はじめての日本舞踊

今日、はじめて日本舞踊を観る。

友人が出演する舞台を観に行く。

日本で生まれて早44年。

いままで一度も日本舞踊を観たことがない。

狂言は、小学校の頃に観た記憶がある。ある時、体育館でやっていた。演目は『ぶす』だったと思う。太郎冠者、次郎冠者が出てきて、あれあれとコミカルな動きをしていた。妙な面白さがあった。大人になってからも、野村萬斎さんの狂言を観に行ったことがある。

だが、日本舞踊は観たことがない。歌舞伎もそう。

なぜだろうか?と、ふと疑問に思う。

まぁ、自分で観に行かなかったから、と言えばそれまでなのだが。

ミュージカルは観に行ったことがある。高校時代には、ヒップホップダンスが流行っていた。MCハマーとか、ダンス甲子園とか。当時、自分でダンスを創って、体育祭で踊ったこともある。

ダンスは観たり踊ったり創ったりしたことがあるけど、日本舞踊は観たことも踊ったことも創ったこともない。あえて知っている日本の踊りと言えば、盆踊りくらいだろうか。

なんか不思議だなぁー、と思う。

体験したこともないのに、ダンスは面白くて、日本舞踊は面白くなさそうなもの、という先入観が自分の中にある。

だから、最初に誘われた時も、どうしよっかなぁーと躊躇した。なんか堅苦しそうだし、つまらなそうだし。でも友人がやる演目だし、ここで観に行かなければ一生観に行くこともなさそうだし。と思って観に行くことに決めた。

それにしても、なぜ私は、日本舞踊は面白くなさそうなもの、と思っているのだろうか。体験したこともないのに、である。

ポイントは、「体験したこともないのに」にある。

要は、自分の中にある先入観は、人からの噂により形成されているということだ。

あるいは、知らず知らずの間に”自分の目の前に提示されてきたもの”(ダンス)と、”自分の目の前に提示されてこなかったもの”(日本舞踊)とによって形成されているということだ。

子どもの頃、日本舞踊に触れながら生まれ育っていたら、日本舞踊に対して全く違った印象を持っていただろう。

私は決して、日本舞踊が良くて、ダンスは良くない、と言いたい訳ではない。日本舞踊もダンスも素晴らしいものだ。踊りは万国共通で素晴らしい。ソウルを感じる。

私が言いたいのは、日本で生まれ育ってきたにもかかわらず、日本舞踊を観たことも踊ったことも創ったこともない、ということに対する違和感だ。

日本人として、何を大切にするのか?

自国の文化を知らなければ、他国の文化を真に知ることはできないのではないだろうか?

自国の文化を尊重できなければ、他国の文化を真に尊重することもできないのではないだろうか?

