いつまでインプットし続けるのか?

先生が生徒に教える。

先生は知っている人。

生徒は知らない人。

知っている人が知らない人に教える。

それが、小中高大の16年以上にわたり、私が受けてきた教育であった。

しかし、知識がインターネット上に溢れている現代において、知識を知るだけなら、先生に教えてもらう必要はない。

もはや知識の伝達に価値はない。

一方で、知識を使って実際に「やってみること」や「結果を出すこと」には、ハードルがある。

クックパッドでパエリアのレシピを検索できても、実際に「パエリアをつくってみること」や「おいしいパエリアを食べてもらうこと」には、ハードルがある。

どれだけ沢山の音楽を聞いても、音楽理論を覚えても、実際に「音楽をつくってみること」や「感動する音楽を届けること」には、ハードルがある。

学校で覚える知識の大部分も同様。覚えた知識を使って、実際に「やってみること」や「結果を出すこと」には、ハードルがある。

飼っているロバの体重を測りたい。どうやって体重を測るか?

山の斜面に小屋を建てたい。どうやって床が平行な小屋を建てるか?

どれだけ立派な知識を沢山インプットしたとしても、アウトプットできないのであれば、すべては無用の長物。

逆に、人の役に立つものや人に喜んでもらえるものをアウトプットできるのであれば、たとえ知識量が少ないとしても何の問題もない。

頭でっかちになるくらいなら、たった一つでいいから手仕事ができる方がいい。

インプットが足りないから、アウトプットできないのではない。

アウトプットしようとしないから、インプットが足りないままなのだ。

「いつかやってみたいこと」があるのなら、いまからやってみませんか?

やってみたら、足りないものがわかる。

足りないものがわかれば、それを埋めればいい。

「私にはできない」と思えば、できない言い訳を集めてくる。才能がない、時間がない、お金がない、などなど。

「私にもできる!」と思えば、できる言い訳を集めてくる。ちょっとしたものなら作れる、毎日1-2時間なら時間を取れる、1000円-2000円くらいなら自由になるお金はある、などなど。

「私にはできない」の一言で、自分の可能性の外堀を埋めていくのはもったいない。

「私にはできる!」の一言で、自分の可能性の扉を開いていく方が断然いい。

「やってみること」や「結果を出すこと」へのハードルを取り除き、「私にはできる!」の輪を広げていく。

教える人と学ぶ人。それぞれがはじめの一歩を踏み出すきっかけを得られる。

そこに行けば、どんどんアウトプットできるようになっていく。

どんどん必要なインプットができるようになっていく。

そして、どんどん成果が上がっていく。お金もしっかりといただけるようになる。

アンドシングスクールを、そんな学びの場にしていきたい、と考えています。

もうインプットだけをし続けるのは、終わりにしていいんじゃないでしょうか?

TAKU &sing

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