自分事と他人事

父を亡くして5日目。

いまだに、外の世界との関わり方がしっくりこない。

気持ちを切り替えて、しっかりしなきゃ!とは思うものの、なんか腰が上がらない。

腰を上げるための床がない、というのか、底がない、というのか。

手をつく場所がない感じがしている。

家族や親族のことは、ものすごく自分事として我が身に迫ってくる。

父が暗に担っていた役割というか存在の大きさを感じさせられる。

一方、家族や親族以外の人たちのことは、やけに他人事に感じられる。

もちろん、仕事で関わっている人たちのことは、ものすごく気になっている。

次回のシンガーソングライター教室のことも、ものすごく気になっている。

だけど、内の世界(自分と家族と親族)と外の世界との間に、妙な膜がかかっているような感じがする。

元気がない訳ではない。

やる気がない訳ではない。

腰を上げる気もある。

だけど、手をつく場所がない。

よっこらせ、と手をついて腰を上げるための底がない。床がない。

今日は、これから仕事の打ち合わせ。

しっかりと集中する。

一つ一つ目の前のことにしっかりと関わっていく。

外の世界との関わり方を取り戻していくのには、それが一番いいのだろう、という気がしている。

もともと「そこ」にいた人がいなくなった。そして、自分が「そこ」に入る役割を担うことになった。

まだ、僕がいる場所はズレている。

僕が「そこ」に入り切るまでには、まだもう少し時間がかかる気がする。

ゆっくり焦らず。

でも怠けず。

内の世界のことであれ。

外の世界のことであれ。

一つ一つ目の前のことにしっかりと関わっていきたいと思う。

父は孫息子を見て、こう言い残した。

「なんでもいいから、一人で食べていける力を身につけさせてやらないとな」

これは、息子たちの父親として、私自身が取り組むべき課題である。

と同時に、日本の社会と経済の未来を見据えた時に、事業家として取り組むべき課題でもある。

"何があっても食っていける力を身につける"

そのためにやるべきことをやっていく。

と書き終えたところで、ほんの少しだけ、内の世界と外の世界が重なり始めたような気がする。

追伸:

葬儀式の翌日、散髪をして、母と話しをし、歌をうたうと、気持ちが楽になる、ということを発見しました。

どっひー &sing

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