もしかしたら、ミュージカルを観ても、ヒップホップダンスを観ても、上っ面しか観ていないのかもしれない。

誰がどんな想いで、それを創始し、継承発展させてきたのか。なぜ、いまそのスタイルの踊りに辿り着いたのか。今後、どんなスタイルの踊りに変化していこうとしているのか。

100年以上の時間軸で、自国の文化を知ることは、他国の文化をより深く知ることにも繋がるのではないだろうか。

まぁ、あまり頭でっかちに考えたい訳ではないんですけど…

少なくとも、あまり先入観に囚われずに、日本舞踊を観てみたいな、と思っています。せっかくのいい機会ですので。子どもたちがどう感じるのかも楽しみです。

ってことで、今日は、日本舞踊を初体験してきます。

みなさんにも、今日、良き初体験がありますように♪

TAKU &sing

時代の最先端を体験する

昨日、時代の最先端を体験することの大切さについて話をしていた。

話の発端は、日本のキャッシュレス決済比率が低いということ。

詳しくは、『FinTechビジョンについて(補足資料)経済産業省(2017年5月)』の12ページをご参照ください。

日本のキャッシュレス決済比率(18.3%)は、中国(55%)、韓国(54%)、米国(41%)と比べて圧倒的に低い。

いわば日本では、いまだに”現金”での決済にこだわりを持つ人が多いということ。逆に言えば、現金以外での決済に抵抗を持つ人が多いということ。

「ほんとうにそれでいいのか?」

「そんなことでは日本は海外の最先端から取り残されていくのではないか?」

という話をしつつも、その場にいた誰もが、いまだに日常の買い物では、現金決済をメインにしていた。

要は、お財布に現金を入れて持ち歩くことが”ふつう”だ、と思っている。思い込んでいる。

いまの子どもたちは、3歳くらいで自然とスマホやタブレットを操作する。最近では、Siriに話しかけてスマホを操作する。

googleやLINEのスマートスピーカーが置いてある家で生まれ育った子どもたちは、”自然と”声でモノ、カネ、情報を操作するようになるだろう。

もしそうなっていくとすると、その時代の子どもたちは、ヒトに対する話し方も変わってくるかもしれない。

「オッケー、TAKUさん」

「晩御飯つくって!」

みたいな。

シンプルに指示を出して相手を動かす、ということが、ごく”ふつう”になるかもしれない。

その時、大人は、子どもたちに対して、こう言うかもしれない。

「いまどきの子どもたちは、口の聞き方がなっとらん!人に対して、ぶっきら棒に命令口調でしゃべる。どうなっているんだ?」と。

これに対して、子どもたちは、大人に対して、こう言うかもしれない。

「えっ、そう?シンプルでストレートな言葉の方が伝わりやすいよ。無駄もないし。むしろ、大人の方が無駄口が多いんじゃないですか?」と。

これは、どちらが良いか悪いかではなく、時代の変化なのだ。時代の変化に伴って生まれてくる価値観であり文化なのだ。

これからは、新しいテクノロジーのもとで生まれ育った子どもたちと、古いテクノロジーのもとで生まれ育った大人たちとの間での価値観のギャップがかなり大きくなるだろう。

もしかしたら時代の最先端を走っていないかもしれない日本の中ですらこうだ。

時代の最先端を走っている国の子どもたちや若者たちと比べたら、いわんやをやである。

世代間でのギャップだけでなく、国間でのギャップもかなり大きくなるだろう。

そんな状況の中では、何もしないことが最大のリスクになるかもしれない。

時代に乗り遅れてしまうどころか、時代にまったく付いて行けなくなってしまうかもしれない。

ってことで、

新しいテクノロジーを拒否するのではなく、積極的に取り込んでみる

時代の最先端を自ら体験する

ということが大切ですよね!

という結論に達しました。

いやー、仮想通貨取引もやってみるかな。いまさらながら。

TAKU &sing

仕事とお金

「この仕事をしたら、お金をいくらもらえますか?」

そんな風に、仕事とお金を直接結びつけて考えるようになったのは、いつからだろうか?

むかしむかし。私が30歳になるまでの頃。仕事とお金は、分けられていた。

仕事は仕事。お金はお金。

喫茶店でのアルバイトにせよ、会計士受験専門学校での非常勤講師にせよ、監査法人での監査業務にせよ。

目の前のお客さんに対して、一番いいサービスをすること。ともに働く仲間と喧嘩しながらも楽しく一生懸命に働くこと。

仕事は仕事として、そういう姿勢で臨んでいた。

お金は、”その結果として”もらうものであった。

“いくらいくらのお金をもらうために”仕事をする、という感覚はなかった。

仕事は純粋に楽しく。お金は困らない程度に入ってくる。そんな感じだった。

仕事とお金が直結し始めたのは、30歳を越えた辺りからだったろうか?

30歳を越えた頃、私は、経営コンサルタントに転身した。東京から大阪へ戻ってきた。第一子を授かった。

職業を変え、職場と住む場所を変え、子どもを持った。少し経つとマネジャーになった。会社に新卒が入ってきて、後輩ができた。

それまでは、自分一人が楽しんで働いていたら、勝手にお金も入ってきた。

でも、子どもができ、後輩ができた頃から、”自分が稼がないと”子どもを養えない、後輩を養えない、という感覚が芽生えてきたように思う。

家族が生活するためには、いくらいくら必要。そのためには、いくらいくらの稼ぎが必要。だから、いくらいくらの売上が必要。なんてことを考えるようになった。

あるいは、新卒で入ってきた後輩に、経験を積んでもらうためには、いくらいくらの仕事(プロジェクト)が必要。だから、いくらいくらの受注が必要。なんてことを考えるようになった。

