昔の常識、いまの常識。知らず知らずの思い込み

最近、鼻歌を録音したら、"勝手に"コード、ベース、ドラムをつけてくれるアプリを見つけた。

『Music Memos』

無料のiPhoneアプリだ。

*どんなアプリかは、このURLの記事とかをご参照ください。

https://app-liv.jp/1036437162/

このアプリ。実際に使ってみると、なかなかすごい!

ただの鼻歌が曲になる!

どんな鼻歌でも曲になる!

歌う鼻歌は、自分が奏でる必要があるけど、それさえできればあとはそれっぽい曲になる。

「すげーっ!」と思った。

『Garage Band』をはじめて使った時にも、「げげっ!スマホ一台でここまでできるのか!」とびっくりしたけど、それはむしろ機能性の高さに感動した。

でも、『Music Memos』は、曲づくりのあまりの手軽さにびっくりした。

いつのまにかアプリはここまで進化しているんですね。いやはや。

私が、はじめてシンセサイザーを買ったのは高校入学前。ちょうど消費税が導入される直前だった。

そのシンセサイザーはYAMAHAV50というオールインワンシンセ。

たしか、15万円くらいした。当時の私からしたら破格の値段だ。いま思えば、そのお金をどうやって捻出したかの記憶はないが、自分でお金を出して買ったと思う。

友達と一緒に大阪心斎橋のMIKI楽器まで買いにいって、めちゃくちゃ重い(10kg以上ある)のに、えっちらおっちらと抱えて持って帰ってきたことを覚えている。

そのV50でできることといえば、

  • 鍵盤で何種類もの音を鳴らせる(キーボード機能)
  • ドラムを打ち込んで自動で鳴らしてくれる(リズムマシーン機能)
  • ドラム、ベース、ピアノなどの音を順に打ち込んでいくことで曲をつくれる(シーケンサー機能)
  • できた曲は自動演奏してくれる
  • その曲と一緒に、キーボードを弾くこともできる
  • 音そのものを新しくつくり出すこともできる(サンプリングではなく波形をつかった音づくりのみ)

などなど。

それが当時は15万円。

でもいまは、上記のすべてを『Garage Band』だけでできる。つまり、スマホ一台だけでできる。そしてアプリは無料。加えて、『Music Memos』みたいなアプリまである。

しかも、つくった曲は、簡単に他のアプリと共有できる。友達と共有することもできる。友達と共同でさらによい曲をつくり出すこともできる。

いや〜、時代はとてつもなく進化していますね。

まぁ、私の高校時代から30年経っているから当然なんでしょうけど。それでも40歳を過ぎて音楽の趣味を再開するまでは、そんなことに気づきもしていませんでした。

先日、「最近の中高生は、学校の授業なんて聞いてない。知識は、もっぱらyoutubeで手に入れている。ゲーム、音楽、料理などの趣味に限らず、学校の勉強もすべてそう。勝手にyoutubeを検索して勝手にできるようになっている」と聞いた。

たしかに、youtubeの方が便利でわかりやすく自分のペースで学べるから良さそうだ。

下手に学校や塾に行くくらいなら、『スタディサプリ』の方がいいのかもしれない。

これからの時代。学ぶ内容にせよ、学び方にせよ、昔の常識に囚われていると、損ですよね。

だって、鼻歌が簡単に曲になるんですから。これ、誰でも曲をつくれる。幼稚園児だってつくれる。いや、産まれたての赤ちゃんの泣き声だって、『Music Memos』に録音したら曲にしてくれる。

ドレミがどうとか、四分音符がどうとか、ト音記号がどうとか。そんなことを学ぶ前に、自分が鼻歌を歌ったら曲になるのだ。

「もっといい自分の曲をつくりたい!」という熱意を持って音楽の授業を受ける子と、「自分とは関係ないのになぁー」と思って音楽の授業を受ける子。

どちらが同じ授業から多くの学びを得られるかは明らかだろう。

作曲は特別な人がやることという時代から。

誰でも自分の曲をつくれる時代へ。

ゲームも音楽も料理も学校の勉強も。

学び方だけでなく、学ぶ内容も。

昔の常識に囚われず。

知らず知らずの思い込みに囚われず。

せめて、いまの常識くらいはキャッチアップしておきたいなぁー、と思います。

それは自分のためでもあり、子どもたちのためでもある。

そして願わくば、新しい常識を生み出す側になれたらいいなぁー、とも思います。

まずは、

アンラーニング!

ですね。

よろしければ、アプリもお試しあれ♪

どっひー &sing

感情はどんな姿形をしているのか?

音楽は感情を表現したものである

と仮定したとすると、

音楽を創り出すためには、その元になる感情を掴み取る必要がある

ということになる。

いわば、音楽が花で、感情が種と言えるだろう。

では、感情とは、どんなものなのだろうか?

