ネガティブな思いを詩で吐き出してみる

昨日ブログに詩を書いて公開した。そのせいなのか、今日、新たな詩が生まれて来た。

ふだんネガティブな感情を口にすることが苦手なので、あえてネガティブな思いを吐き出してみた。

「こんなこと、言っちゃいけない」

「隠さないといけない」

と感じたことから素直にスタートすると詩を書きやすいのかもしれません。

知らんけど・・・

===

『胸に刺さる痛み』

人と人がわかりあえず

反発しあい

いがみあう

エスカレートする言動

殺気立った感情

棘のある言葉

殺伐とした物音

ただ胸を締めつける

こらえると苦しくなる

明るく振る舞うとからっぽになる

無視することはできない

消し去ることはできない

ただそこにあるものを

受け止めてみるだけ

胸に刺さる痛み

誰もが胸に刺したまま

立ち上がり

歩いていく

===

おそまつサマでした^ ^

追伸:

今日は会社設立100日目。

ゆえに今日のブログが100本目。

100日続けると何かが変わるのかもしれない。

どっひー &sing

目が死んでいる…

この詩は、私が2年ほど前に、書いた詩である。

『人間こわい』

人間こわい

目がこわい

光のない目が

一番こわい

by どっひー

この詩を書いた(スマホにメモした)のは、ある日の朝。最寄駅のホームで。電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちを見た時だ。

その当時、たまたま『坂村真民一日一言』坂村真民(致知出版社)という詩集を読んでいた。ほぼ毎月、私が通っている一般社団法人人間塾主催の読書会の課題図書だったからだ。

この詩集には、とても短い詩がたくさん載っている。「あっ、詩ってこんな短くていいんだ!」と思った私は、「自分でも詩を書いてみよう!」と思っていた。

そんな気持ちの中で、私が切り取った光景は、電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちだった。

それも、目に意識がいった。

目が死んでいる…

顔は無表情。

電車を待つその姿に覇気は感じられない。

何かに取り憑かれているような…

何かに操られているような…この時間になったら電車に乗らないといけない。だから、駅のホームに立っている。そこに意味も希望もない。ただ、仕方がないんだ…そんな印象を受けた。

むかーし、タレントのベッキーさんが、テレビでこんなことを言っていた。

忙しいって、心を亡くすって書くんですよね。

だから、私は忙しいとは言わないように気をつけているんです。

と。まさに、その日の朝。最寄駅のホームで見た、電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちは、心を亡くしているようだった。

振り返ってみると、「満員電車に乗りたくない!」「目が死んでいる大人には絶対なりたくない!」と強く思ったのは、高校1年生の時だった。

はじめて電車で通学するようになり、はじめて満員電車に乗った。その時、はじめて満員電車に揺られる自分になった。そして、はじめて満員電車に揺られる大人たちを見た。

高校1年生の私は、「満員電車は、人の心を奪うのだ」ということを知った。

朝の通勤。満員電車。誰が悪いという訳でもない。

だが一方で、この仕組みは、人間がつくったものである。

「目をいきいきと輝かせて出勤しようぜ!」とは言わないが、せめて「目が死んでいる」状態くらいは回避したい。なんとかしたい。

できれば、こんな詩を心から書けるようになりたい、と思っている。

『人間すてき』

人間すてき

目がすてき

光のある目が

一番すてき

ある日の朝。最寄駅のホームで。電車を待つ通勤中のサラリーマンの人たちが、そんな目をしていたら嬉しいな、と思います。

もちろん、自分もそうなれるように、がんばりますっ!

今日は寝不足気味なので、ちょっと目が疲れているかもしれませんが…

今日もすてきな一日を♪

どっひー &sing

追伸:

