人生における苦しみは、孤独感にあるのかもしれない。
そしてその孤独感は、一人ぼっちでいることではなく、周りに人がいるにも拘わらず「一人ぼっち感」を感じることなのかもしれない。
そうならないためには、「わかちあう」という行為が重要になるのではないだろうか。
例えば、自分と相手がいて、自分がリンゴを一つ持っているとする。
ざっくり言えば、選択肢は3つある。
①自分一人で食べる
②相手に食べさせてあげる
③自分と相手でわかちあう
自分一人で食べると、自分は美味しいリンゴにありつける。だが、相手は食べられない。見ているだけ。
「自分よし」かもしれないが、「相手よし」にはならない。
相手に食べさせてあげると、相手は美味しいリンゴにありつける。だが、自分は食べられない。見ているだけ。
「相手よし」かもしれないが、「自分よし」にはならない。
自分と相手でわかちあうと、自分も相手も美味しいリンゴにありつける。量は半分ずつかもしれないが、二人ともリンゴを食べられる。加えて、リンゴの美味しさ(「おいしい!」という感動)もわかちあえる。
「自分よし」と「相手よし」が両立する。
さらに、リンゴの美味しさを共有したことで、その後の話にも花が咲くかもしれない。
一つのリンゴをわかちあわない限り、自分と相手がリンゴの美味しさをわかちあうことはない。体感しあうことはない。体験を共有しあうことはない。
「同じ釜の飯を食う」という言葉がある。
同じ釜の飯を食うとは、生活をともにしたり、同じ職場で働いたりして、苦楽をわかちあった間柄のたとえ、である。
一つのものをわかちあう、ということ。
これは、人と人とがわかりあうために、心でつながりあうために、そして孤独感を感じないために、とても大切なことではないだろうか。
苦楽をわかちあえる人がいることは、苦しい人生を楽しく乗り越えていくために、もっとも大切なことではないだろうか。
また、「三方よし」のビジネス(お金の流れ)をつくる原点も、「わかちあう」ことにあるのではないだろうか。
奪うでもなく、身を切るでもなく、わかちあう。
なかなかできないことではあるが、つねに心がけたい、と思う。
どっひー &sing