好きな人が喜んでいる顔を見た時。

好きな人が悲んでいる顔を見た時。

他人を誹謗中傷する愚痴を聞いた時。

相手を怒鳴りつける声を聞いた時。

ヘドロだらけの川の臭いを嗅いだ時。

かぐわしい花の香りを嗅いだ時。

どんな感情が心に現れるのだろうか?

その感情はどんな姿形をしているのだろうか?

色で例えると、赤色?青色?黄色?

形で例えると、四角?丸?三角?

言葉で例えると、おっ?げげっ?うわーっ?

流れで例えると、上り?下り?フラット?

音で例えると、キラキラ?ガシャガシャ?ゾワゾワ?

これまで、「感情そのもの(の姿形)を掴み取ってみよう!」という発想がなかった。

だが、音楽のメロデーづくりを考える上では、どうしても感情そのものを掴み取る必要があるような気がする。

ってことで、今日は、

感情はどんな姿形をしているのだろうか?

という問いを掲げながら、一日を過ごしてみたいと思っています。

今日も良い一日を!

今日も良い感情を!

どっひー &sing

「自分の好きを諦めないこと」は、「自分を脱ぎ捨てていくこと」

自分が好きだと思っていることは、本当に自分の好きなことなのか?

先日の『ジブンノシゴトのつくり方教室』第一回:自分の好きを見つめ直そう♪では、この問いを掲げるところからスタートしました。

今日は、先日の講座の模様を簡単にレポートしながら、冒頭の問いに対する「答えらしきもの」と「日々自分が取り組んでいけば良さそうなこと」をお伝えしたいと思います。

1. はじめの問いを掲げる

参加者の方から冒頭の問いが投げかけられた時。正直、私はこう思いました。

「えっらいところからスタートするなぁ〜」

「今日は、みんなで自分の好きを出し合いながらワイワイガヤガヤ話をするイメージだったのに…」

「この問いって、そもそも論やん!」

「それも今日の講座の話の前提をひっくり返しかねない問いやん!」

と。

だって、「自分が好きだと思っていることは、本当に自分の好きなことなのか?」と問うということは、「自分の好きを疑う」ことになる訳ですから。

私自身の例を挙げれば、「私は歌を歌うことが好きだと思っている」けど、「それは本当に私の好きなことなのか?」と問うこと。それって「私はシンガーソングライターになりたいと思っているけど、それは本当に私のなりたい職業なのか?」を問うことに繋がってしまう。これは、「私自身が思っていること」の根底を揺るがしかねない問いである。

でもまぁ、出てきたものは仕方がない。

しかもこの講座は、お越しいただいた方のためにある。

私がイメージした通りに講座を進めることが目的ではない。

「よし!今日は、このそもそも論からスタートしようじゃないか!」

ということで、冒頭の問いを掲げるところから講座はスタートしました。

2. はじめの問いについて対話する

冒頭の問いについて、「みんなが(と言っても3人ですが)思うところ」を話し合いました。この内容自体にはプライベートな内容を多く含むため、詳細をここでは書きませんが、対話を通じて以下のようなキーフレーズが出て来ました。

  • 「自分が好きだと思っていること」は、「他者からの期待」や「これまでにやってきたこと」に囚われているのではないか?
  • 「自分が嫌ではないこと」はできているが、それが「本当に自分の好きなことか?」と聞かれると、そうかどうかはわからない
  • そもそも「本当に自分の好きなこと」が「どこかにあるはず」と思って追求する必要はないのではないか?
  • 「TO DO」(何をするか?何になるか?)よりも、「TO BE」(どうありたいか?)を追求することが大切なのではないか?
  • 「TO BE」を追求することは、自己を開示することであり、他者をねぎらい、応援し、支援することではないか?
  • その先に、(心からの)「好き」とか「幸せ」のようなものがあるのではないか?
  • 自己を開示するためには、まず自分の欠点(弱さやダメさ)も含めた「ありのままの自分」「何もつけていないままの自分」を受け入れることが大切なのではないか?
  • そのためには、自分の「見栄、欲、恐怖心、不安…」と向き合う必要があるのではないか?
  • だが、それは無意識の自分と対峙することになるので、なかなか手強いのではないか?
  • 座禅や瞑想は、無意識の自分と対峙するための一つの方法なのかもしれない
  • 自分の欠点(弱さやダメさ)を受け入れられないのは、「頼りになる自分であらねばならぬ」という自己像(思い込み)にあるのではないか?
  • それゆえに、「頼る自分になってはいけない」という自己像(思い込み)に囚われているのではないか?
  • それゆえに、いざという時でも人を頼れず、孤立する不安を持ってしまうのではないか?
  • それは、仕事でも同じかもしれない
  • 「部下を食わせられる自分であらねばならない」という自己像(思い込み)があるがゆえに、「部下を頼らない」「部下に任せない」という行動を取るのではないか?
  • その結果、「私はこれだけ頑張っているのになんで認めてくれないんだ!」「なんで協力してもらえないんだ!」という思いに囚われてしまうのではないか?
  • また一方で、部下を頼らず、任せないがゆえに、「頼りない部下」や「任せられない部下」を生み出してしまうのではないか?
  • 逆に言えば、自分の自己像(思い込み)を脱ぎ捨てれば、「頼りになる部下」や「任せられる部下」はすでにそこにいるのではないか?
  • また、「会社は右肩上がりで成長しなければならない」「会社は従業員を食わせていかなければならない」という自己像(思い込み)が、会社と従業員の関係や上司と部下の関係を「相互に依存しあう関係」にしてしまっているのではないか?
  • 会社経営においても、自己像(思い込み)を脱ぎ捨てれば、「自立した個人が協力しあう関係」をつくれるのではないか?
  • 一人一人が「組織に依存しなくても自分で(も)食っていける」という自信を持てれば、お互いが自立した個を保ちつつ、組織としても協力し合える関係を築けるようになるのではないか?
  • とは言え、会社を辞めて独立してみる(あるいは副業してみる)ということには、勇気が必要になる
  • 一方で、いくら準備をしても準備が整うことはない
  • どこかのタイミングで、「自分で食っていく!」という覚悟を持って、一歩を踏み出すしかないのかもしれない
  • そのためには結局のところ、自分の「見栄、欲、恐怖心、不安…」と向き合い、それを脱ぎ捨てていくことが必要なのではないか?