まぁ、当時はそこまで自覚していた訳ではないです。あえていま、その頃のことを振り返ってみると、そんな気がする、ということです。

でまぁ、何が言いたいかというと、”養う”という感覚が間違っていたな、ということ。特に、会社に新卒で入ってきた後輩たちのこと。

子どもはともかく、新卒入社の後輩たちは、立派な大人だ。社会人だ。”養う”とか”養ってあげる”という感覚が失礼だ。

彼(彼女)らは、20年近く、自分で決めて、何かを経験し、何かを身につけ、ここまでやってきた。この先も、自分で決めて、何かを経験し、何かを身につけていくだろう。

私が、彼らを”養ってあげる”必要などない。彼らが自ら成長していける環境があればいい。彼らを見守ればいい。時に手を差し伸べればいい。何より、私は私で成長していけばいい。そして時に、彼らに教えてもらえばいい。ともに働き、ともに学び、ともに育っていけばいい。

いまは、そんな風に考えている。

だからいまは、仕事は仕事。お金はお金。と再び分けて考えることができるようになってきている。

「この仕事をしたら、お金をいくらもらえますか?」

ではなく、

「この仕事をさせてもらえませんか?」

「お金は、いくらいくらでお願いできますか?」

の2つを、いったん別々の話として考えられるようになってきている。

仕事で合意できても、お金で合意できないかもしれない。

逆に、お金で合意できても、仕事で合意できないかもしれない。

だが、上記のいずれにせよ、仕事かお金のどちらかは合意できている。

はじめからその二つを直結させて考えていたら、いい仕事には巡りあえない。

仕事とお金の両方で合意できたら、最高!

たとえお金が多少合わなかったとしても、仕事がぴったりと合意できたのでたれば、それも最高!

ともに働き、ともに学び、ともに育つ。ともに稼ぎ、ともに想いを遂げる。

そんな仕事と仲間に出会えたら、最高だよなー、と思いながら、日々を過ごしています。

今日も、良き仕事と良き仲間との出会いがありますよーに♪

TAKU &sing

仮想通貨の売却損益

仮想通貨の売却損益は、どうやって計算するのか?

昨日、たまたまその計算過程をチェックする機会に恵まれた。

取引明細を見ると、たくさんの取引がある。

購入があり、売却がある。もちろん、それぞれの取引に数量と金額がある。その単位は、日本円もあれば、仮想通貨もある。

取引は、JPY(日本円)とBTC(ビットコイン)間での購入・売却取引だけではない。

ETH(イーサリアム)やら、XMR(モネロ)やら。数種類の仮想通貨を相互に交換している。つまり、仮想通貨と仮想通貨をやり取りしている。

あと、マイニング(採掘)もある。この言葉は以前から聞いたことがあったが、実際に取引として目にするのは初めてだった。これは、どのように会計処理するのか?

そして、ハードフォーク(分裂)。まったく初めて聞く言葉。初めて見る取引。分裂?仮想通貨が?調べてみると、ソフトフォークという言葉もあるらしい。

取引明細を見た私は、ちんぷんかんぷん。はてさて、こりゃどうなっているのか?どうすれば、仮想通貨の売却損益を計算できるのか?

うーん、と考える。人と相談しながら考える。

「ふつうの外貨取引や株式取引だったら、こう計算するよなー」

「でも仮想通貨取引の場合、仮想通貨間の交換、マイニング、ハードフォークなんかがあるよなー」

「じゃあ、この仮想通貨特有の取引は、ふつうの会計処理にどう上乗せすればいいんやろ?」

うーん、と考える。ホワイトボードに図を書きながら考える。簿記でよく使うT勘定というのを書きながら考える。あーでもない、こーでもないと、シンプルな例を使って考える。

そんなかんなの試行錯誤の結果、

「こうすれば、仮想通貨の売却損益がピシッと計算できるんじゃない?」

という計算ロジックを思いつく。

あとは、この計算ロジックを現実の取引に当てはめて、仮想通貨の売却損益を計算するだけ。

先の計算ロジックをもとに、エクセルシート上に計算表の枠をつくる。各セルには数字はまだ入っていない。数字を埋めていくための枠だけを先につくる。

ここから、現実の仮想通貨取引をエクセル上で集計し、各セルにその値を放り込んでいく。

すべてのセルに値が入った時、ピタッと答えが出てきた。仮想通貨の売却損益額は、ナンボと具体的な数字が出てくる。

最後に、期末の仮想通貨残高を確認し、簿記で言うところの借方と貸方の総額がバランスしていることをチェックする。

万事オッケー!

