自分の大切な人にとって役立つことをしよう

「このままこの会社にいていいんだろうか?」

「自分はどうなりたいんだろうか?」

そんな悩みを抱えている人がいる。

かくいう私自身、かつて会社を辞める前。そんなことで悩んでいた。

だから、この本を書いた。

『ジブンノシゴトのつくり方 〜好きを諦めない働き方〜』

現在の職や会社に不安や悩みがある方、なぜか一歩を踏み出せない方に。

現在の仕事を捉え直し、未来への一歩を踏み出す勇気を取り戻してもらいたい。

そう思い、この本を書いた。

だが、いま振り返ってみると、この本でしっかりと書き切れなかったことがある。

それは、

自分の大切な人にとって役立つことをしよう

ということである。

この世界には、たくさんの人たちがいる。

誰かにとって役立つことをすることはいいことだ。

誰かのために一生懸命に働くことはいいことだ。

だが、もしそれが自分の大切な人にとって役立つことでなかったとしたら?

まして、自分で買わない。家族にも買わせない。そんな商品を自分が売っているとしたら?(『必要悪ってなんや?』参照)

毎日毎日、自分の身を粉にして働き続けることができるのだろうか?

家族、友人、同僚、同じ釜の飯を食う仲間たち。

そんな、自分の大切な人にとって役立つことをしたい。

自分の大切な人に自信を持って勧められる仕事をしたい。

少なくとも、自分の大切な人に対して顔向けできないような仕事はしたくない。

もし心からそう願うのであれば。

自分を欺く必要はない。

自分に言い訳する必要はない。

自分の大切な人にとって役立つことでないならば、なぜ自分が必死で取り組む必要があるのだろうか。

自分の大切な人に自信を持って勧められる仕事でないならば、なぜ自分の人生の貴重な時間をその仕事に捧げる必要があるのだろうか。

迷うことはない。

自分がそれをやることに意義や誇りを感じられることをしよう。

自分の大切な人にとって役立つことをしよう。

どっひー &sing

「人を育てること」と「自己効力感」の関係について

「なんで私の言うことを聞いてくれないんだろう?」

「何度も何度も同じことを言っているのに、なんでできるようになってくれないんだろう?」

「いったいどうしたらいいんだろう?」

子育て、教育、OJT(On-the-Job Training)。

親、先生、上司あるいは経営者。

人を育てる人には、悩みが多い。

特に、自分に成功体験があればあるほど、うまくいかない時の悩みは大きくなる。

「なぜあの時はうまくいったのに、今回はうまくいかないのか?」と。

ある子育て中のお母さんは、「もう!どうしたらいいのよ!」と匙を投げそうになっている。だが、匙を投げるわけにはいかない。だから悩む。

ある生徒を持つ先生は、「他の子とどこが違うんだろう?」と考え込んでいる。だが、その子はその子でしかない。他の子とは違う。だから悩む。

ある部下を持つ上司は、「こいつダメだな」と見切りそうになっている。だが、部下を変えてくれ、と言うわけにもいかない。だから悩む。

ある従業員を持つ経営者は、「何で私の言う通りにできないんだ!」と苛立つ。だが、一向に行動は変わらない。結果も変わらない。だから悩む。

『自己効力感』という言葉がある。

自己効力感とは、「自分の行為によって望ましい結果を生み出すことができる」という信念である。
〜『激動社会の中の自己効力』アルバート・バンデューラ(金子書房)より〜

人を育てる、という場面において、自己効力感は大きな役割を果たす。

そしてその自己効力感は二つある。

「育てられる側の自己効力感」と、「育てる側の自己効力感」である。

人を育てる、という場面において、「育てる側の自己効力感」の重要性はかなり大きい。

なぜならば、「育てる側の自己効力感」が、「育てられる側の自己効力感」に大きな影響を与えるからである。

例えば親子関係であるとすれば、

親が「私の行為によって、“この子が育つ・成長する”という望ましい結果を生み出すことができる」という信念を持っているとする。すると、親はこの信念を持って我が子に接することができる。その結果、子どもは「私の行為によって、“私が育つ・成長する”という望ましい結果を生み出すことができる」という信念を育めるようになる。