などなど。

非常に多岐にわたる話し合いになりました。

3. はじめの問いに対して答える

以上のように話し合いは非常に発散したのですが、残り時間があと10分くらいになったので、はじめの問いに対する答えらしきものを出すことにしました。

冒頭の問いを再掲すると。

自分が好きだと思っていることは、本当に自分の好きなことなのか?

この問いに対する答えらしきものはこちら。

自分が好きだと思っていることは、本当に自分の好きなことではないかもしれない

じゃあ、どうすればいいか?というと。

本当に自分の好きなことを追求していくことは、自分の幸せを追求すること。

「自分の好きを諦めないこと」は、「自分を脱ぎ捨てていくこと」

そのためには、

「自分が好きだと思っている(思い込んでいる)こと」に囚われず、

自分が日々(心から)「好きだな〜」とか「幸せだな〜」と感じられる状態(TO BE)を感じ取ると同時に、

自分が日々(心から)「嫌だな〜」「不安だな〜」と感じていることを自覚して受け入れていくこと

が大切なのではないか?

という結論らしきものに辿り着きました。

なんか難しそうな書き方になってしまいましたが、要は、

自分の弱さやダメさを含めて「自分に素直であろう!」「正直であろう!」

ということですね。

私も改めて、自分の弱さやダメさを含めて「自分に素直であろう!」「正直であろう!」と思いました。

4. 「最後に」と「後日のまとめ」

で、さっそく私自身の弱さやダメさについて話をすると…

そもそも、ジブンノシゴトのつくり方教室の定員は16名でした。

が、結果としてお越しいただいたのは、ゲストスピーカーのモッチーさんと参加者のお一人だけ。

「全然、定員ガラガラやん!」

とほほ…です。

正直に言えば、会議室賃借料を払ったら赤字です。

まあ、これがいまの私の実力であり、現実です。

とは言え、先日は3人ですごく意義のなる話し合いができたし、すごく大きな学びを得ることができました。

何より、楽しく充実した90分間を過ごすことができました。

それは私にとってすごく幸せなことです!

お越しいただいたお二人にとっても、楽しく充実した90分間になったのであればいいな〜と思うばかりです。

心より、感謝申し上げます。

ありがとうございました!

で、せっかくなので、先日の対話で出て来た話をチャートにまとめてみました。

そのチャートが、この学ぶログの写真(アイキャッチ画像)になっています。

「自分の好きを見つめ直してみたい♪」と思われている方にとって、何か一つでも考えるヒントになれば幸いです。


次回は、6月23日(土)13時30分〜15時00分。

テーマは、「自分の好きを職業に転換しよう♪」です。

好きを諦めない働き方を追求するために、「どんな働き方をすればいいのか?」「どんな職業を選べばいいのか?」「好きを仕事にするための架け橋をどうやって見つければいいのか?」について一緒に考えていきたいと思っています。

もしご興味とご都合があえば、ぜひお越しいただけますと幸いです。

*講座内容のご確認とお申し込みはコチラ(こくちーずプロ)から。

お待ちしております♪

どっひー &sing

 

【作詞作曲法】対話でワンフレーズをつくり出す(父の日ミニソング編)

「自分で歌詞を書いてみたいんだけど、なかなかうまくいかない」

そんな時には、対話でワンフレーズをつくり出してみるのもいいかもしれません。

先日、『シンガーソングライター教室(超入門)』第1回:父の日ミニソングをつくろう♪を実施しましたので、その時の講座の模様をレポートしながら、「対話でワンフレーズをつくり出す」イメージをお伝えしたいと思います。

ミニソングづくりの大まかな流れ

まずはじめに、ミニソングづくりの大まかな流れをご説明。

現段階では、ミニソングづくりを10ステップに分けて考えています。今後、講座を重ねていく過程で、ステップが見直されたり、より精緻になっていくと思いますが、大まかにはこんな流れでミニソングをつくっていきます。

1. 一人一人がワークシートを記入する

ワークシートの質問項目は全部で7つ。みなさん、真剣に記入されていました!