すべて整合している!

当該仮想通貨の売却損益は、しめて○○万円!

いっちょあがり!

ってな、経験をしました。

知らないことを知る。できなかったことができるようになる。答えがピタッと出る。別の角度から見ても整合している。オッケー、間違いなし!と確信する。安心する。しかもそれが、人の役に立つ。なんて嬉しい!

働くヨロコビは、ほんの些細な仕事の中にも潜んでいるんだなぁ、と改めて感じた出来事でした。

TAKU &sing

追伸:

「仮想通貨に関する所得等の計算方法等について(情報)」

という資料が「国税庁個人課税課」から平成29年12月1日付けで出ています。

仮想通貨の売却損益の計算方法などを知りたい方は、ぜひご参照いただければと思います。

アメブロに繋がらない

このブログ、いつも電車の中で書いている。

自宅から北浜の事務所までの通勤途中。スマホで書いている。

今朝は、かつてアメブロに書いた記事を参照しようと思った。

働くこと。為事、仕事について書いた記事。

私が子どもの頃、はじめて「働く」を体験した時の記事。

だが、どうしてもスマホからアメブロにアクセスできない。なぜかその記事に辿り着けない。

誰かがこう言っているのかもしれない。

「今朝は、その話は書かない方がいい」と。

「働くこと」と「お金をもらうこと」との関係。そして「銭枡(ぜにます)」について書きたかったんですけどね。

仕方がない。その話は、また別の機会に書くことにします。

ということで、今朝はこれにて終わり。

今日もいい一日でありますように♪

TAKU &sing

働くヨロコビ

「わっ、働くって、楽しい!」

「わっ、学ぶって、楽しい!」

今日一日の中で、そんな風に感じる瞬間があれば、きっと幸せだろう。

いま、私には、ものすごーく気になっている人がいる。

今朝、「なんで、その人のことが、ものすごーく気になるんだろう?」と考えていたら、ふと理由がわかった。

その人が、働くこと、学ぶことを怖がっているからだ。

その人は、「私は、あんな人たち(その人がふだん見ている大人とか同世代の人たち)のように、つまならそうに、何かに迎合するように、お金を稼ぐためだけに、働きたくない、学びたくない」と思っている(と私が感じている)。

「あんな人たちのように働いたり、学んだりすることは、自分を消すこと、失うことだ。私はそうはならない!なりたくない!」と思っている(と私が感じている)。

くどいくらいに断っておくが、その人がほんとうに先のように思っているかはわからない。だが、私は、「その人はきっとそう思っているのだろうな」と感じている。

私にとって重要なことは、その人の話しを見聞きしている私自身がそう感じている、ということだ。また同時に、その人に対して何かをしてあげたい、と感じているということだ。

私は、その人のために、何をしてあげられるのだろうか?とずっと考えている。だが、まだその答えはない。

まだ答えはないのだけれど、ふと自分で気づいたことがある。

それは、

「働くって、楽しい!」

「学ぶって、楽しい!」

と私が思っているということだ。

私はそれを子どもの頃から感じてきたし、44歳になった今でも、それを感じている。

そう信じている。

もちろん、嫌だなぁーと思う時もあれば、面倒だなぁーと思う時もあれば、つらいなーと思う時もある。

でも、そりゃそうだ。人間だもの。自分の感情の浮き沈みはあるし、まして誰といつどこで関わるかによっても状況は変わるのだ。一年365日、一日24時間、ずっと楽しい訳ではない。

でも、元来、

働くとは楽しいものである。

学ぶとは楽しいものである。

と私は信じている。

なぜ私がそう信じているのか、については、また改めて書きたいと思う。

一方で、今朝、私が考えていて、一つやると決めたことがある。

それは、

「働くって、楽しい!」

と実感できる体験の場をつくる。

ということ。

ありがたいことに、私は幼い頃にそれを実感することができた。

なーんにもできない子どもだった私が、人のために働いて、その人にめっちゃ喜んでもらった。すごいねー、って褒めてもらった。でもって、お駄賃までもらっちゃった。また、働こう!もっといろんなことができるようになろう!そんな風に思えることができた。

元来、働くとは楽しいものである。

そんなことを感じられる、働きの場、学びの場。

無理に思い込むのではなく、自然とそう思えるような場。

そんな場をつくっていきたいな、と思っています。

AIやロボットが進化しまくったら、衣食住をつくり出すために、人間が働く必要性はなくなるでしょうね。

その時、あなたは何をしているのでしょうか?