もしよろしければ、父の日にすてきなミニソングを歌ってあげてください^ ^

『シンガーソングライター教室(超入門)』

第一回:父の日ミニソングをつくろう♪

の講座はコチラから。

https://www.kokuchpro.com/event/391629ac3667472ed7d63a67d025765f/290197/

辞めざるを得なくなった人

会社を辞めざるを得なくなった人

学校を辞めざるを得なくなった人

それでいて前向きな人

どうやら、僕はそういう人にやたら共感するようだ。

それはきっと、僕自身が組織に馴染めなかったからなのだろう。

僕は、集団が苦手だ。

我々はかくあらねばならぬ、という掟のようなものに縛られた集団。

僕は、そういうものに馴染めない。

どうしても、自分がそこからはみ出してしまうからだ。

そのため、組織がマジョリティで、自分自身はマイノリティだと感じてしまう。

あらっ、組織に馴染めない自分は変なのかな?と思ってしまう。

僕を知る人の中には、「僕が組織に馴染めなかった」と聞いてビックリする人もいるかもしれない。

たぶん、おそらく、僕は、そこそこ組織の中でうまくやってきた。

学校でも成績は悪くなかったし、会社でもまぁ普通に昇格していたった。

でも、どこまでいっても、学校にも、会社にも馴染めなかった。

結局、僕は学校や会社の掟に”完全に”自分を合わせることができなかったのだ。

だが、それはゼロか100かではない。

おそらく僕は、組織の掟に自分の70%をくらいを合わせることができる。

だが、残り30%はどうしても組織の掟に合わせることができない。

それは具体的に言えば、

  • たとえやることがなかったとしても就業時間は出社していなければならない、とか
  • 逆に、たとえやることがあったとしてもノー残業デーだから退社しなければならない、とか
  • リモートワークで済むのに、あえて満員電車に乗って出勤しないといけない、とか

こう書き出すとつまらないことだらけ。

でも、僕は、この一見つまらなそうな掟やルールに自分を合わせることができなかった。

毎日毎日続く、無駄な時間の過ごし方に耐えられなかった。

ってことで、僕は40歳になって、会社を辞めた。

で、その後1年間の独立を経て、再度2年間、会社に勤めた。

そして、僕は44歳になって、また会社を辞めた。

きっと僕は、会社を辞めたかった訳ではないのだろう。

僕は、会社を辞めざるを得なかったのだと思う。

だから、会社を辞めたり戻ったりしている。

自分の会社をつくったりもしている。

自分の会社をつくったとしても、会社は会社だ。

会社を辞めざるを得なかったがゆえに、どういう会社であれば、どういう働き方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。

またどうように、どういう学校であれば、どういう学び方であれば、いいのだろうか?と試行錯誤している。

会社を辞めざるを得なくなった人

学校を辞めざるを得なくなった人

それでいて前向きな人

僕は、そういう人にやたら共感する。

それは、僕自身が組織に馴染めなかったからだ。

だからこそ

僕は既存の組織の枠外で、

新しい会社の在り方

新しい働き方

新しい学校の在り方

新しい学び方

を自分なりにつくっていきたいと考えている。

そして、そこでつくられていく場が、組織に馴染めず、組織を辞めざるを得なくなった人(あるいは組織を辞めざるを得なくなりそうな人)にとっての宿り木になればいいな、と思っています。

どっひー &sing

2つの教室のお申込みを開始します

本日9時より、以下2つの教室のお申込みを開始します。

  • シンガーソングライター教室
  • ジブンノシゴトのつくり方教室

どちらの教室も、5月から10月まで、毎月第4土曜日の午後に開催します。全6回の講座です。お申込みは1回単位ですので、いつからでも、何回でも、参加できます。

場所は大阪の北浜です。

5月は26日(土)午後の開催です。

月に一回、みんなで一緒に自分の好きを見つめ直してみませんか?

シンガーソングライター教室

「よめない ひけない うたえない」三重苦でも大丈夫!

ワンフレーズからはじめるミニソングづくり

『シンガーソングライター教室 はじめの一歩(超入門)』全6回

※講座内容のご確認とお申込みはコチラ(こくちーずプロ)から。

ジブンノシゴトのつくり方教室

「好きを諦めない働き方を見つける」

キャリア選択前のはじめの一歩

『ジブンノシゴトのつくり方教室』全6回

※講座内容のご確認とお申込みはコチラ(こくちーずプロ)から。

<余談>

プレ講座の時は「RESERVA」と「こくちーず」を併用していましたが、複数回開催の講座だと「こくちーずプロ」が使いやすそうだったので、今回から「こくちーずプロ」に統一しました。こくちーずプロでも、クレジット決済なしなら無料なのがすごい!

