買い物は、誰にでもできる「投資行動」である

「三方よし」を実現するための思考・感情・行動は、日常の中にある。

例えば、スーパーでの買い物。

近所のスーパーで1個100円のリンゴを買うとする。

スーパーに行き、果物売り場で、リンゴ1個を選び取り、レジに行って、100円のお金を支払う。

その後、この100円のお金はどこにいくのか?

スーパーは、その100円のお金を売上金(の一部)として受け取る。

そこから、リンゴの仕入代金を(卸売業者を経由して)生産者に支払う。例えば70円。

また、社員、パート、アルバイトへの給料を支払う。例えば15円。

チラシ代、家賃、その他の経費も支払う。例えば10円。

売上金100円から上記支払い合計95円を差し引いた残り5円から、国や地方自治体に税金を支払う。例えば2円。

残った利益3円は、株主への配当や新たな投資に使われる。

このように、近所のスーパーのレジで支払った100円のお金は、スーパーを介して、たくさんの人々に分配されていく。

また、そのお金が誰のところへ分配されていくかは、そのスーパーがリンゴを誰から買っているのか、従業員に誰を雇っているのか、チラシ作成を誰に依頼しているのか、店舗を誰から借りているのか、事業所や本社がどこにあるかで変わってくる。

したがって、あるスーパーであるリンゴを買うということは、同時に、自分が支払う100円を誰に分配するかを(暗黙的に)決めている、ということでもある。

どの店で買うか、そこで何を買うかは、自分で選択することができる。

その自分の選択が、結果として(間接的ではあるものの)どこにいる誰にお金を分配するかを決めている。

こだわりのある生産者を応援したいと思えば、その生産者が生産したリンゴを仕入れて売っているスーパーでリンゴを買えばいい。

地元で働く人を応援したいと思えば、地元の人を従業員として採用しているスーパーでリンゴを買えばいい。

近所にあるスーパーがなくなったら困る、頑張って欲しい、応援したいと思えば、近所のスーパーからリンゴを買えばいい。

たかが買い物。されど買い物。

ふだんの買い物で使うお金は、積み上がれば結構な金額になる。

どうせ使うお金であれば、できるだけ自分にとって「いいもの」や「大切なもの」をつくってくれている人たちのために使いたい。

あえて、「いいとは言えないもの」や「大切とは思えないもの」のためにお金を使う必要はない。

まして、「悪いもの」や「危険なもの」を増幅させるようなお金の使い方はしたくない。

買い物は、誰にでもできる「投資行動」である。あるいは、「投票行動」である。

自分よし、相手よし、世間よしの「三方よし」を実現するための思考・感情・行動は、日常の中にある。

ふだんの買い物。

どうせなら、「いいもの」や「大切なもの」が守られ、育ち、繁栄していくような形でお金を使いたものである。

また、事業を経営していく上でも、「いいもの」や「大切なもの」が守られ、育ち、繁栄していくような形でお金を使いたいものである。

どっひー &sing

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