私は何をしているのでしょうか?

やっば歌ってるんだろうなぁー

TAKU &sing

頼む力

教えてくれませんか?

手伝ってくれませんか?

一緒にやってくれませんか?

人が、社会を生き抜き、ともに幸せになるために。

もっとも重要な力は、『頼む力』ではないだろうか。

学校や会社では、いろんなことを知識として学ぶ。

私は、小中高では、数英国理社を始め、様々な教科を学んできた。大学では、法学。会社では、会計や経営。

これまで、いろーんなことを知識として学んできたが、ほんとうに大切なことは、人に協力してもらうことだ。

大きな岩が、道を塞いでいる。その道を進むためには、その岩をどかさなければならない。その岩は、一人では到底動かせないほどの大きさ。さて、どうするか?

帽子が風で飛ばされ、高い木の枝にぶら下がってしまった。その木の高さは、自分の背丈の2倍はある。さて、どうするか?

多くの問題は、一人で解決できないことが多い。いや、一人で解決できないからこそ、問題というのだろう。

したがって、問題を解決するためには、他人に協力してもらう必要がある。

教えてもらったり、手伝ってもらったり、一緒にやってもらったり。

そのために必要になるのが『頼む力』だ。

そして『頼む力』でもっとも高度なのは、地位も金もない状態で、人に協力してもらうことではないだろうか。

算英国理社。法学。会計や経営など。どんな知識も、とどのつまりは、”人に協力してもらう”ために学ぶのではないだろうか。

そして、”人に協力してもらう”のは、”自分が社会を生き抜き、ともに幸せになる”ためではないだろうか。

『頼む力』は、リーダーにとって、非常に重要な力だ。

もっと言えば、あらゆる人にとって、重要な力だ。

「おい、ちょっとこれやっとけや!」

と地位や金で人を動かすのではなく、

謙虚に、一人の人間として、他人に教えてもらい、手伝ってもらい、一緒にやってもらう。

そんな『頼む力』をしっかりと身につけた人になりたいな、と思います。

我以外皆我師也

TAKU &sing

夢を諦めないということ

「こんな人になりたい!」

「この人みたいになりたい!」

誰かに憧れるのを止めた時、視界は開ける。

私は、かつていろんな人に憧れていた。

例えば、マイケルジャクソン、小室哲哉、野田秀樹、スティービーワンダー、大前研一、スティーブジョブズ、桜井和寿(敬称略)などなど。

でも、42歳のある時。痛烈な体験をし、誰かに憧れることを止めた(遅!)。

時は、2016年9月18日(日)。場所は京都駅近くの梅小路公園。

私は、京都音楽博覧会(通称、おんぱく)という野外フェスに来ていた。雨が降る中、レインウェアを着て、芝生広場に立っていた。

ステージまでは、かなり遠い。50メートルくらいはあっただったろうか。観客はおそらく1万人くらい。

その時、ステージ上に立っていたのは、桜井和寿さん。言わずとしれた、ミスターチルドレンのヴォーカルだ。

その姿は、とても小さい。スクリーン上に映し出されている姿は大きいが、実物はめっちゃ小さい。

その声は、めっちゃ小さい。マイクを通した声はでかいが、地声はまったく聞こえない(当たり前!)。

僕は、正直、ガッカリした。なんて、小さいんだ、と。

実物も見えなければ、地声も聞こえない。これで、桜井和寿さんの歌を聞いたと言えるのだろうか、と。

一方で、圧倒的な存在感だった。

『名もなき詩』を、みんなが熱唱していた。

みんな、桜井和寿さんの歌を聞いているんじゃなくて、桜井和寿さんと一緒に歌を歌っていた。僕の隣にいた男性なんか、完全に桜井和寿さんと一体化していた。

桜井和寿さんは、みんなが心に想っていることを、言葉にし、声に出して代弁しているのだ。だから、みんなが歌うのだ。「あるがままの心で 生きようと願うから…」と大合唱するのだ。