ちなみに、ワークシートのイメージは、5月21日の学ぶログをご参照ください。

2. 二人一組になって、相手のワークシート内容をヒアリングする

向かい合わせで一組になり、お互いにワークシート内容をヒアリングし合っていただきました。みなさん初対面だったので、「話づらいかな〜」と心配していましたが、案ずるより産むが易し、でした。

3. キーワードを拾い、相手が伝えたいワンフレーズを提案する

この段階まで来ると、それぞれの組ごとに対話が進んでいる状態です。

正直、私としては、それぞれの組ごとにどんな話がなされているのか、どんなワンフレーズが提案されているのかは、よくわかりませんでした。

悪く言えば、放置プレイ。良く言えば、熟成期間ですね。

4. 相手の提案を参考に、自分が伝えたいワンフレーズを決める

さあ、いよいよワンフレーズ決めです!

今回は参加者が6名でしたので、お一人ずつ順に発表していただきました。

「どんなお父さんだったのか?」

「どんなエピソードが思い出に残っているのか?」

「どんなことをお父さんに伝えたいのか?」

「それを言葉にするとどんなフレーズになるのか?」などなど。

私は書記役として、みなさんから出てくる言葉をホワイトボードに書き取っていきました。

すると、出てくる出てくる。歌詞のようなフレーズが出てくる。びっくり仰天!

それは、荒削りではあるものの想いのこもったフレーズでした。なぜならば、そのフレーズは、「その人にしか書けない詩」だったからです。

その人とその人のお父さん。

そのお二人の関係性の中にしかない物語があり、思い出があり、言葉がそこにはありました。

手がグローブのようなお父さん

新聞紙を打たせてくれたお父さん

関西弁で温かいお父さん

自分の人生を力強く生きるお父さん

仕事で忙しい中、遊んでくれたお父さん

不器用だけど工作好きなお父さん

などなど。

どの方のお父さんも、いいお父さんでした。

そしてどの方も詩人でした。

二人一組で対話していただくことが、ここまで効果的な方法だとは正直思ってもいませんでした(自分たちで講座を設計しておきながらなんていい加減な!とも思いますが…)。

また、yu-kaさんの歌詞提案力も圧巻でした。

お一人お一人のお話をよーく聞きながら、その人がお父さんに何を伝えたいのかをよーく理解しようとしている。

そして、お一人お一人から出されてきた歌詞をより良くするための提案をしてくれる。

「こうしたら語呂がいいかも」

「二人のお父さんを対比させるのに、繰り返しのフレーズで違う言葉を入れたらいいかも」

「お父さんとの思い出深いその言葉を生かして、こういうフレーズにしたらいいかも」などなど。

参加者一同、「おーっ!」という反応でした。もちろん、僕自身も「おーっ!なるほどー」という感じ。

お一人お一人から出てきたワンフレーズに、yu-kaさんが魔法の調味料をちょちょいとふりかける。

するとびっくり!

そのワンフレーズが、キラキラと輝くワンフレーズになって現れる。

これは、なかなか素晴らしい体験でした。

残念ながら今回は、ワンフレーズにメロディーをつけるところまでは進めませんでしたが、参加者お一人お一人が「お父さんへ伝えたいワンフレーズをつくり出す」ところまでは行けたのではないか、と思います。

また、ワンフレーズのイメージがある程度固まると、曲のイメージも出てくるから不思議です。ある人はラップ調、ある人はゴスペル調、ある人はロック調。

いい歌詞には、必ずいいリズムが含まれているんだな〜と改めて感じました。

最後に

最後にみんなで記念撮影。ということで、『シンガーソングライター教室(超入門)』第1回:父の日ミニソングをつくろう♪は無事終了しました。

と言いつつ、写真撮影後も、なんやらかんやらワイワイガヤガヤとずっと皆さんでお話されていたのが、すごく印象的でした。

もちろん、私も時々輪の中に入れてもらいつつ、ワイワイガヤガヤ。「こんな講座もあったらいいんじゃない?」というアイデアも出していただいたり、と。

「アンドシングスクールは、こうやって参加者お一人お一人の力で支えられているんだなあ〜」ということを実感させていただきました。

ご参加いただいた皆様方、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました!

お一人お一人が先のワンフレーズをもとにミニソングを完成させるまで。

その完成したミニソングをお父様へ贈り届け終わるまで。

yu-kaさんともども、秘密のfacebookグループにて、しっかりと伴走させていただきます。

今後とも、yu-kaさんの『シンガーソングライター教室(超入門)』をどうぞよろしくお願い申し上げます。

次回は、6月23日(土)16時00分〜17時30分。

テーマは、「お祝いミニソングをつくろう♪」です。

家族や友人の誕生日や結婚式に。はたまた出産祝いに。

オリジナルミニソングを贈ってみませんか?