逆に、

親が「私の行為によって、“この子が育つ・成長する”という望ましい結果を生み出すことはできない」という信念(諦め)を持っているとする。すると、親はこの信念(諦め)を持って我が子に接してしまうことになる。その結果、子どもは「私の行為によって、“私が育つ・成長する”という望ましい結果を生み出すことはできない」という信念(諦め)を育んでいくことになる。

以上の例は、とても単純化しているし、実際にはこんな短絡的な関係でないことは確かだ。

子どもは子どもとして、生徒は生徒として、部下は部下として、従業員は従業員として、自ら「自分の自己効力感」を高めていくことはできる。必ずしも、いい親、いい先生、いい上司、いい経営者を必要とするわけではない。

だがそれでも、

人を育てる人は、すべからく「自分の自己効力感」を高い状態に保っておくことを大切にすべきである。

なぜならば、そうすることは、自分にとっていいこと(自分よし)であり、相手にとってもいいこと(相手よし)であり、周りの人たちにとってもいいこと(世間よし)であるからだ。

子育て、教育、OJT(On-the-Job Training)。

親、先生、上司あるいは経営者。

人を育てる人は、すべからく「自分の自己効力感」を高い状態に保っておくことを大切にすべきである。

「相手の自己効力感」を高めよう、高めようとする前に、「自分の自己効力感」を高めることに意識を払うべきである。

「なんで私の言うことを聞いてくれないんだろう?」

「何度も何度も同じことを言っているのに、なんでできるようになってくれないんだろう?」

「いったいどうしたらいいんだろう?」

そういう悩みを持つことは大切だ。

だが、そうやって悩み続けた結果、「自分の自己効力感」を低下させてしまっては元も子もない。

人を育てる人は、すべからく「自分の自己効力感」を高い状態に保っておくことを大切にすべきである。

「私には育てられない」

そう自分を責めても仕方がない。

一方で、「こいつがおかしい」

そう相手を責めても仕方がない。

もちろん、今後、二度と関係しない人であれば、スパッと相手を見切ることも一つの方法かもしれない。

だが、相手が「毎日毎日、自分が関わらざるを得ない人」であるならば。家庭、学校、会社、あるいは地域などで、「毎日毎日、自分が顔を合わさざるを得ない人」であるならば。

自分を責めても、相手を責めても。どちらにせよ「よくない状況」は変わらない。そして「自分の自己効力感」は低下する。

「自分の自己効力感」の低下は、下手をすると、他の多くの人への接し方すらをも変えてしまう可能性がある。

自分を責める人は、「自分に自信のなさそうな人」になっていく可能性がある。

相手を責める人は、「なんでも人のせいにする人」になっていく可能性がある。

人を育てる人は、つねに「自分の自己効力感」の状況に気を配る必要がある。

人を育てる人は、すべからく「自分の自己効力感」を高い状態に保っておくことを大切にすべきである。

そしてそのための鍵は、「分けること」「区別すること」にある。

どっひー &sing

「自分の仕事に値札をつけよう♪」が開催されました

先日、『ジブンノシゴトのつくり方教室』第4回が開催されました。

今回のテーマは、自分の仕事に値札をつけよう♪

お越しいただいたのは、不動産鑑定士の資格をお持ちである坂本さん。

坂本さんは、9月末にいま勤めている会社を退職し、10月から大阪の本町で独立・開業予定とのことで、講座にお越しくださいました。


土肥:今日の講座から何を得て持ち帰りたいですか?

坂本さん:サービスの値付けですね。ジリ貧にならない価格をつけたいです。

土肥:独立・開業後にジリ貧にならないようなサービスの値付けをしておきたい、ということですね。

坂本さん:はい。ただ、お客様のご要望や世間の相場があるので、自分勝手な値付けをするわけにも行きません。とは言え、自分の強みを活かせる分野では、しっかりと価値を出し、それに見合う価格をいただきたいな、と思っています。

土肥:坂本さんが希望される年収はいくらですか?その時の仕事日数は何日ですか?

坂本さん:思い切った金額を言ってもいいですか?

土肥:はい、もちろんです!思いっ切り、思い切った金額を言ってください!