どっひー &sing

僕のふつうと世間のふつう

僕のふつうは、世間のふつうとズレている。

そう思ったのは小学校低学年の頃だ。

私は、東京で生まれ、父親の転勤とともに埼玉、神奈川、大阪、熊本、大阪と転々としていた。

熊本から大阪に戻って来たのは、ちょうど小学校入学時だった。幼稚園時代は熊本で過ごした。

小学校低学年の時、僕は変な言葉をしゃべっていた(らしい)。

そりゃそうだ。6歳になるまで、複数の地域を転々としていたのだから。

標準語のアクセントに、横浜弁(なぜか神奈川弁とは言わない)の語尾「じゃん」をつけつつ、熊本弁の「ばってん」などを多用しながら、大阪弁っぽいセリフをしゃべっていたらしい。

で、その当時の私にとって、そうやって話をしていることは、いたって「ふつう」だった。

だが、同じ大阪の小学校に通う友達には、「僕のふつう」の言葉は、通じないことが多かったようだ。

一言で言えば、変なのだ。

彼らからすれば、「僕のふつう」の言葉は、「世間のふつう」の言葉ではなかったのだ。

その時、私は、「僕のふつう」は、「世間のふつう」とズレている、と感じた。

この出来事は、私の心の中にずっと残っている。

取り立てて、悲しいとか憎いとかという感情もない。言葉を笑われた記憶もなければ、いじめられた記憶もない。

だけど僕は、妙に転校生を気にする子だった。小学校の時も、中学校の時も、そして社会人になってからも。

別の場所から不慣れな環境にやってくる人のことが、妙に気になってしまうのだ。

それはたぶん、「世間のふつう」が「その人たちのふつう」を封じ込めたり、暗黙的に排除してしまうことを恐れているからなのだと思う。

そして、自分自身もつねに恐れている。「僕のふつう」が「この人のふつう」を封じ込めたり、暗黙的に排除してしまってはいないだろうか?と。

だから僕は、いつも不安定なんだと思う。

不安というよりも不安定。

「自分のふつう」を決めつけないようにする努力は、一方で「自分の軸」を揺らがせる。

だが一方で思う。

「自分のふつう」なんてあるのか?と。

自分もつねに(複数の)他人との関係において、「ふつう」と「ふつうでない」を色分けしていった結果として、「自分のふつう」らしきものがあるだけなのではないか?と。

私は、以前、東京で働いていた時に、ある人からこんなことを言われた。

「土肥さんは、いつになったら関西弁を直すの?」と。

その時、僕は、正直、すごくムカっとした。

「直すって何やねん!」と。

「オレ、なんか間違ってんのか!」と。

もちろん、そんなことは言わなかった。だが、僕はすごくムカっとした。

そんなかんなある中、僕は東京で5年間、働いた。

大阪に戻れば、すっかり東京の人やなぁー、江戸の香りがするなぁーと言われ。

東京に行けば、「こんにちは」の一言だけで大阪の人ってわかりますねー、と言われ。

オレ、いったい何者やねん!と、悲しくもあり嬉しくもあり。妙に複雑な心境になった記憶がある。

いまでも、小学校低学年の頃の記憶は、僕の心の底に横たわっている。

自分はいったい何者なんだ?と。

だから時々思う。

オレはオレ様なんだ!と。

そして時々思う。

僕はいったい何者なんだろう?と。

ってことで、僕は、どちらかと言えば「自分は自分でいいじゃない!」という想いを強く抱く人です。

「僕のふつう」は、「世間のふつう」とズレている。

まぁ、それはそれで良いではないか。

世間なんてもんは、実態のないもんなんだし。

「僕のふつう」が、「あなたのふつう」とズレていてもそれはそれで「ふつう」のことだし。

もしも「僕のふつう」が、「あなたのふつう」と一致したならば、そんなめでたいことはない。

そして、「あなたのふつう」と「僕のふつう」が重なり、「私たちのふつう」が自然に生まれたら、そんな素晴らしいことはないな、と思っています。

だからなのかはわかりませんが、僕は「We are the world」が好きです。

どっひー &sing

才能を開花させよう!

一人一人に才能の種がある

その種が開花したら

どんなに素敵だろうか?