*講座内容のご確認とお申し込みはコチラ(こくちーずプロ)から。

お待ちしております♪

どっひー &sing

お客様は神様です!

昨日は第4土曜日。アンドシングスクールの日だった。

『ジブンノシゴトのつくり方教室』と『シンガーソングライター教室(超入門)』の2本立て。

いずれの教室も、ものすごーく楽しかった!

『ジブンノシゴトのつくり方教室』には、1名の方にお越しいただいた。いつのまにか私自身が生徒になっていた。

「好きを諦めないこと」は、「見栄、欲、恐怖心を脱ぎ捨てていくこと」ということを学んだ。

改めて「自分の課題としっかりと向きあって行こう!」と思った。

『シンガーソングライター教室(超入門)』には、6名の方にお越しいただいた。やはりここでも、いつのまにか私自身が生徒になっていた。

「誰もが表現したいことに溢れており、誰もが歌詞を書く才能を持っている」ということを学んだ。

正直、ビックリ体験だった。

「ありゃ?これやったら、誰でも歌詞を書けるんとちゃうか?」

「僕も頑張ろう!」と思った。

私自身が教室を開いている側でありながら、「この教室で一番学んで一番楽しんでいるのは自分なのではないか?」という気すらした。

ちょっと不謹慎な言い方かもしれないけど、「これ仕事なのかな?」「遊びなのかな?」という感じ。

一方で、お越しいただいた方々からも、「楽しかった!また来ます!」と言っていただいたり、「こういう教室、いままでにありそうでなかった!ありがたいです!」と言っていただいた。

なんだろう。

とにかく嬉しい!

楽しい!

大好き!

お客様は神様です!

ということを強烈に実感した一日でした。

昨日、お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました!

また、『ジブンノシゴトのつくり方教室』のゲストスピーカーにお越しいただいたモッチーさん、そして『シンガーソングライター教室(超入門)』の講師を務めていただいたyu-kaさん。お疲れ様でした。本当に、ありがとうございました!

それぞれの教室の詳細については、また日を改めて個別にレポートしたいと思います。

今後とも、アンドシングスクールをよろしくお願い申し上げます。

毎月第4土曜日は、アンドシングスクールの日♪

どっひー &sing

未完成で荒削りだからこそいい!

今朝ふと、「なんでいまの嫁さんと結婚したんだっけ?」という疑問が頭に浮かんだ。

今日は、アンドシングスクールの日にもかかわらず。なぜかそんな疑問が頭に浮かんだ。

まぁ、仕方がないので、その疑問に答えるために思いだす。嫁さんと出会った日のことを。

確か大学4回生の頃だったと思う。西宮浜だったか鳴尾浜だったかにバーベキューに行った。僕の高校時代からの友人の誘いだった。就職活動で知り合った女の子がいるので、一緒にバーベキューに行かないか、とのことだった。まぁ、要は合コンみたいなもんだ。

で、男性4人、女性4人が、はじめて浜で出会った。バーベキューをした。そして、バーベキューが終わった後、何かして遊ぼう、ということになった。

これと言った遊び道具は用意していなかった。

仕方がないので、そこにあるもので遊ぶことになった。

アルミホイルと紙コップ。

アルミホイルをくしゃくしゃに丸めてボールにする。

紙コップを持つ。

アルミホイルを投げる。

紙コップで受け取る。

ただそれだけ。

ただそれだけのことなのに、キャッキャ言って楽しんでいる女の子がいた。

なんか知らんが必死でアルミホイルを紙コップでキャッチしようとしている女の子がいた。

取れなくて悔しがる。

取れて嬉しがる。

その女の子が、いまの私の嫁さんだ。

私がいまの嫁さんと結婚した理由。

アルミホイルと紙コップで楽しめる人だったから

私は、どうやら未完成で荒削りだけど十分に楽しめるものが好きらしい。

逆に言えば、完成され切った隙のないものはあまり好きではない。遊びがなく、壊れたら直せないからだ。

アルミホイルと紙コップなら遊びがある。壊れても直せる。

アルミホイルに太陽の光を当てて反射させたら何か面白いことが起こるかもしれない。

その反射した光を紙コップで受け止めたら何か面白いことが起こるかもしれない。

あるいは、紙コップで海水を救って、広げたアルミホイルに注ぎ、火で炊いたら、塩をつくれるかもしれない。

そもそも紙コップがあれば水を飲めるし、アルミホイルがあれば残った食べ物を包んで持って帰ることができる。

アルミホイルと紙コップなら用途も多彩だ。

それって人も同じなんじゃないかと思う。

未完成で荒削りでも十分に楽しめるんじゃないだろうか?

逆に、完成され切った隙のない人は、はたして楽しい人なのだろうか?

無理に、一つのことだけを完成させようと意気込む必要はないんじゃないだろうか?

仕事も趣味も生活も。

いずれも未完成で荒削りでもいいから、それぞれをしっかりと楽しめばいいんじゃないだろうか?

