた。

18時頃。買い物から帰る道すがら、母から電話があった。病院から「すぐ来て欲しい」との連絡があったとのこと。

母曰く、「さっき17時頃まで、私(母)と娘と孫娘で父を見舞っていた。少ししんどそうだったけど、せんべいを食べていた。なんだろうね?」とのこと。

私も「なんだろうね?」と思いつつ、「わかった。すぐ行くわ」と応える。妻に、「ちょっと行って来るから待ってて。ごめんね」と伝える。

病院に着いたのは、18時40分。妙な胸騒ぎを感じつつ、病院内にかかっていた時計を確認した。

病室に着いた。

母が「もう息してないよ」と言った。「もう亡くなってるよ」だったかもしれない。

「えっ!」と叫ぶ私。

父の顔に近づいてみると、ほんとうに息をしていなかった。

母は言う。「手、まだ温かいよ」と。

父の手を握る。

温かかった。

父の顔は穏やかだった。

父が息を引き取る瞬間。病室には誰もいなかった。

その直前、父は、母と妹と孫娘に会っていた。

まだ1歳にもならない孫娘の名前を何度も何度も呼んでいたらしい。

父は、自分の命を孫娘に託したのではないかと感じる。

私も、父から何かを託されたように感じる。

何より、良き死に様を見せてもらった。

どんなにつらくても、苦しくても。

最後まで希望を失わず、つねに笑顔で前向きであること。

他人を気遣うこと。

父は、死へと向かっていく自分の姿をもって、大切な生き様を私に見せつけてくれた。

悲しくもあり、嬉しくもある。

父の息子で、ほんとうに良かったと思う。

私にとって、父は、ごく普通の人であると同時に、唯一無二の特別な人であった。

唯一の心残りは、父の日にオリジナルミニソングを聴かせてあげられなかったことである。

まぁ、父が聴きたかったのかどうかはわからないけど、私には父に伝えたいことがあった。

一方で、伝えたい言葉は、一つしかない。

ありがとう

父の日には、この一言を込めたオリジナルミニソングを贈りたいと思います。

私は、心のどこかで、まだ大丈夫だろう、と思っていた。

父の日までは持つだろう、と思っていた。

だが、明日のことは誰にもわからない。

今回、そのことを身を持って実感した。

そしてそれを実感した時には、事は終わっていた。

親孝行したい時には父はなし

会いたい

手を握りたい

想いを伝えたい

そう思った時にそうするのが一番だなぁー、と思います。

素直が一番!

5月26日のシンガーソングライター教室もよろしくね♪

どっひー &sing

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