「こんな人になりたい!」
「この人みたいになりたい!」
誰かに憧れるのを止めた時、視界は開ける。
私は、かつていろんな人に憧れていた。
例えば、マイケルジャクソン、小室哲哉、野田秀樹、スティービーワンダー、大前研一、スティーブジョブズ、桜井和寿(敬称略)などなど。
でも、42歳のある時。痛烈な体験をし、誰かに憧れることを止めた(遅!)。
時は、2016年9月18日(日)。場所は京都駅近くの梅小路公園。
私は、京都音楽博覧会(通称、おんぱく)という野外フェスに来ていた。雨が降る中、レインウェアを着て、芝生広場に立っていた。
ステージまでは、かなり遠い。50メートルくらいはあっただったろうか。観客はおそらく1万人くらい。
その時、ステージ上に立っていたのは、桜井和寿さん。言わずとしれた、ミスターチルドレンのヴォーカルだ。
その姿は、とても小さい。スクリーン上に映し出されている姿は大きいが、実物はめっちゃ小さい。
その声は、めっちゃ小さい。マイクを通した声はでかいが、地声はまったく聞こえない(当たり前!)。
僕は、正直、ガッカリした。なんて、小さいんだ、と。
実物も見えなければ、地声も聞こえない。これで、桜井和寿さんの歌を聞いたと言えるのだろうか、と。
一方で、圧倒的な存在感だった。
『名もなき詩』を、みんなが熱唱していた。
みんな、桜井和寿さんの歌を聞いているんじゃなくて、桜井和寿さんと一緒に歌を歌っていた。僕の隣にいた男性なんか、完全に桜井和寿さんと一体化していた。
桜井和寿さんは、みんなが心に想っていることを、言葉にし、声に出して代弁しているのだ。だから、みんなが歌うのだ。「あるがままの心で 生きようと願うから…」と大合唱するのだ。
その時、僕は桜井和寿になるのを諦めた。
「あぁ、オレは桜井和寿にはなられへんなぁ」と心の底から思った。
と同時に、「あら?オレ、本気で桜井和寿さんみたいになりたい!って思ってたんや」と気づいた。バカだなぁ、と思った。
そして考え始めた。
「僕が、桜井和寿さんみたいに、ステージに立って、みんなを大合唱させるには、どうしたらいいか?」
「僕にはできて、桜井和寿さんには絶対にできないことは何か?」と。
その時にふと思ったのが、「会計」というキーワード。
なんてったって、僕は会計士だ。桜井和寿さんは、会計士ではない。ならば、「会計で、ステージに立って、みんなを大合唱させることができないだろうか?」
僕は、桜井和寿さんのようには歌えない。僕には、僕の歌しか歌えない。
これまで、何曲も何曲もミスターチルドレンの歌を歌ってみたが、どれもうまく歌えない。
そりゃそうだ。僕は、桜井和寿さんのように歌を歌うことを”理想の姿”としていたのだ。桜井和寿さんを理想像として追いかけている限り、”絶対に”自分の歌は歌えない。
僕には、僕の想いがあり、言葉があり、声があるのだ。僕には、僕の歌があるのだ。
僕にできることは、僕の歌を歌うことだけ。そして、ただそれだけのことに、一番の意味があるのだ。
僕は、かつて桜井和寿さんに憧れていた。だが、それは桜井和寿さんになることではなかった。
僕が、目指していたのは、桜井和寿さんが体現しているその姿だったのだ。
自分の歌を歌うこと。ステージに立って、みんなと大合唱すること。心で繋がること。
思えば、マイケルジャクソンに憧れたのも、そういう理由だったんだなぁ、と腑に落ちた。
誰かに憧れることは素晴らしい!
こんな人になりたい!この人みたいになりたい!という気持ちは、自分を成長させる原動力になる。
だけど、”絶対に”その人になることはない。その人になる必要もない。この世の中に同じ人間は2人もいらない。
すべての人が違っているからこそ、意味がある。影響を与え合える。
自分の歌を歌うこと。
自分の道を歩くこと。
壁にぶつかったら、誰かに憧れるのを止めること。
自分を諦めないこと。
自分の夢を諦めないこと。
自分は、憧れの人のようにはなれない。だから、夢を諦めよう。なんてつまらない。
一方で、夢は必ず実現する!なんて甘いことを言うつもりはない。
だけど、自分の夢は自分の夢として、しっかりと抱き続けてあげること。
それは、ほんとうに大切なことだ、と心から思います。
TAKU &sing