才能の種は得意を生み出す

だけどその前に

才能の種は好きを指し示す

色とりどりの花を見た時

ある人は赤い可憐な花を好きになる

ある人は黄色い大きな花を好きになる

ある人は花畑全体を好きになる

ある人は花に舞う蝶を好きになる

ある人は花の匂いを好きになる

一人一人に才能の種がある

それは同じ景色を見ても

異なる箇所に着眼する力

だから世界は面白い

社会は面白い

人は面白い

あなたとわたしが

違っているからこそ

わたしたちは幸せになれる

より素晴らしい

より大きな全体を

ともにつくりあげることができる

一人一人に才能の種がある

その種が開花したら

どんなに素敵だろうか?

どっひー &sing

贈り物と交換と労働について

もうすぐ母の日。

今年は5月13日。

お母さんに何を贈りますか?

花を贈る。ケーキを贈る。手紙を贈る。写真を贈る。絵を贈る。歌を贈る。

贈り物とは、物のようでいて、物でない。

物の形を借りた心。

贈り物は、心を贈っているのだろう。

だからこそ、贈り物をする時には、綺麗な箱を用意する。リボンをつける。いつ渡すかのタイミングも計る。手から手へと手渡す。

贈り物は、心を贈るものであるからこそ、その物以上に、贈り方が重要になるのだろう。心がまっすぐ届くようにするために。

そんな心を尽くした贈り物。

それを受け取ったのは、いつだろうか?

それは何だっただろうか?

私の人生にとっての最大の戴き物。

それは、私自身。

母と父が、私を生んで育ててくれたからこそ、私はいま生きている。

いま、こうしてスマホでブログを書いている。

私が生まれたての時。きっと何か柔らかい布で、その身体を包んでもらっていただろう。

母と父は、きっと私を贈り物のように、あるいは何かからの戴き物のように、大切にくるんでくれていただろう。

私が生まれたのは1974年の1月。母曰く、石油ショックでトイレットペーパーがなかなか手に入らなかったという。私は下痢気味だったらしく、いくつものお店を回ってトイレットペーパーを買い備えていたらしい。

その間、私は無邪気に寝ていただろう。笑っていたかもしれない。泣いていたかもしれない。先の話を母から聞かされたところで、私にはまったく記憶はない。そうやって、私は生まれ育てられて来たのだ。

私は、自らの意思で生まれて来てはいない。母と父、さらには人知を超えた大いなる何者かの意思により、生まれて来た。

私が、いまここにあることは、それ自体が贈り物であり、戴き物である。

母と父がいなければ、私は存在していない。

この世に生まれて来ることもなければ、44歳になることもなかっただろう。そしてこの先の人生もなかっただろう。

もし私の母や父に何か困った事があったとしたら、私は無条件で何かを返さなければならない。なぜならば、私がいまここにあるのは、私の母と父のおかげだからだ。

しかし一方で、どんなに尽くしたところで、母や父の恩に報いることはできない。恩を返し切ることは決してない。なぜならば、その恩の大きさは計り知れないほどに大きいからだ。計り得ないものを返し切ることはできない。

母や父からの戴き物は、どんなに贈り物を贈り続けたとしても、返し切ることはない。

もしかしたら私の人生の最大のモチベーションは、母や父からの戴き物に対する返報性の原理(心理)なのかもひれない。

先にGIVEしてもらった以上、GIVEし返さなければならない、という心理が強く働いているのかもしれない。

だからこそ、自分が父となったいま、子どもたちに対しても、無条件にGIVEしなければならない、と思っているのだろう(なかなかそうはできないことの方が多いのだが)。

贈り物と交換と労働の関係について、面白い記述がある。

以下、少し長くなるが、『下流志向 学ばない子供たち 働かない若者たち』内田 樹(講談社文庫)の文章を引用する。

交換は何かを「贈り物」として認識するという動作と同時に開始される。

贈与はすでに行われている。それゆえ、受け取ったものは反対給付の義務を負う。

でも、そもそも最初に受け取ったものの価値がよくわからないので、それに対して反対給付をしても原理的に等価交換は成り立たない。

サラリーマンの労働も、もしそれを人間的活動たらしめたいと思ったら、交換の基本ルールに従わなければなりません。「働く義務がある」ということをあらゆる人間社会がその基礎的な倫理としてきたのは、「働くことで、すでに受け取ったものを返さなければならない」という反対給付の義務感が僕たちの社会生活のすべての始点にあるからです。この義務感・負債感を抜きにして労働のモチベーションを基礎づけることはできません。「働かなくてはならない」というのは、労働についての装飾的に追加されたイデオロギーではなくて、労働の本質なのです。

