盡心知性則知天(じんしんちせいそくちてん)

「其の心を盡(つく)す者は、其の性を知る。その性を知れば、則ち天を知る」

石田梅岩の『都鄙問答』で引用されている、孟子の言葉である。

この言葉のおかげで、「利他の心とはなんぞや?」ということが、ほんの少しだけ(理屈として)わかったような気がする。

以下、ちょっと小難しい話にはなるが、リーダーとしての徳と得を高めていくために、とても大切なことだと思うので、ここに記しておく。

石田梅岩『都鄙問答』(致知出版社)によれば、「其の心」とは、「四端」と呼ばれる①惻隠、②羞悪、③恭敬(辞譲)、④是非の4つの心を指し、「其の性」とは、仁義礼智の本性だと言う。

まず、「四端」それぞれの言葉の意味は、次の通りである(wikipediaより)。

①惻隠:他者を見ていたたまれなく思う心

②羞悪:不正や悪を憎む心、または「廉恥」恥を知る心

③恭敬(辞譲):譲ってへりくだる心

④是非:正しいことと間違っていることを判断する心

これら「四端」は、それぞれ仁義礼智と対応している。

①惻隠の心を尽くすことで、仁(人を思いやること)を知る。

②羞悪の心を尽くすことで、義(利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義)を知る。

③恭敬(辞譲)の心を尽くすことで、礼(「仁」を具体的な行動として表したもの)を知る。

④是非の心を尽くすことで、智(人や物事の善悪を正しく判断する知恵)を知る。

つまり、「四端」の心を尽くすことが、利他の心を実践することに繋がり、その実践を経て、仁義礼智の徳が身に付いていくということである。

ところで、仁義礼智の「義」は、一般に「利」と対比される概念であるが、「先義後利」という言葉もある。

「先義後利」とは、「道義を優先させ、利益を後回しにすること」である。

私はこれまで、先義後利を、先に利他、後で利己と捉えていた。つまり、自分の利益を得たいのであれば、まずは他者の利益を優先せよ(=道義を優先せよ)、という意味で捉えていた。

だが、先の「盡心知性則知天(じんしんちせいそくちてん)」の考え方からすれば、これまでの私の理解は間違っているのではないか、と思った。

「先義後利」とは、「(世間にとっての)道義を優先させ、(相手にとっての)利益を後回しにすること」なのではないだろうか?

つまり、道義においても、利益においても、まずは「他を利する」べきなのではないだろうか?

まずは心を尽くし、他を利する。

その結果として、自分の道義も立ち、自分の利益も立つ。徳と得が高まる。

そういうことなのではないだろうか?

この理解は間違っているかもしれない。だが、実感としては、こう考えてみることで妙にスッキリするところもある。

とは言え、まだ実践を通じてピンと来たわけでもない。

それゆえ、「もしかしたら、そうかもしれないな〜」という程度の気づきではある。

だがそれでも、この方向性で進んでみたいと思う。

「其の心を盡(つく)す者は、其の性を知る。その性を知れば、則ち天を知る」

「四端」の心を尽くしていきたいと思う。

どっひー &sing

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。