地獄の運動会

今日は息子の運動会。

運動会といえば、『天国と地獄』。

かけっこの時に流れる定番曲だ。

一方、嘉門達夫さんの替え歌の一つに、『地獄の運動会』という曲がある。

原曲は『天国と地獄』。歌詞は、「運動会なんてクソくらえ!」という内容。運動が苦手な子の運動会に対する恨みつらみが歌詞になっている。

とても面白い。

替え歌って面白いなぁー、と改めて感じる。

で、運動会の話。

私にとって運動会は、行進させられる。並ばされる。立たされる。団体行動させられる。競争させられる。何かと我慢させられる。というようなイメージ。

とにかく「型に嵌められてやらされる感」がたっぷりある。

運動会は嫌いではなかった。

だが、団体行動は嫌いだった。

長い時間をかけて、行進の練習をして。

いったい誰のための運動会なんだろう?と思った。

行進って、何のためにやるんですか?

大人になってから、いったい何の役に立つんですか?

なーんてことを、大人になった今でも思う。

子どもの頃に運動会をやるなら、「子どもたちの」「子どもたちによる」「子どもたちのための」運動会をやればいいんじゃない?と思う。

行進するかしないかも子どもたちが自由に決める。やっぱオリンピックの開会式に憧れるから、行進しようぜい!となれば行進すればいい。ユニフォームも揃えたらいいし、聖火リレーをやるならそれも良し。

運動会の出し物も全て子どもたちが自由に決める。組み立て体操よりも、パラパラがいいならパラパラを踊る。100m走は、あえて123m走にしてみる。リレーのバトンはチクワ。チクワを受け渡ししていって、最後はゴボウに刺す!みたいな。

せっかく長い時間をかけて練習するのであれば。

せっかく出し物としてみんなに見せるのであれば。

自分たちが「本当にやりたい!」と思えることに取り組む方が断然いいのになぁー、と思う。

かけっこの音楽も『天国と地獄』にこだわる必要もない。

スポーツ科学を駆使すれば、子どもたちの走るスピードを最速化してくれるような音楽も見つかるだろう。

いっそ、123m走にちなんだ、自分たちのオリジナルソングをつくったっていい。例えば、BPM(Beats Per Munite)123で。

もしBPM123だとスピードが遅すぎるなら、一番ノリノリで走った人が優勝!みたいな競技にしちゃってもいい。

重要なことは、「誰の」「誰による」「誰のための」運動会なのか?だ。

決して、父兄のための運動会ではないだろう。まして先生のための運動会でもないだろう。

子どもの頃から。

型に嵌めるか。

自由な発想を伸ばしてあげるか。

できることなら、自由な発想を伸ばしてあげたいなぁー、なんて思っています。

もっと自由に!

もっと楽しく!

どっひー &sing

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