かつて意思決定のための会計を学んだ時、埋没原価という概念を学んだ。
埋没原価(サンクコスト)とは、どの選択肢を採用してもそれとは無関連に発生する原価(すでに支払ってしまったお金)のこと。過去の投資などがそれに当たる。
例えば、資格を取るための授業料として、専門学校に50万円支払ったとする。しかし、残念ながら、資格試験には合格できなかった。来年も資格を取るための勉強を続けるか。それとも、諦めて勉強を止めるか。どちらを選ぶにせよ、過去に支払った50万円が戻ってくることはないとする。
将来に向けた選択肢は2つ。
1. 勉強を続ける
2. 勉強を止める
さて、この意思決定をするに際して、過去に専門学校に支払った50万円をどう考えるか?
この、過去に支払った(戻ってくることのない)お金を埋没原価という。
埋没原価は、将来の意思決定を左右しない。
なぜならば、将来、どのような選択肢を選ぶとしても、変わることのない、すでに終わった話だからだ。
したがって、先の例で言えば、勉強を続けるか否かの意思決定をする際しては、過去に専門学校に支払った50万円(埋没原価)を考慮する必要はない。
過去に支払った50万円のことは、すっぱり忘れて、いまから(いまなら)どうするか?だけを考えて意思決定しよう!ということになる。
しかしながら、だ。
現実の意思決定は、必ずしも論理的ではない。人間の心理が影響するからだ。
「過去の努力を無駄にしたくない」
「ここまでやった以上、いまさら止められない」
「せめて過去に費やしたお金(と時間)くらいは取り戻したい」
などなど。
どうしても過去に囚われてしまう。
失われた過去を取り戻すことはできないにもかかわらず。
特に、時間は未来に向かってしか流れていない。
いまから未来に向けての意思決定は、まさに「いまから」のことだけを考えて意思決定すればいい。
これまでどうだったとか、あの時どうだったとか。
そんなものは考えなくていい。考える必要はない。
とは言え、それでも過去に囚われてしまうのが人間なのかもしれない。
実際、私自身、よく思う。
「ここまで頑張ったんだからなー」
「いまさら止めるのもったいないしなー」
「もうちょっと頑張ってたらいいことあるかもしれないしなー」
「せめて過去に〇〇した分の元を取れるくらいのところまでは続けるか…」
と。
特に、かつて会社を退職する前がそうだった。
このまま会社に居続けるか止めるか。
それを考える時、どうしても過去に囚われていた。
必ずしも、いまから未来のことだけを考えることはできなかった。
過去に自分が費やした努力も時間もお金も。それらすべてが埋没原価であるにもかかわらず。
どうしても過去に囚われてしまっていた。
失ったものに対する元を取ろうと考えていた。
だけど、いま考えると、こう思う。
「失ったものって何?」
「もともと生まれた時には何も持っていなかったはずなのに、いったい何を失ったんだろう?」
「むしろ得てきたものの方が多いんじゃないの?」
「過去に自分が費やした努力と時間とお金のおかげで得てきたもの。頂いてきたもの。それらを未来に活かしていけばいいだけなんじゃないの?」
「失った(ように見える)ものではなく、得てきたものに着目すればいいんじゃないの?」
と。
まぁ、こう言ってみたところで、なかなかそう単純には割り切れないのが自分の心なのではありますが…
でも、過去に失ったものではなく、得てきたものに着目してみるのは、良いと思います。
例えば過去1年間。勉強を続けてきたとしたら、必ず何かを得ているはず。
あるいは、過去1年間。仕事を続けてきたとしたら、必ず何かを得ているはず。
それら得たものは、失ったものではなく、埋没原価でもなく、これから未来に活かせるもの。
これからどんな未来に向かうにせよ、これまでに得てきたものを自覚し、それをしっかりと自分の周りに配置しておくことは、とても有用だと思います。
ぜひ一度、これまでに得てきたものの数々に着目してみてはいかがでしょうか?
ちなみに私の場合は、これまでに得てきたものの大部分は、他者からの戴き物でした。
実際、自分一人の力で得てきたものなんてほとんどないんですよねー
これは私にとって悲しくもあり嬉しくもある真実です。
どっひー &sing