誰かに何かを差し出す時。

すでにもらったものを返す。

そのために贈り物をする。

そんな気持ちになるためには、”すでにもらったものがある”ということをまず認識する必要があるのだろう。

この気持ちがないままに、誰かに何かを差し出し続けていると、「何でこんなことしなアカンねん!」「絶対わりに合わんわぁー」「めっちゃ損してるわぁー」という気分になるような気がする。

労働の本質は、

「戴き物を返すために贈り物をすること」

なのかもしれない。

母や父に歌を贈ってあげる。

ってのも、悪くないかもなー、なんて思いつつある今日この頃です。

かなりこっぱずかしいですけどね…

どっひー &sing

あなたは英語をしゃべれますか?

中学から大学まで10年以上。学校で英語の授業を受けて来た。

にもかかわらず、

「あなたは、英語をしゃべれますか?」

と聞かれたら、私は自信を持って「はい!」とは答えられない。

なぜなのか?

なぜ10年以上も英語の授業を受けて来たにもかかわらず、私はいまだに英語をしゃべれるとは言えないのか?

そもそも、英語をしゃべれる、しゃべれないの基準はどこにあるのか?

今日は、できる、できないの基準について考えてみたい。

まず、

「あなたは、日本語をしゃべれますか?」

と聞かれたら、迷わず「はい!」と答えるだろう。

では次に、

「あなたは、日本語をうまくしゃべれますか?」

と聞かれたらどうだろうか。

私は、「はい!」とは答えられない気がする。

なぜならば、「うまく」という言葉には、「自分の気持ちや意図が、相手に正しく伝わるように、正しい言葉を選び、正しい文章を組み立てて…」という意味合いが込められているように感じるからだ。

ゆえに、

「あなたは、うまく(=相手に伝わるように、正しく言葉や文章を選んで)日本語をしゃべれますか?」

と問われると。

「いやー。そこまでは日本語をしゃべれません…」という答えになってしまう。

これは、決して謙遜している訳でも、恥ずかしがっている訳でもない。

ただ純粋に、「うまく(=相手に伝わるように正しく)」日本語をしゃべれてはいない、と自分の実力を評価しているだけだ。

ここで冒頭の質問に戻る。

「あなたは、英語をしゃべれますか?」

と聞かれた時、私は暗黙的に「うまく」という言葉を挿入してしまっているように感じる。

すなわち、

「あなたは、うまく英語をしゃべれますか?」

という質問に置き換えてしまっている気がする。

その結果、日本語の時と同じように、「うまく(相手に伝わるように正しく)」英語をしゃべれてはいない、という形で自分の実力を評価してしまっている気がする。

基本的な英単語は知っているし、単純な文法なら扱えるし、海外旅行にも行って帰って来られるにもかかわらず。私は英語をしゃべれない、と評価してしまっている。

なんてこったい!

「うまく」という言葉。

なんて、いまいましい言葉なんだ!