坂本さん:年収は◯◯万円。仕事日数は◯◯日です。

土肥:おーっ!素晴らしい!ということは、月収だと◯◯万円、月の仕事日数は◯◯日ということになりますね。

坂本さん:はい。そうなりますね。

土肥:では、坂本さんがご提供予定のサービスには、どんなものがありますか?それぞれのサービス内容と価格帯を教えてください。

坂本さん:私が提供していきたいサービスは、大きく3種類あります。その中身もいろいろとありまして。それぞれにお客様が異なり、価格帯も異なります。

土肥:なるほど。では、一つ一つ整理していきましょう。


お話をお伺いしていくと、それぞれのサービスにより、お客様が異なれば、競合も異なり、価格帯も異なる。坂本さんの強みを活かせる分野もあれば、そうでもない分野もある。より突っ込んでお話をお伺いすると、単発的な仕事で終わりやすい分野もあれば、継続的な仕事になりうる分野もあるとのこと。

一通りのヒアリングが終わったところで、それらの情報を2軸の図表(いわゆる、マトリックス図)に整理、集約。

この図表をもとに、坂本さんがもっとも実現したい状態(ビジョン)を確認。

その結果、基本となるサービスを収入の基盤としつつ、「図表右上の象限に入る別のサービスを育てていくこと」が、坂本さんのやりたいことであり、強みを活かせることであり、かつ収入面でも良い結果になっていくことがわかりました。


坂本さん:なんか展望が見えてきました。これまでも自分でいろいろとワードなどでまとめていたりはしたのですが、こうやって客観的に整理してみることで、自分のやりたいこととか、これからやるべきことがハッキリしてきました。

そうなんですよね。私、不動産鑑定「も」できる不動産投資アドバイザリーになりたいんですよね。

不動産鑑定士の資格を活かしつつもそこだけに留まらず、「地主さんの投資意思決定とその実行に役立つ」仕事をしていきたいです。

そのためにも、まずは身近なツテを頼って地主さんにお会いし、いま考えているサービスを実際にご提供する準備を整えるところからはじめて行こうと思います。

土肥:はい。ぜひ頑張ってください!坂本さんの独立・開業後の活動が輝かしいものになるよう、私も微力ながら応援させていただきます!

坂本さん:はい。頑張ります!今日はありがとうございました!

土肥:こちらこそ、ありがとうございました!

さて、次回のテーマは、「いまの仕事に好きを埋め込もう♪」です。

これから新しい仕事をはじめる人も、そうでない人も。

働く場所を変えずに働き方を変えてみませんか?

仕事に好きを埋め込んでみませんか?


「好きを諦めない働き方を見つける」
キャリア選択前のはじめの一歩
『ジブンノシゴトのつくり方教室』

第5回:いまの仕事に好きを埋め込もう♪
日 時:9月22日(土)13:30〜15:00
場 所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、以下いずれかから。

①facebookのイベントページ
https://www.facebook.com/events/321137958454853/

②こくちーずプロのイベントページ
https://www.kokuchpro.com/event/62b56b4dd0302ba10ac84685ab5fd8ed/290369/

欠けているからこそ

「何かが欠けている」

そう感じた時、人は「欠けているものを埋めたい」と願う。

まるで欠けた月を見る時のように。

「欠けている」と感じるということは、「満ちている」状態をイメージしているということ。

満月を見たことがあるからこそ、それ以外の月が欠けて見える。

だが実は、月は欠けていない。

月が欠けているように見えるのは、太陽の光が当たっていないから。

月は欠けていない。

つねに満ちている。

人も欠けていない。

つねに満ちている。

「何かが欠けている」

そう感じるのは、光が当たっていないから。

人は、自ら輝くことはできない。

自分に光を当てることもできない。

他者に光を当てることしかできない。

人は、お互いに光を当てあうことしかできない。

それは悲しい現実である。

人は、お互いに光を当てあうことならできる。

それは喜ばしい真実である。

自分がそうして欲しいと思うことは、何よりもまず他人にそうしてあげることだ

〜『思考は現実化する』ナポレオン・ヒル〜

どっひー &sing

「自己紹介ミニソングをつくろう♪」が開催されました

昨日、『シンガーソングライター教室(超入門)』第4回が開催されました。

今回のテーマは、自己紹介ミニソングをつくろう♪

「誰に、何を紹介したいですか?」

講師のyu-kaさんからの問いかけに対して、参加者の皆様からさまざまなアイデアが出されました。

  • 趣味のない人に。パワーリフティングの魅力を伝えたい。
  • ゲーム会社の人に。とあるキャラクターが大好きなことを伝えたい。
  • 母に。身体に良いサプリメントを紹介したい。
  • 職場の人たちに。自分たちの職場の素晴らしさを伝えたい。
  • 昔の教え子たちに。塾で学ぶことの素晴らしさを伝えたい。
  • 行方不明の女性に。その後の消息を心配している気持ちを伝えたい。