いや、むしろ未完成で荒削りだからこそ、楽しむことができるのではないだろうか?

アルミホイルを紙コップで受け取るだけの遊び一つとっても楽しみ方は多彩だ。個人戦にするのか、チーム対抗にするのか。何を反則とするのか。点数の入れ方をどうするのか。勝ったチームに賞品を与えるか。負けたチームに罰ゲームを与えるか。などなど。

未完成で荒削りだからこそ、制約があるからこそ、「もっと楽しめるようにするには、どうしたらいいのだろうか?」とつねに考えることができるのではないだろうか?

遊びがある。

壊れても直せる。

用途を多彩。

未完成で荒削りだからこそ楽しめる。

いつもそんな人でありたいなー、と思っています。

めざせ永遠の未完成!

めざせ最高の器用貧乏!

(追伸)

今日のアンドシングスクールもよろしくね♪

どっひー &sing

知識偏重教育に物申す

「どんだけもったいぶるねん!」

これまでの教育に対して私が抱いてきた感情だ。

なお、『これまでの教育』とは、厳密に言えば、「私が実際に受けてきた教育」であり、「私が世の中の教育とはすべてこんなもんだろうと思っている教育」のことを指す。

したがって、私が『これまでの教育』と呼んでいるものは、実際には日本の教育全般を説明するものではない。

とは言え、その話をしていると今日のブログを書き終えることはできないので、ざくっと定義だけしておく。

ここで私が言う『これまでの教育』とは、「知識を与えるだけで何の実践も伴わず、ゆえに何の作品をも生み出さない教育」である。

ものすごく単純化して言う。

私は、幼稚園から大学まで学校に通ったが、朝昼晩のご飯のつくり方は、両親とバイト先の人たちから学んだ。

つまり、いくら学校に通っても、毎日のご飯を自分でつくれるようにはならなかった、ということだ。

何か不思議な気がする。

今日は卵焼きをつくってみよう!

今日はご飯を炊いてみよう!

今日はおにぎりを握ってみよう!

今日は味噌汁をつくってみよう!

今日はリンゴの皮を剥いてみよう!

これを毎日毎日繰り返していたら、誰もが自ずと毎日のご飯をつくれるようになるのではないだろうか?

少なくとも小学校を卒業するまでには、かなり多くの料理レパートリーを持てるようになっているのではないだろうか?

そうなれば、中学校以降は、自分で弁当をつくって持っていくこともできる。時々、家族にご飯をつくってあげることもできる。友達にご飯をご馳走してあげることもできる。中には、中学生時代から、ランチ会を開催する人が出てくるかもしれない。あるいは、自分でおにぎり屋さんを開く人が出てくるかもしれない。店舗を持てなくても、宅配したり、弁当を売ればいい。

もちろん、毎日のご飯を自分でつくれるようになることだけが、教育の目標ではないだろう。

だが、毎日のご飯を自分でつくれるようになることは、人として毎日を生き抜く上でかなり基本的な能力なのではないだろうか?

人として毎日を生き抜く上で基本的な能力すら身につかない教育。

それでいて、やたら長きにわたって受けされる教育。

「そんなもんいるか?」と思う。

もちろん、素晴らしい教育の機会が開かれていること自体は喜ぶべきことだ。

だが、その教育を受けることを長年にわたり強制される必要はないのではないだろうか?

知識を与えるだけで何の実践も伴わず、ゆえに何の作品をも生み出さない教育。

「いつまで知識だけ与えるねん!」

「どんだけ頭でっかちにすんねん!」

「九九が言えても、分数のかけ算ができても、家族の人数分のご飯をつくられへんねやったら何の役に立つねん!」

なーんてことを思う。

これ、別に料理に限った話ではない。

何年も英語を習ってきたのに、英語で外国人と話せない。

ずっと国語を習ってきたのに、想いを伝える手紙すら書けない。

たくさんの算数の公式を覚えてきたけど、小屋一つすら立てられない。

「ほんま、長年、何やっててん?」と思う。

ってことで、私はこれまでの教育に対して思う訳です。

「どんだけもったいぶるねん!」

「はよ、自分でやらせろやー」

「はよ、自分の作品をつくらせてくれやー」

と。

ってことで、そんな想いを形にすべく、シンガーソングライター教室を開いている訳です。

そりゃ、知識も大切ですよ。

でも、知識なんて後で埋めて行けばいいでしょ。

大切なことは、やってみること。

そして、「もっとやってみたい!」と思えるものを見つけること。

まずはそこからだし、そこがないと何も始まらない。

絶対に諦めたくない「自分の好き」すら手に入れることができない。

それがないままでいくら膨大な知識を得ても、何の使い道もないと思うんですよね。

ま、そんな訳で、細々ではありますが、アンドシングスクールをやっています。

よろしければ、今週土曜日の講座。

覗きに来て頂けると嬉しいです。

どっひー &sing

応援される人

人から応援される人は、人を応援している人なんだろうなぁー

と思う。

ってことは、

「何があっても食っていける力」とは、「たとえすべてを失ったとしても人から応援してもらえる力」であり、その源泉は「何も持っていない時でも人を応援しようとする力」なのではないか、と思う。

