「わっ、働くって、楽しい!」
「わっ、学ぶって、楽しい!」
今日一日の中で、そんな風に感じる瞬間があれば、きっと幸せだろう。
いま、私には、ものすごーく気になっている人がいる。
今朝、「なんで、その人のことが、ものすごーく気になるんだろう?」と考えていたら、ふと理由がわかった。
その人が、働くこと、学ぶことを怖がっているからだ。
その人は、「私は、あんな人たち(その人がふだん見ている大人とか同世代の人たち)のように、つまならそうに、何かに迎合するように、お金を稼ぐためだけに、働きたくない、学びたくない」と思っている(と私が感じている)。
「あんな人たちのように働いたり、学んだりすることは、自分を消すこと、失うことだ。私はそうはならない!なりたくない!」と思っている(と私が感じている)。
くどいくらいに断っておくが、その人がほんとうに先のように思っているかはわからない。だが、私は、「その人はきっとそう思っているのだろうな」と感じている。
私にとって重要なことは、その人の話しを見聞きしている私自身がそう感じている、ということだ。また同時に、その人に対して何かをしてあげたい、と感じているということだ。
私は、その人のために、何をしてあげられるのだろうか?とずっと考えている。だが、まだその答えはない。
まだ答えはないのだけれど、ふと自分で気づいたことがある。
それは、
「働くって、楽しい!」
「学ぶって、楽しい!」
と私が思っているということだ。
私はそれを子どもの頃から感じてきたし、44歳になった今でも、それを感じている。
そう信じている。
もちろん、嫌だなぁーと思う時もあれば、面倒だなぁーと思う時もあれば、つらいなーと思う時もある。
でも、そりゃそうだ。人間だもの。自分の感情の浮き沈みはあるし、まして誰といつどこで関わるかによっても状況は変わるのだ。一年365日、一日24時間、ずっと楽しい訳ではない。
でも、元来、
働くとは楽しいものである。
学ぶとは楽しいものである。
と私は信じている。
なぜ私がそう信じているのか、については、また改めて書きたいと思う。
一方で、今朝、私が考えていて、一つやると決めたことがある。
それは、
「働くって、楽しい!」
と実感できる体験の場をつくる。
ということ。
ありがたいことに、私は幼い頃にそれを実感することができた。
なーんにもできない子どもだった私が、人のために働いて、その人にめっちゃ喜んでもらった。すごいねー、って褒めてもらった。でもって、お駄賃までもらっちゃった。また、働こう!もっといろんなことができるようになろう!そんな風に思えることができた。
元来、働くとは楽しいものである。
そんなことを感じられる、働きの場、学びの場。
無理に思い込むのではなく、自然とそう思えるような場。
そんな場をつくっていきたいな、と思っています。
AIやロボットが進化しまくったら、衣食住をつくり出すために、人間が働く必要性はなくなるでしょうね。
その時、あなたは何をしているのでしょうか?
私は何をしているのでしょうか?
やっば歌ってるんだろうなぁー
TAKU &sing