一口に自己紹介と言っても、「誰に、何を伝えたいか」は人それぞれ。

皆様、お互いの対話を通じて、ご自身のアイデアを発展させておられました。

想いを言葉にし、言葉を歌詞へと綴り。

メロディーまで口ずさまれる方もいれば、ラップを刻みはじめる方もおり。

最終的にはこんな曲調にしたい、とかなり具体的なイメージを固めておられる方もおり。

アンケートにもこんなことが書かれていました。

少し作詞の一歩目がわかってきた?少しずつですが…

曲作り、詞作りが楽しい

しばりがなく自由な発想で伝えられるのがいい

自分と違う視点で見られるのがいい

一曲を作って、また一曲と作れるようになると嬉しい

『シンガーソングライター教室(超入門)』も今回で第4回目となりましたが、参加者の皆様のレベルが確実にアップしています。

初参加の方が初回で作り出すレベルも高くなっています。

前回は3名の方が自作の曲を披露してくださいましたが、今回の教室を経て、さらなる完成曲が披露される日も近そうです。

参加者の皆様、そして講師のyu-kaさん、本当にお疲れ様でした!

さて、次回のテーマは、「変身ミニソングをつくろう♪」です。

ふだんの自分ではなかなか言えないこと。

ふだんとは違う自分に変身して言ってみませんか?


「よめない ひけない うたえない」三重苦でも大丈夫!
ワンフレーズから始めるミニソングづくり
『シンガーソングライター教室(超入門)』

第5回:変身ミニソングをつくろう♪(ハロウィン前に)
日 時:9月22日(土)16:00〜17:30
場 所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、以下いずれかから。

①facebookのイベントページ
https://www.facebook.com/events/731610550513041/

②こくちーずプロのイベントページ
https://www.kokuchpro.com/event/391629ac3667472ed7d63a67d025765f/290232/

潜在能力を発揮するには?

誰しもに潜在能力がある。

潜在能力とは、潜在している能力。

まだ顕在化していない能力。

潜在能力は、なぜまだ顕在化していないのか?

それは、その能力を発揮する機会にまだ出会っていないから。

新たな機会に出会えば、人は潜在能力を発揮する可能性がある。

だが残念ながら、それがどんな機会であるかは事前にはわからない。

いまだかつて行ったことのないところへ行ってみる。

いまだかつて見たことのないものを見てみる。

いまだかつて会ったことのない人に会ってみる。

いまだかつて聞いたことのない話を聞いてみる。

いまだかつてやったことのないことをやってみる。

必ずしも大それたことでなくてもいい。

あと1歩。

あと1ミリ。

あと1グラム。

あと1秒。

かつて辿り着いたことのある地点のその先に。

潜在能力を発揮する機会が転がっている。

どっひー &sing

単なる安売りは「三方よし」ではない

有形の商品は、生産能力や在庫が過剰になると、安売りされる。アパレルのバーゲンセールのように。

だが、無形のサービスは、有形の商品以上に、安売り合戦に陥りやすい。それも知らず知らずのうちに。

なぜならば、サービスは在庫できず、原価もわかりづらいからだ。

例えば、ホテルの空室や飛行機の空席。

その時間、その部屋やその席が空いたままだと、お金は1円も入ってこない。

逆に、たとえ安い価格であったとしても、その部屋やその席を使ってくれる人がいればお金が入ってくる。加えて、追加でかかるコストは少ない。

その結果、ホテルの空室や飛行機の空席は、安売りされやすくなる。

これは、ホテルや飛行機などの設備稼働型ビジネスだけではない。

人材稼働型ビジネスでも同様のことが言える。

例えば、エスティックサロン、美容室、カウンセリング、あるいは士業など。

お客様のいない手待ち時間。その時間、お客様がいてもいなくても一定の人件費や家賃が発生するとしたら。特に、店舗や事務所を構えている個人事業主であれば尚更。

どうせ同じ人件費や家賃が発生するのであれば、「通常よりも安い価格でもいいからお客様に利用してもらおう」ということで値下げに走りやすくなる。

このように、無形のサービスは、安売り合戦に陥りやすい。

だが、空き時間を埋めるためだけの単なる安売りは「三方よし」ではない。

まず、通常の価格でサービスを利用している大多数のお客様にとってよくない(「世間よし」でない)。もちろん、大多数のお客様が安売りに納得していればいいが、そうでなければ多くのお客様に不満を持たれることになるだろう。