そしてその実態は、

「相手に伝わるように、正しく」

という意味合い。

もっと言えば、最大の敵は「正しく」という言葉。

「あなたは、正しく英語をしゃべれますか?」

「あなたは、正しく日本語をしゃべれますか?」

改めて「正しく」できますか?と問われたら、ふだん何気なくできていることすら、不安になる。

「あなたは、正しくおしっこをできますか?」

こう聞かれて、自信を持って「はい!」と答えられる人はどれだけいるのだろうか。

少なくとも、私は自信がない。

なぜならば、「正しい」おしっこの仕方なんて、習ったこともなければ、考えたこともないからだ。

「正しい」おしっこの仕方があるのかもしれない。そう考えた瞬間から、私はとても不安になる。

しかし一方で、私は日常的には何も困っていない。何の問題もなく、誰に迷惑をかけることもなく、毎日、おしっこをしている。

「あなたは、正しく英語をしゃべれますか?」

という質問と、

「あなたは、正しくおしっこをできますか?」

という質問。

この2つの質問は、どこがどう違うんだろうか、と思う。

客観的な「正しさ」を問う質問にどれほどの意味があるのだろうか、と思う。

別に「正しく」なくたって、日常的に、人に迷惑をかけずに、自分の生活をしっかりと成り立たせてさえいれば、「できる」と評価していいんじゃないか、と思う。

なんか、まだ「うまく」は言えないけど。

なんとなく、

「うまく」「正しく」「間違えなく」あらねばならない

という妙な先入観が自分の中にあるなぁー

なんでかなぁー

その先入観、ぬぐいとってしまいたいなぁー

と思う今日この頃です。

どっひー &sing

一緒にプロモーションビデオをつくってみませんか?

子どもの頃、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を見て以来、いつかプロモーションビデオをつくってみたい、という思いが消えない。

ってことで、

一緒にプロモーションビデオ(PV)をつくってみませんか?

という企画を立ち上げてみたい。

それを『ミニPV制作教室』として立ち上げてみることも考えてみたい。

仮に、ある企業(例えば、アンドシング株式会社)が自社や自社の商品の宣伝のために、60秒程度のミニPVをつくりたいとする。

しかし、自社にはそれができる人材がいない(あるいは、人材はいるが、本業以外に時間を割くことができない)。一方で、他者に外注できるほどの予算もない。

かたや、私のように、いつかPVをつくってみたい人がいるとする。しかし、PVのつくり方がわからない。ほんの60秒間とはいえ、PVとなると、画像や映像、音楽、言葉など複数のパーツをストーリーに沿って組み上げる必要がある。音楽はつくれても、画像はつくれない。画像はつくれても、カッコいい言葉で締めくくれない。一つ一つのシーンはカッコいいけど、全体として印象に残るストーリーにならない、など自分一人でPVづくりを遂行しようとすると、たくさんの壁にぶち当たる。

ただ一方で思う。はじめから自分一人で全部やろうとするからうまくいかないんだ、と。

僕はいま、こんなPVをイメージしている。

===

空を鳥が飛んでいる。その鳥がフンをする。

フンが地上に落ちる。そのフンに含まれていた種が地面に埋まる。

種はしばらくそのままある。地上には、雨が降り、陽が当たり、虫の死骸などが養分になる。

種から芽が出る。その茎は地上へと向かう。

その茎はやがて地上から這い出てくる。地上で若芽が芽吹いていく。

それはやがて花になっていく。

一つの種から芽が出て花になっていくものがたくさん、たくさんある。

一つ一つの種は、すべて異なる。形も色も大きさも。ゆえに芽も、花もすべて異なる。形も色も大きさも。

そんなたくさんの花が画面一杯に咲き誇る。形も色も大きさも異なる、たくさんの花たち。この花のイメージは、村上隆さんが描く「お花」の絵。

でもって、最後は、すべての花が歌う。アンドシングする。そして、クライマックスへ。静謐が訪れる。ほっと安心する。

制作に協力してくれた方々の名前がエンドロールで流れる。

Think Big, Act Small, &Sing♪

で締めくくる。

===

どうでしょう?

おそらく、たくさんの画像、映像、音楽、言葉が必要になる。

すなわち、たくさんの人たちの作品が必要になる。

たくさんの人たちの協力が必要になる。

絵を描ける人、写真を撮れる人、動画をつくれる人、曲をつくれる人、詩をかける、物語を書ける人などなど。

また、たくさんの人たちがつくった、たくさんの作品を一つの作品へと組み上げていく力も必要になる。

一緒にプロモーションビデオをつくってくれませんか?

どなたか、自分で一からPVをつくり上げた方はいらっしゃいませんか?

プロでもなく、セミプロでもなく、アマチュアの方で構いません。

私、まったくPVを完成させたことがありません。

まずは、ダサかろうがなんだろうが、一つの作品に仕上げてみたいと思っています。人に見てもらえるもの、人に聴いてもらえるもの、人に何かを感じてもらえるもの。それは一種のプロトタイプなのかもしれません。プロトタイプでもいいので、一つのカタチにしてみたいと思っています。

他にもPVづくりに参加してみたい人もいると思います。

私も絵なら描ける、写真なら撮れる、言葉なら思いつく。そんな人もいると思います。

PVづくりに参加することで、PVづくりの過程を間近に見てみたい人もいると思います。

PVのつくり方を座学で学ぶより、実際にミニPVをつくっていく方が、数倍も数百倍も学べることが多くなると思います。

何より、「みんなで一つの作品を仕上げた!」「私もそこに関わった!」と実感する醍醐味はなかなかのものだと思います。

ミニPVのつくり方、どなたか教えてくれませんか?

