世界を変える必要なんてないんだ!

『開学』で教育の世界を変えたい。

私は、2月14日のブログ『教育ではなく、開学』でこう書いた。

しかし、昨日(3月21日)の夜に、ふと思った。

「世界を変える必要なんでないんじゃないか?」と。

私は、従来型の教育を否定しようとしてきた。あるいは、従来型の教師を否定しようとしてきた。それゆえに、従来型の教育、あるいは従来型の教師を変えたいと思っていた。

だけど、それってすごく大変。だって、相手は「この教育のやり方がいい!」という信念を経験的に築き上げているから。そして、その信念を全面的に否定することなどできない。必ず何らかの成果を上げているはずだから。でなければ、その人はその信念とやり方にこだわり続けるはずがない。

だから、その人の信念ややり方を否定する必要などない。

いや、そもそも否定すべきでない。

その人にはその人なりの、私には私なりの、信念とやり方があるのだ。

選ぶのは、教育を受ける人だ。

Aさんの信念とやり方が自分に合う、と思えば、Aさんから学べばいい。同じく、BさんがよければBさんから、CさんがよければCさんから学べばいい。

その信念ややり方を『教育』と呼ぼうが、『開学』と呼ぼうが、はたまた『自己学習』と呼ぼうが関係ない。

選ぶのは、教育を受ける人だ。

何らかの目的のために、何かを知りたい、学びたいと熱望している人だ。

だから、私は世界を変えようとする必要なんてない。

「従来型」(と私が呼んでいるだけ)の教育や教師を敵対視する必要などない。すでにそこにある世界を変えようとする必要などない。

私は、”私が望ましいと考える”教育の世界を創り出せばいい。小さくとも実際の学び場(まなびば)を創ればいい。それに賛同してくれる学び人(まなびと)と開学家(かいがくか)に集まってもらえばいい。

私は、”私が望ましくないと考える”教育の世界を変えようとする必要はない。すでにある教育の場を変えようとする必要はない。すでにそこにいる生徒と教師を変えようとする必要はない。

従来からある狭い範囲の領土の中で、つばぜり合いをする必要などない。

外に目を向ければいい。

そこには、広大な領土が広がっている。

争う必要などない。

私は、”私なりに望ましいと考える”新しい教育のあり方を打ち立てればいい。

選ぶのは、教育を受ける人だ。

競い合えばいい。

望ましい教育のあり方は一つではない。

それぞれの教育も相互排他的ではない。

“あらゆる人が、いまの自分にとって、もっとも望ましい形で、望む教育を受けられる。”

そんな世界を創りたい、と思っています。

ってことで。

教育ではなく、開学

『開学』で新しい教育の世界を創る

ただただ自分が”いい”と信じる道を歩き続けて行きたいと思います。

行動あるのみ!実践あるのみ!

先人から学ぶべきことはすべて学ぶ!

我以外皆我師也

TAKU &sing

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