そして、「何も持っていない時でも人を応援しようとする力」が生まれてくるその根底には、「どうにもこうにもその人のことを放っておけない…」「どうも他人事とは思えない…」「その人のその状況を見過ごすことは自分自身を見過ごすことだ」という感覚があるような気がする。

それを『惻隠(そくいん)の心』というのかもしれない。

と言いつつ、生まれたての赤ん坊は、人を応援しようとしている訳でもないのに、思いっきり人から応援される。

究極的には、「誰に頼るでもなく自分を全力で生きること」が大切なのかもしれない。

どっひー &sing

何のために好き嫌いを表明するのか?

私は、甘納豆は好きだが、ふつうの納豆は嫌いだ。

そこに理屈はない。

納豆は臭い。ネバネバする。糸引く。

私が納豆を嫌いな理由。いろいろと挙げることはできる。

だが、その理由はすべて後付け。

私は納豆が嫌いだ(と感じている)。

以上!!!

とは言え、一方で、

「私は納豆が嫌いだ」と他者に表明することは、また別の話。

あえて、「私は納豆が嫌いだ」と公言する必要はない。

黙って自分の心の中にしまっておけばいい。

あえて公言するとすれば、そこには何らかの意図があるはず。

「あっ、私も納豆嫌い〜」と共感してもらいたいのかもしれない。

「あっ、だったらオレ、納豆食うの止めるわ」と行動を変えてもらいたいのかもしれない。

単に「えっ、私は納豆好き!セロリは嫌いだけど」と他愛のない会話のネタにしたいだけなのかもしれない。

あるいは現実的に、「あっ、じゃあ納豆以外のメニューがあるお店を予約しておきますね」と言ってもらいたいのかもしれない。

いずれにせよ、「自分の嫌い」を他者に表明することには、何らかの意図がある。狙いがある。

それはモノだけに限らない。

人についても同じではないだろうか。

「私はあなたが嫌いなんです」

「私はこういうタイプの人が嫌いなんです」

そう他者に表明する以上、そこには何らかの意図がある。狙いがある。

いったいどんな狙いがあって、「自分の嫌い」を他者に表明しているのか?

あるいは、「自分の好き」を他者に表明しているのか?

「私は歌を歌うことが好きだ!」

と、(このブログ上でも)私がそう表明する狙いは何か?

歌好きの人に集まって来て欲しいのかもしれない。

歌をビジネスにしていきたいから協力してもらいたいのかもしれない。

はたまた、2025年に夢見ている武道館ライブに来てもらいたいのかもしれない。

武道館ライブをより楽しくするために「あっ、私はダンスを踊りたい!」と言ってもらいたいのかもしれない。

あるいは、単に「あっ、私も歌を歌うの好き〜」と共感してもらいたいだけなのかもしれない。

もしかしたら、「一緒に歌を歌うことで、世界にたくさんの幸せを創り出していきませんか?」という提案に乗ってもらいたいのかもしれない。

実際には、これらすべてと、さらにそれ以上の狙いが私にはあるのだろう。

いずれにせよ、私が「自分の好き嫌い」を表明するのは人に対してだ。

ということは、人に対して、何らかの感情、思考、行動の変化を起こしてもらいたいと思っているはずである。

それは、私の利己心から出ているものかもしれない。

もしかしたら、私の利他心から出ているものかもしれない。

まぁ、実際のところは、自分でもあまりわかってはいないのですが…

できれば、利己心と利他心、両心のバランスがしっかりと取れていることを願ってはいます。

みなさんは、何が好きですか?

何が嫌いですか?

もしそれを他者に表明するとしたら、その狙いは何ですか?

どっひー &sing

自分の事業を持つことの面白さについて

Think Big, Act Small, & Sing♪

これは、アンドシング 株式会社のホームページに書いているキャッチコピーだ。いわば、アンドシング 株式会社の行動規範と言える。

4月にシンガーソングライター教室を開講して以来、「Act Small」の大切さをひしひしと感じている。

そして「Act Small」を始めてみると、「& Sing♪」できる(協働できる)仲間と出会っていく。

この感覚をうまく文章で表現できるかどうかはわからないが、今日はそれについて書き留めておこうと思う。

「大志を抱いているが何から始めたらいいのだろう?」と悩んでいる人が、はじめの一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いである。

1. Think Big(大いなる妄想)

2月20日に、「次世代リーダー輩出のためのシンガーソングライター教室」を開講しよう!と妄想した。
(2月20日の学ぶログ『シンガーソングライター教室』参照)

