今朝ふと、「なんでいまの嫁さんと結婚したんだっけ?」という疑問が頭に浮かんだ。
今日は、アンドシングスクールの日にもかかわらず。なぜかそんな疑問が頭に浮かんだ。
まぁ、仕方がないので、その疑問に答えるために思いだす。嫁さんと出会った日のことを。
確か大学4回生の頃だったと思う。西宮浜だったか鳴尾浜だったかにバーベキューに行った。僕の高校時代からの友人の誘いだった。就職活動で知り合った女の子がいるので、一緒にバーベキューに行かないか、とのことだった。まぁ、要は合コンみたいなもんだ。
で、男性4人、女性4人が、はじめて浜で出会った。バーベキューをした。そして、バーベキューが終わった後、何かして遊ぼう、ということになった。
これと言った遊び道具は用意していなかった。
仕方がないので、そこにあるもので遊ぶことになった。
アルミホイルと紙コップ。
アルミホイルをくしゃくしゃに丸めてボールにする。
紙コップを持つ。
アルミホイルを投げる。
紙コップで受け取る。
ただそれだけ。
ただそれだけのことなのに、キャッキャ言って楽しんでいる女の子がいた。
なんか知らんが必死でアルミホイルを紙コップでキャッチしようとしている女の子がいた。
取れなくて悔しがる。
取れて嬉しがる。
その女の子が、いまの私の嫁さんだ。
私がいまの嫁さんと結婚した理由。
アルミホイルと紙コップで楽しめる人だったから
私は、どうやら未完成で荒削りだけど十分に楽しめるものが好きらしい。
逆に言えば、完成され切った隙のないものはあまり好きではない。遊びがなく、壊れたら直せないからだ。
アルミホイルと紙コップなら遊びがある。壊れても直せる。
アルミホイルに太陽の光を当てて反射させたら何か面白いことが起こるかもしれない。
その反射した光を紙コップで受け止めたら何か面白いことが起こるかもしれない。
あるいは、紙コップで海水を救って、広げたアルミホイルに注ぎ、火で炊いたら、塩をつくれるかもしれない。
そもそも紙コップがあれば水を飲めるし、アルミホイルがあれば残った食べ物を包んで持って帰ることができる。
アルミホイルと紙コップなら用途も多彩だ。
それって人も同じなんじゃないかと思う。
未完成で荒削りでも十分に楽しめるんじゃないだろうか?
逆に、完成され切った隙のない人は、はたして楽しい人なのだろうか?
無理に、一つのことだけを完成させようと意気込む必要はないんじゃないだろうか?
仕事も趣味も生活も。
いずれも未完成で荒削りでもいいから、それぞれをしっかりと楽しめばいいんじゃないだろうか?
いや、むしろ未完成で荒削りだからこそ、楽しむことができるのではないだろうか?
アルミホイルを紙コップで受け取るだけの遊び一つとっても楽しみ方は多彩だ。個人戦にするのか、チーム対抗にするのか。何を反則とするのか。点数の入れ方をどうするのか。勝ったチームに賞品を与えるか。負けたチームに罰ゲームを与えるか。などなど。
未完成で荒削りだからこそ、制約があるからこそ、「もっと楽しめるようにするには、どうしたらいいのだろうか?」とつねに考えることができるのではないだろうか?
遊びがある。
壊れても直せる。
用途を多彩。
未完成で荒削りだからこそ楽しめる。
いつもそんな人でありたいなー、と思っています。
めざせ永遠の未完成!
めざせ最高の器用貧乏!
(追伸)
今日のアンドシングスクールもよろしくね♪
どっひー &sing