また、同じサービスを提供している同業者にとってもよくない(別の観点で「世間よし」でない)。正当な経営努力の末での低価格化であればいいが、単なる安売りは業界を荒らすだけである。多くの同業者(特に正当な経営努力をしている同業者)に不満を持たれることになるだろう。

次いで、安売りをした直接のお客様にとってもよくない(「相手よし」でない)。もちろん、一時的には喜んでもらえるであろうが、それ以降、通常の価格で利用してもらえるとは限らない。この前と同じ価値のものをより高い価格で買おうとは思ってくれない可能性がある。

そして何よりも、サービス提供者自身にとってよくない(「自分よし」でない)。もちろん、空き時間をお金に変えることはできるが、所詮はその場しのぎである。安売りをした直接のお客様に再度利用してもらえず、同業者からも不満を持たれ、通常の価格でサービスを利用している大多数のお客様からも不満をもたれることになるとしたら。単なる安売りは、長期的な利益を減少させていく恐れがある。いや、思っているよりも早く、利益が減少していくかもしれない。

そんな状況の中で、結局のところ、自分で本当に納得できるサービスをお客様に提供できるのだろうか。それは自分にとって本当にいいことなのだろうか。

単なる安売りは「三方よし」ではない。

ひと時の不安に駆られて自分を安売りすべきではない。

ほんとうに価値のあるものは、その価値に見合うだけの価格で売りたい。売ってもらいたい。買いたい。買ってもらいたい。

自由競争の世界ではあるが、持続可能な節度ある価格設定をしたいものである。

できるだけ「三方よし」となる価格設定をしたいものである。

どっひー &sing


「好きを諦めない働き方を見つける」
キャリア選択前のはじめの一歩
『ジブンノシゴトのつくり方教室』
第4回:自分の仕事に値札をつけよう♪

日時:8月25日(土)13:30〜15:00
場所:アンドシングスクール大阪北浜校

お申込みは、こちら(こくちーずプロ)から。
https://www.kokuchpro.com/event/62b56b4dd0302ba10ac84685ab5fd8ed/290368/

すべては自分が決めてきたこと

「あの時、本当はこうしたかったのにできなかった」

「あの時、本当は嫌だったけどこうせざるを得なかった」

そんな風に過去を恨むことが多々あった。

自分の思い通りにできなかったことを、親や先生や上司や社会のせいにしてきた。

心のどこかで納得できずに恨んでいた。

しかし、過去に自分がやってきたことは、すべて自分が選んできたこと。

すべては自分が決めてきたこと。

これまでに歩んできた道は誰のものでもない。

どんなに不恰好だったとしても。

どんなに不満足だったとしても。

正真正銘、自分の道である。

これまでにやったこと。

やらなかったこと。

やり続けてきたこと。

途中で止めたこと。

すべては自分が決めてきたこと。

それを受け入れることで、消える悩みがある。

そこから始まる道がある。

どっひー &sing

買い物は、誰にでもできる「投資行動」である

「三方よし」を実現するための思考・感情・行動は、日常の中にある。

例えば、スーパーでの買い物。

近所のスーパーで1個100円のリンゴを買うとする。

スーパーに行き、果物売り場で、リンゴ1個を選び取り、レジに行って、100円のお金を支払う。

その後、この100円のお金はどこにいくのか?