その時、僕は桜井和寿になるのを諦めた。

「あぁ、オレは桜井和寿にはなられへんなぁ」と心の底から思った。

と同時に、「あら?オレ、本気で桜井和寿さんみたいになりたい!って思ってたんや」と気づいた。バカだなぁ、と思った。

そして考え始めた。

「僕が、桜井和寿さんみたいに、ステージに立って、みんなを大合唱させるには、どうしたらいいか?」

「僕にはできて、桜井和寿さんには絶対にできないことは何か?」と。

その時にふと思ったのが、「会計」というキーワード。

なんてったって、僕は会計士だ。桜井和寿さんは、会計士ではない。ならば、「会計で、ステージに立って、みんなを大合唱させることができないだろうか?」

僕は、桜井和寿さんのようには歌えない。僕には、僕の歌しか歌えない。

これまで、何曲も何曲もミスターチルドレンの歌を歌ってみたが、どれもうまく歌えない。

そりゃそうだ。僕は、桜井和寿さんのように歌を歌うことを”理想の姿”としていたのだ。桜井和寿さんを理想像として追いかけている限り、”絶対に”自分の歌は歌えない。

僕には、僕の想いがあり、言葉があり、声があるのだ。僕には、僕の歌があるのだ。

僕にできることは、僕の歌を歌うことだけ。そして、ただそれだけのことに、一番の意味があるのだ。

僕は、かつて桜井和寿さんに憧れていた。だが、それは桜井和寿さんになることではなかった。

僕が、目指していたのは、桜井和寿さんが体現しているその姿だったのだ。

自分の歌を歌うこと。ステージに立って、みんなと大合唱すること。心で繋がること。

思えば、マイケルジャクソンに憧れたのも、そういう理由だったんだなぁ、と腑に落ちた。

誰かに憧れることは素晴らしい!

こんな人になりたい!この人みたいになりたい!という気持ちは、自分を成長させる原動力になる。

だけど、”絶対に”その人になることはない。その人になる必要もない。この世の中に同じ人間は2人もいらない。

すべての人が違っているからこそ、意味がある。影響を与え合える。

自分の歌を歌うこと。

自分の道を歩くこと。

壁にぶつかったら、誰かに憧れるのを止めること。

自分を諦めないこと。

自分の夢を諦めないこと。

自分は、憧れの人のようにはなれない。だから、夢を諦めよう。なんてつまらない。

一方で、夢は必ず実現する!なんて甘いことを言うつもりはない。

だけど、自分の夢は自分の夢として、しっかりと抱き続けてあげること。

それは、ほんとうに大切なことだ、と心から思います。

TAKU &sing

私に仕事をさせてください!

「私に仕事をさせてください!」

そう言えたら、どんなに幸せだろうか?

かつて私が経営コンサルティング会社で提案営業をしていた頃。どちらかと言えば、「私に仕事をくれませんか?」という姿勢でお客様と接していたことが多かったように思う。

いわば、御用聞き。

「なんか仕事ありませんか?」

「なんか困っていることはありませんか?」

そんな風に受け身の姿勢で、会話をしていたように思う。

だが、最近、その姿勢が少しずつ前向きになってきたようだ。

次世代リーダー輩出のための学校(学びの場)を創りたい!

『開学』で教育の世界を変えたい!

企業から次世代リーダーを輩出したい!

中高生から次世代リーダーを輩出したい!

シンガーソングライター教室を開きたい!

5人の従業員(団員)を雇いたい!

シンガーソングライターになりたい!

武道館でライブをしたい!

まぁ、実際に言っていることは、ぼんやりとしたことばかりなのだが、私自身は結構本気なのだ。

それが多少なりと人に伝わるのだろうか?