これから、私はあなたを探します。

もしどこかで出会えたら、ぜひ協力してください!

よろしくお願いします♪

どっひー &sing

やっぱり思考は現実化する?

これ、いまから5年前の2013年に私が描いた絵。

スケッチブックに、クレパスで描いた。
まるで幼稚園児のような絵。いや、幼稚園児の方がもっとうまいかも…
というか、うまい下手以前に、意味がわからない絵。

2013年12月1日にfacebookにアップし、こう書いていた。

「なので、あいぼーを探しています。いつも目が輝いていて、体中からエネルギーが放たれ、周りの人たちを立ち上がらせる力を持つ人。自薦他薦を問いません。面白い人をご存知の方は、ご一報下さい!」

「なので」って何や!と突っ込みたくなる一文。

でも、いま、この絵に描いた世界が現実化されつつある。

アンドシングスクールで。
シンガーソングライター教室で。
ジブンノシゴトのつくり方教室で。

5年かかった。5年でここまで来た。

どちらなのかはわからない。

だが、5年前に絵に描いた世界が、これから現実化されようとしていることは確かだ。

なので、僕は言いたい。

“想い描いたことは、何らかの形で表現した方がいい”

と。

幼稚な絵だろうが、音痴な歌だろうが、何でもいい。

想いを抱いているのは、自分自身なのだから。

その想いを不器用でもいいからカタチにしてあげる。

多少なりと人に伝わるものにしてあげる。

人に伝わる可能性が高まる、ということは、自分に伝わる可能性も高まるということだ。

逆に、人に伝わる可能性がゼロであれば、自分に伝わる可能性もゼロかもしれない。

だから、想い描いたことは、何らかの形で表現した方がいい、と思う。

あともう一つ、いまだからこそ思うことがある。

それは、

“小さくてもいいから、とにかく自分から動いた方がいい”

ということだ。

冒頭の絵を描いてから5年。

私は、ずっとこんな物語のような旅をしていた。


<あいぼーを探して>

僕は あいぼーを 探し続けていた

「おーい あいぼー!」

どこかに いいあいぼー いないかなー?

あいぼーさえいてくれたら 素敵な世界を実現できるのに

でも あいぼー なかなか見つからないんだよな…

これじゃ 素敵な世界 実現できないよ…

どこかに いいあいぼー いないかなー?

「おーい あいぼー!」

僕は ずっと あいぼーを 探し続けていた


白馬の王子様を待つ少女と何ら変わらない。

すべては、あいぼー頼み。

自分から動いて、あいぼーを見つける。あいぼーになってもらう。
という発想がなかった。

一方で、自分がイケてる人(世の中的に着目されるような人)になったら、自然とあいぼー的な人が寄って来てくれるのではないか、というヤラシイ考えもあった。

いわば、きびだんごを持つ桃太郎になれば、犬、猿、キジがいい寄ってくる、みたいな(いま思えば、ほんとヤラシイ考えですね…)。

だから、あいぼー探しに5年を費やした。

でも、いま出会っている人たちは、素敵な人たちだ。

だから、5年を費やしたことに後悔はない。

だが、もっと早く気づいて、もっと早く動き始めていれば。

もっとたくさんのあいぼーに出会えていただろうし、もっと大きな活動の輪が広がっていただろうし、もっとみんなでHappyになれていただろうな、という気はする。

でもまあ、いまからでも遅くない。

“自分の想いを描き出し、自分から動き続ける”

これから、冒頭の絵に描いた世界を現実化していこうと思います。

僕の周りにいる、たくさんの素敵な方。

ぜひ僕のあいぼーになってください!

よければ、僕をあいぼーに選んでください!

なーんてことを、いますごく考えています。

やっぱり思考は現実化するんだろうね。

人類みな あいぼー!

Think Big, Act Small, &Sing♪

どっひー &sing