スーパーは、その100円のお金を売上金(の一部)として受け取る。

そこから、リンゴの仕入代金を(卸売業者を経由して)生産者に支払う。例えば70円。

また、社員、パート、アルバイトへの給料を支払う。例えば15円。

チラシ代、家賃、その他の経費も支払う。例えば10円。

売上金100円から上記支払い合計95円を差し引いた残り5円から、国や地方自治体に税金を支払う。例えば2円。

残った利益3円は、株主への配当や新たな投資に使われる。

このように、近所のスーパーのレジで支払った100円のお金は、スーパーを介して、たくさんの人々に分配されていく。

また、そのお金が誰のところへ分配されていくかは、そのスーパーがリンゴを誰から買っているのか、従業員に誰を雇っているのか、チラシ作成を誰に依頼しているのか、店舗を誰から借りているのか、事業所や本社がどこにあるかで変わってくる。

したがって、あるスーパーであるリンゴを買うということは、同時に、自分が支払う100円を誰に分配するかを(暗黙的に)決めている、ということでもある。

どの店で買うか、そこで何を買うかは、自分で選択することができる。

その自分の選択が、結果として(間接的ではあるものの)どこにいる誰にお金を分配するかを決めている。

こだわりのある生産者を応援したいと思えば、その生産者が生産したリンゴを仕入れて売っているスーパーでリンゴを買えばいい。

地元で働く人を応援したいと思えば、地元の人を従業員として採用しているスーパーでリンゴを買えばいい。

近所にあるスーパーがなくなったら困る、頑張って欲しい、応援したいと思えば、近所のスーパーからリンゴを買えばいい。

たかが買い物。されど買い物。

ふだんの買い物で使うお金は、積み上がれば結構な金額になる。

どうせ使うお金であれば、できるだけ自分にとって「いいもの」や「大切なもの」をつくってくれている人たちのために使いたい。

あえて、「いいとは言えないもの」や「大切とは思えないもの」のためにお金を使う必要はない。

まして、「悪いもの」や「危険なもの」を増幅させるようなお金の使い方はしたくない。

買い物は、誰にでもできる「投資行動」である。あるいは、「投票行動」である。

自分よし、相手よし、世間よしの「三方よし」を実現するための思考・感情・行動は、日常の中にある。

ふだんの買い物。

どうせなら、「いいもの」や「大切なもの」が守られ、育ち、繁栄していくような形でお金を使いたものである。

また、事業を経営していく上でも、「いいもの」や「大切なもの」が守られ、育ち、繁栄していくような形でお金を使いたいものである。

どっひー &sing

わかちあう、ということ

人生における苦しみは、孤独感にあるのかもしれない。

そしてその孤独感は、一人ぼっちでいることではなく、周りに人がいるにも拘わらず「一人ぼっち感」を感じることなのかもしれない。

そうならないためには、「わかちあう」という行為が重要になるのではないだろうか。

例えば、自分と相手がいて、自分がリンゴを一つ持っているとする。

ざっくり言えば、選択肢は3つある。

①自分一人で食べる

②相手に食べさせてあげる

③自分と相手でわかちあう

自分一人で食べると、自分は美味しいリンゴにありつける。だが、相手は食べられない。見ているだけ。

「自分よし」かもしれないが、「相手よし」にはならない。

相手に食べさせてあげると、相手は美味しいリンゴにありつける。だが、自分は食べられない。見ているだけ。

「相手よし」かもしれないが、「自分よし」にはならない。

自分と相手でわかちあうと、自分も相手も美味しいリンゴにありつける。量は半分ずつかもしれないが、二人ともリンゴを食べられる。加えて、リンゴの美味しさ(「おいしい!」という感動)もわかちあえる。

「自分よし」と「相手よし」が両立する。

さらに、リンゴの美味しさを共有したことで、その後の話にも花が咲くかもしれない。

一つのリンゴをわかちあわない限り、自分と相手がリンゴの美味しさをわかちあうことはない。体感しあうことはない。体験を共有しあうことはない。

「同じ釜の飯を食う」という言葉がある。

同じ釜の飯を食うとは、生活をともにしたり、同じ職場で働いたりして、苦楽をわかちあった間柄のたとえ、である。

一つのものをわかちあう、ということ。

これは、人と人とがわかりあうために、心でつながりあうために、そして孤独感を感じないために、とても大切なことではないだろうか。

苦楽をわかちあえる人がいることは、苦しい人生を楽しく乗り越えていくために、もっとも大切なことではないだろうか。

また、「三方よし」のビジネス(お金の流れ)をつくる原点も、「わかちあう」ことにあるのではないだろうか。

奪うでもなく、身を切るでもなく、わかちあう。

なかなかできないことではあるが、つねに心がけたい、と思う。

どっひー &sing