私がやりたい!と思っていることにフィットするような提案を受けることが多くなってきた。人を紹介してくれたり、案件を紹介してくれたり。

あるいは、私がやりたい!と思っていることと”フィットしない”提案を事前に断っていただいたり。

結果として、私の周りには、いい提案がやってきて、そうでない提案はうまくシャットアウトされているように感じる。

同時に、私は、すごくいい人に囲まれているなぁ、とも感じる。

じゃあ、「なんでそんなに”いい環境”にいま自分がいるんだろう?」と考えてみると、冒頭の言葉に戻る。

「私に仕事くれませんか?」

ではなく、

「私に仕事をさせてください!」

「その仕事をするための舞台に私を立たせてください!」

いま、私はそういう気持ちで人と接したり、言葉を発しているようだ。

「ようだ」というのは、いまだにその自覚がはっきりとはないからだ。

だが、ありがたいことに、私には、私が気づいていないことを気づかせてくれる人たちがいる。

昨日もそうだった。

そして、今日のこのブログがある。

ほんとうにありがたいことです。

どうか、私に仕事をさせてください。

その仕事をするための舞台に私を立たせてください。

その舞台に立ち、その舞台で存分に仕事を果たすために、どうか力を貸してください。

よろしくお願いいたします。

TAKU &sing

心のブレーキが外れた瞬間

めっちゃ言いたいことがあるんだけど、声に出せない。

そんなことってないですか?

昨日のブログに、自作の歌詞とメロディに伴奏をつけてもらって感動した、という話を書いた。

でも実は、私にとって大切な瞬間は、その前の段階にあった。

それは、私が、歌の先生に対して、自作の歌詞とメロディを伝えようとする瞬間に起こった。

「実は、ちょっと作曲をし始めてて。こんな感じの曲調にしたいなぁー、と思ってて。一応、歌詞もあるんですー」と私。

「おっ、いいじゃないですかー。どんな感じですか?」と先生。

「聞いてくれますー?」と私。

ワクワク、ドキドキしながら、スマホのメモ帳を検索する私。歌詞はメモ帳に書いてある。歌詞の書いたメモが見つかった。

さて、そのスマホに書いてある歌詞を見ながら、歌を口ずさもうとしたその瞬間。

めちゃくちゃ躊躇した。

「うわっ、恥ずかしい…」

「この歌詞とメロディ、ホンマにいいんかな?」

「やっぱ発表するのやめよっかな」

みたいな気持ちが湧き上がって来た。

私の歌の先生は、ほんとうにいい先生だ。いままでに、一度も私の歌を批判したことがない。それでいて、私の歌の良いところをグッと引き出してくれる。私が「そんなことできるかなぁ?」と躊躇してたら、「できるできるー♪」「やっちゃえー!」って励ましてくれる。そのくらい、私にとっては、安心して信頼している先生だ。

に、も、か、か、わ、ら、ず!

私は発表するのを躊躇した。

声を出そうとしたら、「うっ」と詰まった。

結局、その壁をどう乗り切ったのかは覚えていない。

先生は、特に急かさなかったと思う。

私は、躊躇した後、しばらく逡巡し、「えいっ!」と歌い出したと思う。

その直前には、こんなことを感じたような気がする。

「この先生の前で自作の曲を発表できないのであれば、僕は誰の前であっても自作の曲を発表することはできないかも」

なんか大げさだけど、たぶんそんなことを感じた。

その後、自作の歌詞とメロディを先生に聞いてもらい、伴奏をつけてもらって、めっちゃ感動した。

先生が、私の自分の歌詞とメロディを受け入れてくれたこと。

そこからともにイメージを膨らませてくれたこと。

そして、こうしたらもっと良くなるよ、と提案してくれたこと。

さらに、ピアノ伴奏という形で、曲の原型を進化させてくれたこと。

その結果、私の中に新しい創作意欲が湧き上がってきたこと。

そんな一連のプロセスがあって、私はめっちゃ感動したのだと思う。

この話。ほんのささやかなコラボレーションの話だが、すごく重要なポイントを指し示している。

自作の歌詞とメロディを口ずさむことができた、という”はじめの一歩”があったからこそ、はじまったコラボレーション。

逆に言えば、この”はじめの一歩”がなければ、何も生まれることはなかった。

もしかしたら、私は、二度とこの世で自作の歌詞とメロディを口ずさむことはなかったかもしれない。

“はじめの一歩”を踏み出せる環境があるかどうかは、ものすごく重要だ。

めっちゃ言いたいことがあるんだけど、声に出せない。

「王様の耳はロバの耳」ではないですが、めっちゃ言いたいことがあるのであれば、それを声に出せるような場所をつくって行きたいな、と思っています。

ほんの小さな一歩が、大きな大きな未来を創る

私はそう信じています。

TAKU &sing