2. Act Small(小さな行動)

4月17日に、シンガーソングライターのyu-kaさんとはじめて出会った。

その日の夜、yu-kaさんにシンガーソングライター教室の講師をお願いしたい、とメッセージを送った。

4月18日に、yu-kaさんに直接お会いして話をしたいとメッセージを送った。

4月19日に、yu-kaさんとお会いし、シンガーソングライター教室の講師をやっていただけるとのお返事をいただいた。

4月20日に、「楽譜がよめなくても大丈夫!シンガーソングライター教室(超入門編)〜プレ講座」を開講する!と告知した。
(4月20日の学ぶログ『アンドシング スクール開講のお知らせ』参照)

4月26日に、プレ講座開講のプロモーションのため、大阪北浜のGARBweeksさんでyu-kaさんの即興弾き語りミニライブをやった。
(4月24日の学ぶログ『路上ライブではないけれど』参照)

3. & Sing(他者との協働)

4月27日に、「楽譜がよめなくても大丈夫!シンガーソングライター教室(超入門編)〜プレ講座」を開講し、9名の方にお越しいただいた。
(4月28日の学ぶログ『興奮冷めやらぬ中、また新しい朝を迎える』参照)

その日を迎えるまでの準備はもとより、当日の運営にあたっても、多くの方々から多大なるお力添えをいただいた。どんなに小さな事業であっても、たくさんの人たちの支えによって成り立っていることを実感した(文字通り、下から支えていただいている、という感覚があった)。

4. Re-Think Big(妄想から構想へ)

実際に「シンガーソングライター教室」を開講した(開講できた)ことで、いろいろなことを具体的に考えられるようになった。

漠とした表現ではあるが、いままで見てきた世界が、「シンガーソングライター教室」を起点に再構築されるようになった。

例を挙げると…

  • イラストレーターのゆうさんと出会った。「シンガーソングライター教室」とコラボできないだろうか?と考えた。「シンガーソングライター教室(超入門)全6回」のチラシのイラストを描いてもらった。
    (このブログの写真にあるシロクマさんのイラストです)
  • LOHAS FESTAというイベントに出店していたNeri Miri Coffeeというお店で、「オリジナルドリップパックを作ろう!!」という看板があった。「シンガーソングライター教室」とコラボできないだろうか?と考えた。何らかのオリジナルギフトにQRコードをつけて歌も贈れるようにしたい、と考えている。
  • 「シンガーソングライター教室」で作成されたオリジナルミニソングを、スマホを持たない人(例えば、年配のお母さんやお父さんなど)に届けるためには、DVDに曲をダビングする必要があるが、その際の動画製作等を含めDVDの作成自体がビジネスにならないだろうか?と考えている。
  • 北浜周辺に「ウクレレ教室」があることを発見した。「シンガーソングライター教室」とコラボできないだろうか?と考えている。
  • そもそも、どこのお店に行っても、人と空間さえあれば、ここで「シンガーソングライター教室」を開けないだろうか?と考えている。
  • はては、企業研修等でやっている新規事業創造のワークショップに「シンガーソングライター教室」の要素を取り入れられないだろうか?とも考えている。

などなど。挙げていけば切りがない。

非常に感覚的なことなので、伝わりにくいかもしれないが、とにかく世界が再構築されている。

出会う景色、出会う人、出会う物、出会うお金、出会う情報。

すべてに対する”私の”見方が変わっていっている。

自ら変えようとしている訳ではなく、必然的に変わっていっている。

そのきっかけは、自らの意思でシンガーソングライター教室を開講したこと。

それもまだ一回だけ。それもプレ講座。ただそれだけ。

本講座はまだこれから。今週土曜日にようやくその1回目を迎える段階。

決して事業と呼べるようなものではないかもしれない。

だが私は、「シンガーソングライター教室で勝負するぞ!」と決意した。

そこに想いを込めている。

正直に言うと、「なんで次世代リーダー輩出のためにシンガーソングライター教室を開くのだろうか?」という疑問はいまだにある。

ただ、私自身は、なぜかはわからないけれど、「それをやる意味があるんだ!」という妙な確信を持っている。

そこに理屈はない。想いだけがある。

逆に言えば、想いしかない、とも言える。
(4月21日の学ぶログ『シンガーソングライター教室にかける思い』参照)

いずれにせよ、私は実感を持って思います。

「大志を抱いているが何から始めたらいいのだろう?」と悩んでいるのであれば、

どんなに小さくてもいいから、自分の事業を始めてみたらいい

と。

別に、無理に独立・起業する必要はないです。

副業だっていいし、バイトだっていいし、ボランティアだっていい。

私が事業と呼んでいるものも、いまはまだ、びっくりするほど小さいです。

でもそこから始めるしかないし、そこから始めさえすれば、次々と新しい世界が開けていくんだろうな〜♪と実感しています。

受講料は数千円程度。参加者は数名〜20名。
ちょっとした読書会でもいいし、絵本の読み聞かせ会でもいい。

何でもいいから、自分がやりたい!と思ったことを、自分でやれる範囲でいから、やり始めてみる。

それさえできたら、自分の人生や仕事をより豊かにすることができるんじゃないかな〜♪と思います。

Think Big, Act Small, & Sing♪

どっひー &sing