「自分には何もない」からこそ自由でいられるのではないでしょうか?

自分を他人と比べて、こう思ったことはありませんか?

「自分には何もない」

かつて私は、そう思っていたことがありました。

周りの人たちが、やけに「できる人」に見えていました。その時は、誰を見ても「自分より優れている人」のように見えました。

そしてひるがえって自分を見ると、

「自分には何もない」

と感じていました。

でも、よくよく考えてみれば変な話です。

ただの人間として見れば、周りの人たちと自分との違いはそれほどないからです。

違いを感じているとすれば、ほぼ見た目。

容姿、体形。服装、持ち物。あるいは、周りにいる友達や仲間。楽しそうな雰囲気や表情。場合によっては、地位や肩書き。家などの資産や金銭。

冷静に考えてみれば、だから何?というものばかり。

確かに、他人は持っているのに、自分が持っていないものはある。

他人は沢山持っているけど、自分はちょっとしか持っていないものもある。

あるいは、他人はより高級な(と言われる)ものを持っているけど、自分はそういうものを持っていないこともある。

でも、それはそういうもんだ。

人それぞれ、見た目も違えば、持ち物も違う。

他人は他人、自分は自分。

他人から見れば、自分も他人とは違う見た目や持ち物を持っている。

ただそれだけ。

時に悲しくなることもあるかもしれない。悔しくなることもあるかもしれない。嘆きたくなることもあるかもしれない。

でも、悲しんでも、悔しんでも、嘆いても。

いまの自分の状況が変わることはない。自分の見た目も変わらなければ、自分の持ち物も変わらない。

誰かが可愛そうだと思って助けてくれる訳でもない。

もちろん、悲しんでもいいし、悔しんでもいいし、嘆いてもいい。

でも、一つ明らかなことは、それでは自分は変わらない、ということ。

自分が「ほんとうに心の底からそうなりたい!と願う姿」があるのであれば、自分が変わると決意するしかない。

そしてそのスタート地点は、いまの自分の見た目や持ち物でしかない。

他人の見た目や持ち物は全く関係ない。

もちろん、いま足りないものは山ほどある。

だが一方で、自分が変わり始めるために足りないものは何一つない。

子どもの頃、歩けなかった自分が歩けるようになった。

しゃべれなかった自分がしゃべれるようになった。

絵を描けるようになったし、字も書けるようになったし、本も読めるようになった。自転車に乗れるようになったし、野球ができるようになったし、ご飯もつくれるようになった。自分で勉強ができるようになったし、仕事もできるようになった。

できなかったことだらけだった自分が、いまではいろんなことができるようになった。

そこには、『できなかったことをできるようになる力』がある。

それは誰しもに備わっている力。

「自分には何もない」

確かに、そうだろう。

それは別に悲しむことでも、悔しむことでも、嘆くことでもない。

「自分には何もない」

だからこそ、つねに新たな自分になることができる。

いまの見た目や持ち物に必死でしがみつく必要がないからだ。失うものがないからだ。

「自分には何もない」

だからこそ、より柔軟に、より多様な方向に、自分を変化させていくことができる。

いつからでも、ジブンノシゴトをつくり始めることができる。

いつからでも、自分のオリジナルソングをつくり始めることができる。

いつからでも、自分の人生を新しくつくり始めることができる。

「自分には何もない」

だからこそ、自分がつねに自由でいられるのではないでしょうか?

どっひー &sing

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